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そごう柏店


そごう柏店


そごう柏店(そごうかしわてん)は、かつて千葉県柏市の柏駅前に存在したそごう・西武が運営する百貨店。当時全国初となる都市再開発法に基づく市街地再開発事業の核店舗として1973年(昭和48年)10月10日に地方百貨店最大規模で開店。柏高島屋との競争により成長を続け、そごうグループが経営破綻した際も存続店舗となった。しかし、2000年代以降エリア競合の激化により売上高が著しく減少したため、2016年(平成28年)9月30日に閉店。43年間の営業に幕を下ろした。

そごうグループの経営破綻以前は株式会社柏そごう柏そごうとして運営していた。本項では前述した株式会社柏そごうに加え、同店が入居していた商業施設「スカイプラザ柏」(スカイプラザかしわ)とその建設のきっかけとなった都市再開発事業「柏駅東口市街地再開発事業」(かしわえきひがしぐちしがいちさいかいはつじぎょう)についても記述する。

歴史

背景

そごう出店直前(1970年前後)の首都圏では、都市化現象により急激に人口が増加しており、1985年(昭和60年)には柏市の人口は30万人、商圏人口は120万人に及ぶと推定されていた。その一方で、当時の柏駅東口周辺は、1955年(昭和30年)12月25日未明に発生した「柏の大火」の復興に伴い造成された鉄筋コンクリート造の防火建築帯「柏駅前通り商店街」を除き、1階が店舗、2階以上が住居といった商住混在の老朽化した木造建築物が密集しており、防災などの観点から問題があった。加えて、ほとんどの道路が幅員4m以下の車の交互通行が困難な道路であることや、もともと狭かった駅前広場が国鉄常磐線の複々線化計画によりさらに狭まることとなるなど、駅前周辺は歩行者と車両の通行が分離されていない大変危険な状況にあった。

現柏市域(旧柏市および沼南町)は第二次世界大戦の終結まで軍郷であり、旧日本軍による複数の軍事施設と日立製作所や東京機器工業、日本光学工業の軍需工場があったため、柏駅は戦前から既に通勤利用者数が多い駅となっていたが、前述の問題が大きく取り上げられることはなかった。しかし、1957年(昭和32年)に光ヶ丘団地が完成し、柏市がベッドタウンとして注目されるようになると、たちまち前述の問題が議論されるようになった。

初代柏市長は都市整備への意欲を示し、用地買収によって少しでも多くの広場用地を確保しようと努力したが、すべて失敗に終わった。市は用地買収による解決に限界を感じ、1964年(昭和39年)4月に柏駅前通り商店街の有志や市の有識者を中心とした「民衆駅建設促進期成同盟」を発足して駅ビルの建設による解決を試みたが、1966年(昭和41年)9月に2代柏市長が急逝しただけでなく、1967年(昭和42年)6月に公表された国鉄常磐線の複々線化計画の中で柏駅を橋上駅化することが明らかになり方向転換を余儀なくされた結果、1968年(昭和43年)に計画は頓挫。前述した民衆駅建設促進期成同盟も解散した。

1966年(昭和41年)11月に都市改造を前面に押し出す3代柏市長が就任する頃には、丸井(1964年開業)をはじめとする中小のマーケットがさかんに進出するようになり、前述の問題に拍車をかけていた。そこで3代柏市長は1968年(昭和43年)7月頃から5,300 m2の駅前広場とくるみ幼稚園脇の14m道路を骨格とした新しい開発計画を立て、前述の問題を解決することとした。

1969年(昭和44年)3月に坪川信三建設大臣が現地を視察し、前述の開発計画はやむを得ないとして、1969年(昭和44年)5月20日に都市計画が決定した。最終的には5,300 m2の駅前広場はペデストリアンデッキ(ダブルデッキ)として、くるみ幼稚園脇の14m道路は柏駅小堤台線としてのちに完成を見ることとなる。

柏駅東口市街地再開発事業

前述の計画決定から10日後の1969年(昭和44年)5月30日、都市再開発法が成立する。市はこれまで私法による再開発を目指していたが、この時になって駅前広場を拡張するだけでなく、同法により周辺を整備したいと考えた。しかし市長は「まず16m道路を完成しなければ、駅前広場には手をつけない」と言明し、この再開発事業のために設立した公社「柏市都市開発公社」(かしわしとしかいはつこうしゃ)を用いて道路用地の買収に専念した。

