鹿浜橋(しかはまばし)は、東京都足立区の荒川(荒川放水路)に架かる東京都道318号環状七号線(通称:環七通り)の橋(水道道路併用橋)である。
荒川の河口から18.75 kmの地点の荒川に架かる総延長922.0メートルの橋で渡河区間である橋長451.3メートル、10径間の鋼鈑桁橋の1等橋(TL-20)で、本橋部を挟むように右岸側に長さ244.6メートル、左岸側に長さ226.1メートルの取り付け道路を有している。なお、取り付け道路は片側の幅員8メートルで歩道は設置されていない。また、水道道路併用橋でもあり橋桁に付帯設備として内径1.2メートルの水道管を4本(送水本管2本、工業用水道管2本)併設し、荒川を横断する水道橋の役割も持ちあわせている。また、首都高速道路川口線の鹿浜橋出入口とも接続している。 橋の管理者は東京都である。また、災害時に防災拠点等に緊急輸送を行なうための、東京都の特定緊急輸送道路に指定されている。南岸の東京都足立区新田一・二丁目と北岸の同区鹿浜一・二丁目をつなぐ橋で、橋名は旧足立郡の鹿浜村・鹿浜新田にちなむ。 鹿浜橋は1924年(大正13年)に開削された荒川放水路に架かる最上流に位置する橋である。
東京都市計画街路環状七号線は国道122号を境に、西半分は東京オリンピックまでに整備をほぼ終えていたが、その東半分の大半が未着手だった。橋はその首都圏整備整備の一環として第一期工事が1962年(昭和37年)10月着工され、1965年(昭和40年)2月竣工され、同年2月12日に開通した。事業主体は東京都で製作・施工は上部工を横河橋梁(現、横河ブリッジ)、日本鋼管(現、JFEエンジニアリング)、川田工業(現、川田テクノロジーズ)が行ない、下部工を戸田建設、野口建設が行なった。側径間はクローラクレーンより1径間毎に架設され、主径間はベント工(仮受け構台)で桁を支持しながらケーブルクレーンを用いて架設された。橋の右岸側には幅員8.0メートル、左岸側は幅員8.0メートルの取り付け道路を有している。また、右岸側取り付け道路に幅員3.75メートルの側道を併設していた。また、羽村水系と金町水系を接続する送水本管2本もこの時に設置され1964年6月より通水を開始している。この工事は西に隣接する隅田川に架かる新神谷橋と同時に行われ、事業延長は2750.4メートルにも及んだ。引き続き第二期工事に着手され、1968年(昭和43年)に橋が上流側に1本増設され4車線化された。また、工業用水道管2本もこの時に設置された。 橋の東詰に首都高速道路川口線の鹿浜橋出入口が開設され、1987年(昭和62年)9月9日に供用開始された。
橋付近はスーパー堤防化事業や五色桜に由来する桜の植樹事業が行なわれている。河川敷はゴルフ場やグラウンドなどのレクリエーション施設として利用されている。
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