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露天神社


露天神社


露天神社(つゆのてんじんしゃ)は、大阪府大阪市北区曽根崎二丁目にある神社。旧社格は郷社。通称はお初天神

祭神

祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神を祀る。

歴史

社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされる。創建は大宝元年(701年)頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。社名は、「梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」ともいうもののほか、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで、

との一首を詠んで涙を流したからとも伝えられている。

時代が下ると祭神を天照皇大神として祀っていたことから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮)の一つにも挙げられた。

近世に入ると概ね摂津国西成郡曾根崎村(キタの西半)が氏地となる。近松門左衛門のいたころの天神の境内は560余坪の広さがあり、近松は当時の天神の様子を「影暗く風しんしんたる曽根崎の森」、「天神の森」と書き記すほど木が鬱蒼と茂っていた。しかし、太平洋戦争による戦火と、その後の社殿復興のための境内の切り売りが行われた結果、現在の広さとなったものである。

お初天神

元禄16年(1703年)に堂島新地の天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げた。1ヶ月後、近松門左衛門はこの2人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となった。事件の神社は一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されている。曽根崎心中の中では「三十三に御身を変へ、色で導き情けで教へ、恋を菩提の橋となし、渡して観世音、誓ひは妙に有難し」とお妙の名と観音信仰(明治以前は神仏習合が常態であった)をかけている。なお「お初」は天満屋での呼び名であり、墓所(慰霊碑)に記された久成寺(大阪市中央区中寺)での戒名は妙力信女であることから「お妙」などが推測される。

境内

  • 拝殿前の石柱には、太平洋戦争で大阪駅方向から飛来したP-51による機銃掃射の跡が残されている。
  • 平成16年(2004年)には境内に「お初・徳兵衛」のブロンズ像が建立された。

ギャラリー

境末社

  • 金刀比羅宮・水天宮(祭神:天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱)
  • 開運稲荷社(祭神:玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神)
  • 難波神明社(祭神:天照皇大神・豊受姫大神) 大阪三神明の夕日神明社

主な行事

  • 1月1日 - 初参り
  • 2月3日 - 節分祭
  • 4月7日 -「お初と徳兵衛祭り」
  • 7月第3金・土曜日 - 例大祭(夏祭り)

現地情報

所在地
  • 大阪府大阪市北区曽根崎二丁目5 - 4
交通アクセス
  • 最寄駅:Osaka Metro谷町線東梅田駅下車後、徒歩約2分
  • 最寄駅:Osaka Metro御堂筋線梅田駅及びJR東西線北新地駅下車後、徒歩約3分
周辺
  • 曽根崎お初天神通り商店街
  • 梅田OSホテル
  • 大阪駅前第3ビル・第4ビル
  • イーマ
  • ディアモール大阪
  • あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー
    • ザ・フェニックスホール
  • 梅田新道
  • 新御堂筋

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 天満宮
  • 渡辺氏
  • 神社一覧

外部リンク

  • 露天神社(通称:お初天神)
  • お初天神通り商店街会
  • お初天神 役太鼓

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 露天神社 by Wikipedia (Historical)


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