この道路用地の買収はわずか10か月で完了したため、市は1969年(昭和44年)10月頃から本格的に再開発に取り組むことを宣言し、1969年(昭和44年)7月から水面下で準備を行った。執行部である国の建設省再開発課への働きかけが同年12月まで連日行われる中で、1969年(昭和44年)12月6日には地権者によって新たに「柏駅前地区再開発推進協議会」と「駅東地区再開発推進協議会」が結成され、この両協議会の役員もこれに参加した。その結果、川島正次郎自民党副総裁の斡旋もあり、1970年(昭和45年)1月24日に建設省から再開発事業採択の内報が出されたため、市は柏駅東口市街地再開発事業として本格的な事業実施に踏み切った。川島は完成を見ることなく1970年(昭和45年)11月9日に急逝している。

出店要請

市の担当者と地権者は、前述の通り1970年(昭和45年)1月24日に建設省から再開発事業採択の内報が出されて見通しがつき各地へ視察に出かけていく中でアンカーストアの必要性を認識する。当時から柏市においてはアンカーストアとして百貨店3店、大型スーパー3店が名乗りを上げていて、そのうちの一つが水島廣雄率いるそごうであった

そして1970年(昭和45年)3月6日から3月7日にわたって開かれた両協議会の総会において、そごうをアンカーストアとすることを決定し、同年3月10日に柏市長と両協議会長の連名でそごうに対して次のように出店を要請した。

これに対して1970年(昭和45年)3月13日、水島は株式会社千葉そごう社長として次のようにこれを応諾した。

これにより再開発事業は1970年(昭和45年)4月より正式に開始されることとなる。なお、文中に登場する現地法人は、1971年(昭和46年)6月1日に株式会社そごうの系列会社として株式会社千葉そごうによる出資のもと資本金1億3千万円で設立された株式会社柏そごうであった。

この地域子会社方式による出店は、千葉そごうを出店する際に地元の反対をかわすため、当時の千葉県知事で出店肯定派だった友納武人の提案をもとに地域密着型の経営を目指した結果であるが、出店が失敗した場合でも本体の株式会社そごうに影響を与えない資本関係として水島とその身内で責任を取る姿勢を示し、社内にも存在した反対派を押し切る目的もあった。また、当時の水島は雇われ経営者に過ぎず、株式を自分や親族、友人で持ち、自身の判断で自由に経営できる百貨店チェーンを目指していたとも言われる。

そごうフードの開設

市がそごうに出店を要請してまもなく、そごうは本館東側付近に輸入食品を中心に販売する「そごうフード」を開業した。このそごうフードは開店準備と地元におけるイメージ作りを目的としたもので、後述する再開発ビルが完成するまでの仮設店舗であった。そごうフードは柏そごう開店直前の1973年(昭和48年)8月に閉店し、跡地は駐車場に転用された。

出店計画

1970年(昭和45年)4月、そごうは43,643 m2の売場面積で出店する計画を策定し、通商産業省に申請した。これに伴い百貨店審議会が百貨店法に基づき地元の意向を確認するため柏市商工会に確認したところ、1970年(昭和45年)5月9日に開かれた柏市商業活動調整協議会に諮られ、全会一致でそごうの出店を認める旨の答申を行い、これを承認した。一般的に見られるような反対運動が全く起こらなかった背景には、地元商店街が大型店との相乗効果を期待していたことが挙げられる。通商産業省は同年7月29日にこれを認可した。

これと並行して市は、カトー設計事務所のスタッフを中心として地権者やアンカーストアであるそごうの意見を取り入れながら再開発ビルを含む施設建築物の基本設計を行った。当時建設省が懸念していた「駅前広場の面積が狭くなること」に対応するためペデストリアンデッキ(ダブルデッキ)を設置する構想もこの段階で案出された。市は建設省との協議を経て都市計画を策定し、1970年(昭和45年)11月21日に建設省の同意を取り付け、1971年(昭和46年)1月7日に建設省がこれを認可したことにより、同年1月22日に都市計画が決定した。1971年(昭和46年)6月にはアンカーストアであるそごうとの間で賃借条件の交渉を行い、入店保証金や家賃について地権者が満足できる契約を締結することができた。

