パリ北駅(パリきたえき、パリ・ノール、パリ・ガール・デュ・ノール、ガール・デュ・ノール、Paris-Nord、Paris Gare du Nord、Gare du Nord)は、フランスの首都・パリ市10区にあるフランス国鉄 (SNCF)・パリ交通公団 (RATP) の駅。SNCFにおけるパリの主要ターミナル駅の一つである。RERとメトロの路線ではガール・デュ・ノール (Gare du Nord) という駅名が使用され、TGVなどの遠距離路線、国際路線ではパリ・ノール (Paris-Nord) である。SNCFにおける利用者数は年間約2億人超で、フランス国鉄の駅のみならず、ヨーロッパにある鉄道駅の中でも最多となっている。
また地下にはRATPが運行するメトロ4号線、5号線の駅がある。
RER E線のマジャンタ駅、メトロ2号線のラ・シャペル駅も乗換駅とされており、地下通路により連絡している。パリ東駅も徒歩で乗り換え可能な距離にあるが、連絡通路はなく地上部を経由することになる。
2014年の統計を元に翌年発表された資料によると、SNCFにおける本駅の長距離旅客の比率はトランシリアン49%、アンテルシテとTER28%、TGVなどの高速列車が23%となっている。同時期における平日の1日あたり平均旅客数はアンテルシテとTER合算で69,600人、TGVなどの高速列車が57,500人だった。
各年の利用状況は以下の通り。
地上部分に南北方向に頭端式ホーム28線、地下にRER用の島式ホーム2面4線を有する。
地上ホームは西から順に1 - 21番線および30 - 36番線で、以下のように使われている。
ユーロスター用ホームの入口には出入国審査場が設けられており、チェックインを済ませた乗客以外はホームに入ることができない。これはイギリスがシェンゲン協定に加盟していないためである。
またトランジリアン用のホームの入口には自動改札機が設置されており、他のホームとは分離されている。地下のRER駅にも自動改札機があり、近郊列車ホームとは改札内で連絡している。
地上ホームの南端に接して1865年に完成した駅舎がある。これはジャック・イトルフの設計によるもので、正面にはパリおよびの沿線の諸都市を象徴する23の女神像がある。駅舎内には出札窓口や案内所のほか、レストラン、カフェ、郵便局、警察署などがある。
4号線・5号線ともに相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。
北駅は北部鉄道のターミナル駅として1846年6月14日に開業し、同日に開業したパリ - アミアン - リール線の起点となった。駅はすぐに手狭となったため、1860年には駅舎の一部を解体して敷地を拡張した。
1861年からイトルフの設計による現駅舎の建設が始まり、1864年には一部工事中のまま使用が開始され、1865年に完成した。ホーム全体は大きなトレイン・シェッドで覆われており、これを支える柱は鋳鉄製である。この柱はスコットランド製であるが、これは当時そのような大きな柱を作れる鋳造所がスコットランドにしかなかったためである。
その後も利用者の増加にともない数度にわたってホームの増設や内装の変更が行なわれ、さらに東側に近郊列車用のホームが増設された。また1906年にメトロ5号線が、1908年に4号線がそれぞれ開業した。
北駅はドイツ北部から北ヨーロッパ、東ヨーロッパ北部、東ヨーロッパ東部、ロシアへ至る鉄道網のターミナルとなり、また鉄道連絡船を介してイギリスへの列車も運転された。ロシア方面への「北急行」やロンドン行「フレッシュ・ドール」といった列車の始発駅であった。日本からシベリア鉄道経由でフランスに向かった場合も、多くは当駅に到着した。
1981年にRER B線の地下駅が開業したが、当駅を境として電化方式が北側は交流25,000V50Hz、南側は直流1,500Vと異なることから直通運転は行なわれず、運行系統は当駅で分断され、乗り換えが必要であった。1983年以降、交直切替のための地上設備(デッドセクション)が設けられ、順次交直流電車が導入され直通運転が行なわれるようになった。1987年にはRER D線が開業した。これらにより地上駅を起点としていた近郊列車の一部が地下線経由となり、パリ中心部を経て南郊外まで直通するようになった。
1993年にはLGV北線が開業し、フランス北部方面へのTGVの始発駅となった。1994年のユーロスター乗り入れに伴い、3 - 6番線はその専用ホームとなった。
2023年1月11日、駅構内で刃物を使用した傷害事件が発生。国鉄の警備員を含む複数の警官が発砲して容疑者を含む6人以上が負傷。
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