再開発ビルを含む施設建築物の基本設計と実施設計は1972年(昭和47年)2月に完了した。Cビル〔ママ〕(柏駅前第一商業協同組合ビル、通称ファミリかしわ)とA棟を地下連絡通路で接続することも検討されたが、実現はしなかった。

建設

1972年(昭和47年)2月25日、施設建築物の建設工事は大成建設によって61億1千万円で落札され、同年3月1日に開かれた柏市臨時議会において議会はこれを承認。同年3月18日に地鎮祭を行った後、大成建設は同年5月15日から本格的な工事に着手した。開店時期の問題や工事経過中の利子負担等を踏まえて18か月で工事を完了するため、再開発ビルの建設には鉄骨鉄筋プレハブ併用工法が用いられた。

A棟は1972年(昭和47年)10月5日に、B棟は同年8月31日に土木工事が完了し、コンクリートの打ち込みを経て同年11月14日に建方工事が開始された。1973年(昭和48年)5月14日からはB棟高層部の建方工事が開始され、1973年(昭和48年)5月23日には地上5階の上空連絡通路が、同年5月27日には地上8階の上空連絡通路が取り付けられた。回転展望レストランの建方工事は特に難工事だったという。

なお、これまで再開発ビルには名前が付けられていなかったが、一部の地権者や関係者の間で名前を付けようとする動きがあり、市は「広報かしわ」昭和48年(1973年)1月15日号に募集要項を記載し、同年1月21日を期限として市民から意見を募集した。その結果、集まった名前候補の数は601に上ったため、同年1月23日に選考を行い、次の5つが選ばれた。

  • 柏スカイプラザ
  • 柏ファミリープラザ
  • かしわファミリービル
  • かしわファミリープラザ
  • カシワファミリービル

このうち「ファミリー」の語を含む4つはファミリかしわとして「柏駅前第一商業協同組合ビル」に冠せられることとなり、再開発ビルは「スカイプラザ柏」(スカイプラザかしわ)と命名された。これら5案の発案者は1973年(昭和48年)1月30日に市長室で開催された表彰式において表彰され、柏市長、地元協議会、柏そごうから記念品が贈呈された。

付随施設の建設

再開発ビルの建設と並行してそごうは物流センターや駐車場などの付随施設の建設を進めた。物流センターは「高田配送センター」として1973年(昭和48年)10月に開設され、9,912 m2もの広大な敷地に延床面積4,485 m2の倉庫が建つ当時としては巨大なものであった。駐車場は平面式のものが市内8か所に設置され、店舗との間でマイクロバスがピストン運行された。

開店

1973年(昭和48年)10月10日、地域子会社である株式会社柏そごうにより柏市柏1丁目に開店。開業時のキャッチフレーズは「みどりのまちにお城のような百貨店」。いよてつそごうに続くそごうグループ第6号店であり、千葉県内では千葉そごうに続く第2号店であった。当時10店舗を目指すそごうによる多店舗化計画の一端を担い、また「トリプルそごう計画」(30店舗構想) へと続くその後の拡大化路線を牽引する店舗として、そごうにとって重要な意味を持つと同時に、当時全国初となる都市再開発法の適用店舗であったことから、小売業界はもとより全国の自治体や建設業界をはじめとする業界内外の関心を集めることとなる。

前述した再開発の影響で同じ東口にはファミリかしわ・丸井柏店(後に丸井柏VAT→現柏マルイ)が、西口には柏髙島屋(現柏髙島屋ステーションモール)が同年に開業した。当時は百貨店の新・増築ラッシュの時期であり、全国的に見ても同年代の他の年と比較して多くの百貨店が開業している。後に開業するサカモトそごう・船橋そごうとともに、千葉そごうを核とした4店舗体制でそごうは「千葉県完全制覇」を目指した。

8階建てのA棟は「プラザ館」(または「別館」)、14階建てのB棟は「本館」(または「タワー館」)と呼ばれ、後述するアネックス館の完成までは2館体制であった。ゴシック様式風の窓が並ぶ特徴的かつ巨大な高層建築は当時から圧倒的な存在感を放ち、柏駅前のシンボルとして広く認知されるに至っている。プラザ館地下1階の一部と4階以上、そしてタワー館全体に跨る広大な売場面積は35,477 m2 (兼業面積 2,867 m2 を加えると 38,344 m2) に及び、地方百貨店最大規模を誇った。商圏には千葉、茨城、埼玉の三県に跨る首都圏東部20 - 50 kmの広域が設定され、25歳 - 40歳の主婦を中心としたファミリー層をターゲットとした。

本館(タワー館)地上1階 - 地上2階には「よろこびの広場」と称される吹き抜けが設けられ、ここにシンボルゾーンとして「光木の林」が設置された。このシンボルゾーンは樹木を模した金色のオブジェをシャンデリア状に装飾した多灯照明器具で、開業時のキャッチフレーズにちなんだものであった。シンボルゾーンの根本には川を模した水路が敷設された絢爛な舞台も設置され、しばしばショーが開催された。

経営効率化のため少数精鋭主義が徹底され、百貨店業界で当時主流だった売場面積から必要人員を計算する手法ではなく商品配置から必要人員を計算する手法を採用した結果、正社員560人という同業他店と比較して圧倒的に少ない人員構成でスタートした。これにより売上に占める人件費の割合を6%程度で据え置くことに成功し、従業員一人当たり年間売上高・粗利額ともに高い水準を保っていた。この手法は大宮そごうへと続くそごうの基本的な出店戦略の一つとして取り入れられることとなる。

株式会社柏そごうの初代取締役社長には水島廣雄が、初代店長・常務取締役には野村證券元社長・会長である瀬川美能留の長男、瀬川久雄が就任した。瀬川美能留は株式会社千葉そごうの設立時に平木信二などと並んで資本金を出資している。瀬川久雄は後に株式会社柏そごうの社長へ昇格した。

開店後

1980年代以前

開業後まもなく第一次オイルショックが発生したものの、ほとんど影響を受けずにわずか6年目の1980年(昭和55年)に通期黒字化を果たした。11年目の1985年(昭和60年)2月期には累積損失を解消し、1987年(昭和62年)2月期に売上高450億円規模へ到達したことにより、千葉そごうに続いて県内第2位の売上を誇る優良店舗に急成長している。黒字転換後は千葉そごうや広島そごうと並んでそごうグループの新規出店の際に出資し、そごうグループの多店舗展開を支えていた。

また、前述の通り都市再開発法の第一号適用店舗であったことから、開業後数年にわたって自治体や建設関係者、商工業者を中心に、市街地再開発の成功事例として全国から頻繁に視察団が訪れていたという。駅前再開発に参画し核店舗として巨艦店を出店する「駅前巨艦主義」は、広島そごう以降前述した少数精鋭主義と合わせてそごうの基本的な出店戦略となった。

大規模小売店舗法により開業当初は売場として使用できなかった面積を利用して増床を繰り返し、1987年(昭和62年)時点で売場面積は38,300 m2まで増加していた。1986年(昭和61年)時点での売上高は小売業者としては全国で135位、そごうグループ内では千葉そごうに次ぐ3位であった。1984年(昭和59年)からは船橋ららぽーとや銀座などに出店するサンダリアンを統括下に入れ、これを利用した商圏内の深耕も計画していた。

その一方で、黒字転換後まもなく常磐線沿線や国道16号をはじめとする幹線道路沿いに競合する大型店が出店するようになり、既にエリア競合が発生していただけでなく、柏高島屋が駅ビル「柏ローズタウン」のキーテナントとなり増床することが予定されるなど、同店を取り巻く環境は早くも大きく変化しつつあった。この環境変化を先取りするため、ターゲット層を下げるとともに周辺都市の人口増加に対応し、広域集客力を強化することを目的として、1984年(昭和59年)3月から全館リニューアルを実施する。1987年(昭和62年)までにタワー館・プラザ館それぞれの婦人服フロアと食料品売場、いわゆるデパ地下を筆頭に、婦人雑貨フロアと紳士服フロア、家庭用品フロアのリニューアルを終え、1988年(昭和63年)中に婦人服フロアと婦人雑貨フロアを再強化した。この結果、食料品のシェアを24% - 25%台に維持しながら、平日に対する土日の来店客数比を3倍から2倍へ縮小させることに成功し、平日の集客力と広域集客力の強化に繋がったとされる。

加えて、外商活動の強化を通した固定客獲得にも力を入れ、80人体制の外商部だけでなく全社員で外商活動を行う「全員外商」を掲げてローラー作戦を展開していた。ジョブ・ローテーションを実施し、1987年(昭和62年)時点で正社員580人のうちほとんどが外商部経験者になっていたとされる。これに連動して、1987年(昭和62年)までに新松戸、南桜井、石岡、龍ケ崎、岩井、土浦、水海道、新八柱、鎌ケ谷といった千葉、茨城、埼玉の三県に跨る首都圏東部20 - 50 kmの商圏内に9か所のギフトショップを開設しており、年商2億円を目標としていた。これらの「拠点づくり」は船橋そごうや大宮そごう、千葉そごうと連携して進められ、相互に守備範囲を分割、明確化しながら一部フランチャイズ形式で展開していたという。一連の外商活動を通して外商カードとその他提携カードを柏市の人口の約3分の1にあたる10万枚発行することが最終的な目標とされた。1987年(昭和62年)時点での発行枚数は外商カード約2万枚、その他提携カード約5万枚の合計約7万枚であった。

外商活動の強化と並行してダリア友の会の会員獲得も目指した。その一環として1988年(昭和63年)春から店舗内外に活動のためのスペースを設けている。こちらも会員数10万人が最終的な目標とされた。1987年(昭和62年)時点の会員数は3万8千人であった。

これらの施策は全て1980年代前半に立てられた中長期経営計画のもとで進められた。この中長期経営計画は1989年(平成元年)2月期の決算までにそごうグループ全体で売上高1兆円に到達することを目標とする「一兆円構想」を達成するためのものであった。

1990年代

1980年代は飛躍的な成長を遂げてきた同店であったが、店長の瀬川は施設規模の制約や百貨店事業を制限する現行法規との兼ね合いでこれ以上の施策は難しいと感じていた。実際、1990年度に売上高は590億円でピークを迎え、それ以降は閉店に至るまで減少傾向が続いている。

また、1992年(平成4年)4月にはついに駅ビル「柏ローズタウン」が再編され、柏高島屋が柏髙島屋ステーションモールとして一体化するなど、エリア競合は一層激しさを増していた。これに対抗するためには従来行ってきた百貨店事業の強化だけでは不十分だと判断した瀬川は、百貨店を核とした「街づくり事業」を計画する。1992年(平成4年)12月、「世界の人形時計」を2階正面口前に導入したことを皮切りに、1993年(平成5年)5月には献血ルーム等がある「アネックス館」(または「ラフィネ館」)を開館した。6階建てであり、地下2階と6階が連絡通路を通じてそれぞれタワー館の地下2階と5階に接続されている。これにより2館体制から3館体制となった。

加えて、集客力のさらなる向上のため新たな駐車場の確保も進めた。平面駐車場だった株式会社柏そごうが所有するそごう第一駐車場を立体化したうえ、寺嶋駐車場と提携しそごう第二駐車場として同様に立体化させ、同店としての車両収容可能台数をタワー館地下のものと合わせて1400台に増加させた。前述の2つを含めたこれらの「街づくり事業」は千葉そごうや広島そごう、そごう神戸店を参考に「そごうタウンづくり」として進められ、商圏内の環境変化に影響されないような強い集客力を持つ「柏そごうタウン」の建設を目指すものであった。

1996年(平成8年)5月にはそごう神戸店に続いて高齢者向けに介護福祉用品等を販売するシニア向けコーナーを設置し、高齢者を顧客として意識した品揃えも実施している。

そごうグループの経営破綻

2000年(平成12年)7月11日、柏そごうを含む全国のそごうの店舗の代表者が東京に集まり、経営悪化に対する対応が協議された。株式会社柏そごうを含むそごうグループ全社は自主再建を目指していたが、深夜に及ぶ協議の末、株式会社柏そごうを含むそごうグループ全社が自主再建を断念、翌7月12日、運営会社であった株式会社柏そごうは株式会社そごうをはじめとする計22社と共に民事再生法の適用を申請し、約1238億円もの負債を抱えて事実上倒産した。そごうグループ内で貸付金や債務保証などが行われていた関係上、そごうグループ各社の負債総額は運営する店舗の売上高と連動していなかったため、前述の通り柏そごうの売上高は1998年時点で403億円と郊外の店舗としては極めて好調であったが、株式会社柏そごうも巨額の負債を抱えた状態で民事再生法の適用を申請することとなった。

経営破綻直後の2000年(平成12年)10月時点での従業員数は以下の通りである。

その後は株式会社柏そごうが100%減資した上、全額出資を受ける形で株式会社十合の完全子会社となる。

その約2年後となる2002年(平成14年)9月1日、株式会社柏そごうは株式会社十合傘下の10社と共に株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)に吸収合併され解散した。

民事再生後

前述の通り2002年(平成14年)9月1日、運営会社であった株式会社柏そごうが株式会社そごうに吸収合併されたため、以降は株式会社そごうによって運営されることとなり、店名も柏そごうからそごう柏店へ変更された。

元々駅前立地という点でライバルの髙島屋と競合関係にあったが、駅ビル「柏ローズタウン」が再編され1992年に「柏髙島屋ステーションモール」として高島屋をキーテナントとし一体化したことや、半径5キロ圏内にイオンモール柏をはじめとする大型のショッピングセンターが次々と進出したことにより、一気に苦戦を強いられることとなった。

2003年(平成15年)に他のそごうがリニューアルする中、柏店もリニューアルを行った。かつては「名店食堂街」と呼称したレストラン街は10階以上だったものを12階・14階のみとし、空いた10階・11階をそごうの売り場にし、スカイプラザの建物でそごうが営業していた売り場がいくつか本館(タワー館)に移動した。

2003年(平成15年)6月1日、運営会社であった株式会社そごうは、株式会社十合並びに株式会社西武百貨店と百貨店グループ「ミレニアムリテイリンググループ」を発足。

2008年(平成20年)4月15日、装置の老朽化及び東京ディズニーリゾートとの「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイドステージ」のスポンサー契約終了に伴い、正面玄関前に設置されていた、毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」の運用を終了、翌日より時計および鐘のみとなる。

2009年(平成21年)8月1日、運営会社であった株式会社そごうは、株式会社西武百貨店と株式会社ミレニアムリテイリング(旧株式会社十合)を吸収合併し、株式会社そごう・西武に社名変更。

店舗改革

2011年(平成23年)9月、運営会社であるそごう・西武は郊外の店舗をシニア向けに改装することを発表し、柏店をそのモデル店舗に位置付けた。婦人服売場の約3分の1にあたる2,600 m2が60代以上向けの売り場に改装され、2011年(平成23年)9月9日にリニューアルオープンした。

その一環として2012年(平成24年)3月1日には2度目の改装となる「春のリニューアル」が実施され、本館(タワー館)の上層階への動員強化のためアネックス館にあったよみうりカルチャー柏を本館(タワー館)11階に移動するとともに、館内5ヶ所にシニアの関心が高い講座を提供するオープン教室を設置した。2012年(平成24年)3月8日にはそごう・西武で初の試みとしてシニアの肌悩みに応えるアイテムを集積した20 m2の化粧品売り場「キレイガーデン」を本館(タワー館)6階の「おしゃれガーデン」内に設置した。

開店から40周年を迎える2013年(平成25年)8月にはそごうの店舗で初となる女性店長が就任し、女性の視点も生かした店作りが行われることとなる。

閉店発表

2016年(平成28年)3月8日、運営会社であるそごう・西武は同店を約半年後の2016年(平成28年)9月30日をもって閉店することを同社の取締役会で決定した。人件費などコスト削減を断行しても収益改善するまでには至らず、売上高はピーク時の約2割まで減少していた。同年4月にはそごう・西武と柏市の間で意見交換が行われ、同年5月には柏市と商工会議所、商店会連合会からそごう・西武に要望書が提出されたが、閉店の決定が覆ることは無かった。2016年(平成28年)7月12日からは各フロアで閉店売り尽くしセールが行われ、多くの人が訪れた。

最終日には開店後5分間で約2千人が来店するなどし、店内は別れを惜しむ人々で終日ごった返した。本館(タワー館)14階の回転レストランは終日満席となり、店外も外観を写真に収めようとする人々で賑わった。本館(タワー館)2階では「『そごう柏店と東口の歩み』とメッセージ展」が開催され、そごう出店以前の柏駅前の写真や開店当日の空撮写真、1977年(昭和52年)の新春初売り案内などが展示され、サンプラザ中野くんをはじめとする有名人や常連客など、約200人の思い出と別れの言葉が書き込まれた紙が掲示された。

閉店

2016年(平成28年)9月30日午後8時頃、事前の発表通り閉店した。43年間の営業に幕を下ろし、そごうから回転レストランがなくなった。閉店の際には閉店セレモニーが行われ、店長からの挨拶や柏市商店街連合会会長から店長へ花束の贈呈などが行われた。この間ペデストリアンデッキ(ダブルデッキ)は数百名の地元市民で埋め尽くされ、シャッターが閉まり始めると拍手とともに感謝の声が上がった。閉店セレモニーの様子は柏市のウェブサイトで見ることができる。

跡地の利用に関してはそごう・西武が、現在の建物を当面の間商業施設として存続させることを売却条件に三井不動産へ売却したものの、三井不動産は2022年(令和4年)5月現在解体を視野に市と協議している。閉店後は立ち入り自体もできなくなっているが、お歳暮・お中元時期に限り、閉店後もスカイプラザ8階の空きスペースを利用し、そごうとしてギフトセンターを開設することで、季節営業をしばらくは続けていた。その点では、同じく2016年度に閉店し、閉店後に茨城県唯一の百貨店となった京成百貨店が、跡地にギフトセンターを季節営業している同グループの西武筑波店(茨城県つくば市)とは異なっている。後述する「よみうりカルチャー柏」の2017年(平成29年)の移転に伴い、スカイプラザ8階の空きスペースがなくなったため、同年お中元時期の営業が最後となった。

同じ柏市内(旧沼南町域)に2016年(平成28年)4月25日に開業したセブンパーク アリオ柏には、そごう・西武の食料品に特化したいわゆるデパ地下形態の「西武・そごう柏SHOP」が出店するため、小型店で場所・業態は変わるものの、柏市内に「そごう」の屋号が残る形にはなる。

そごうが閉店してから丁度1年になる2017年(平成29年)9月30日には、そごう閉店後も11階で営業していた「よみうりカルチャー柏」も、同年10月5日からのスカイプラザ8階への移転に伴い閉店が決定した。これにより旧本館で引き続き営業するのは2階の「ちばぎんコンサルティングプラザ柏」のみとなったが、旧本館の入口とは別の入口のため、旧本館入口は閉められ、エレベーターの稼働も停止される。

2021年(令和3年)2月、旧本館建物全てを三井不動産が取得し、同年9月24日には最後まで営業を続けていた「ちばぎんコンサルティングプラザ」も営業を終了した。

2022年(令和4年)4月1日、柏市は施設所有者である三井不動産に対して、同店の閉店から5年以上たっても建物が利活用されず塩漬け状態にあることは街のイメージを損なうとし、早期の利用方針決定を求める要望書を提出した。

2022年(令和4年)5月24日、前述の通り柏市から要望書が提出されたことを受けて、施設所有者である三井不動産が解体を視野に市と協議していることが分かった。

2023年(令和5年)6月2日、柏市長の太田和美は同日開催の市議会本会議で駅前でのゆとりある広場空間の必要性やスカイプラザ柏並びにファミリかしわを含めた東口全体の再整備において、市が主導的な立場で関与していく観点から、本館跡地を三井不動産から購入する方向で同社と交渉する方針であることを明らかにした。

2024年(令和6年)2月、三井不動産が店舗跡地を更地にした上で柏市に売却することで合意したと報じられた。これに合わせ、柏市は土地の購入費用(86億円)を計上した2024年度補正予算案を市議会に提案する。建物の解体は同年6月から行い(2026年12月までに完了の予定)、費用は三井不動産が負担する。

スカイプラザ柏

スカイプラザは元々は「スカイプラザ柏」の名称で営業し、そごうとは別の扱いでありそごう大宮店内にある「OSS24」と同様に元々そごうがあった場所の地権者によるテナントが主に入居して営業している。当時はファミリかしわと比較してスカイプラザのほうが賃料が高く設定されていたため、比較的財力の高い地権者がスカイプラザに入居し、それ以外はファミリかしわに入居し現在に至っている。

前述の2003年のそごうリニューアルに伴い、スカイプラザで空きができた場所は、2005年(平成17年)3月10日にビックカメラに継承され、ビックカメラ柏店となった。ビックカメラに関してはスカイプラザの一部としての扱いであり、4階から6階はそごうからスカイプラザに移管されたため、前述のそごうとしての売場面積縮小となった。

2015年(平成27年)3月にはスカイプラザもリニューアルが行われ、地権者テナントは基本的に1階に集約され、2階はビックカメラの携帯電話・スマートフォン売り場の拡大および洋服の青山が新規開業した。

前述のとおり2016年9月30日をもってそごうは閉店したが、スカイプラザおよびビックカメラ・洋服の青山については、そごう柏店閉店後も営業を継続している。ただし、8階については「そごう専門店」としての扱いであるため、多くの店舗は市内の別の建物に移転し、ごく僅かだけ8階での営業を続けており、前述のとおり2017年10月からは「よみうりカルチャー柏」も移転。これによりスカイプラザ側は概ね地下1階から6階までの営業となっている。「そごう専門店」内の山野楽器・ほけんの窓口、本館の地下1階で営業していた「柏あき山」(とんかつ店)、1階で営業していたビアードパパの作りたて工房については、同年10月27日にオープンした柏モディに移設した。山野楽器は10月20日まで、ほけんの窓口は10月9日までとモディに移設する直前まで営業を継続した。

そごう・西武の持ち分に関しては、そごう閉店後の2018年(平成30年)2月に三井不動産が取得しているが、2019年(平成31年)3月に大成建設へ売却している。

閉店後の跡地利用

旧本館

閉店から4年近くに渡り放置状態だった本館跡地は、優先交渉権を有していた三井不動産が2020年11月までに全ての地権者との交渉を終了させ、購入することで所有権を得た。これにより、跡地利用に向けた動きが加速するものと見られていたが、2022年(令和4年)5月24日、施設所有者である三井不動産が解体を視野に市と協議していることが分かった。

2021年6月から8月にかけて、柏アーバンデザインセンターにより2階正面玄関前にブランコが設置された。

旧アネックス館

2023年(令和5年)5月現在、全ての土地を地元の個人と企業が所有している。そごう・西武の持ち分であった建物の一部は既に三井不動産へ売却されている。2023年から2024年までに以下を設置予定

  • 子ども・子育て支援複合施設
  • 送迎保育ステーション
  • 妊娠子育て相談センター
  • こども図書スペース
  • 乳幼児一時預かり
  • 中高生世代の居場所

第一駐車場

そごう・西武が土地・建物全てを保有していたため、地権者との交渉に難航していた旧本館とは対照的に迅速に交渉が成立し、2018年秋頃三井不動産へ売却された。その後は解体が行われ、タワーマンション「パークホームズ柏タワーレジデンス」が建設された。

館内

本稿では本館およびスカイプラザ部分のみを示す。斜体字は、そごうエリア外の店舗を示している。本稿では概要を示しているので、アネックスおよび各フロアの詳細はフロアガイドを参照。

本館の13Fは店舗スペースではなく、一般人の立ち入りはできない。

本館14階はそごう名物でもある回転展望レストランであり、2016年(平成28年)9月30日までは、営業しているそごうの中で、唯一営業していた店舗であった。開業当初よりホテルオークラ系列の店舗であり、当初はフランス料理店(ラ・ロンド)であったが、その後店舗が入れ替わり、閉店までは中国料理店(桃源)が営業していた。

2021年10月以降の館内

2021年10月以降は、2021年9月24日にちばぎんコンサルティングプラザ柏が営業終了したことに伴い、旧本館は全て閉鎖となった。

2017年10月 - 2021年9月の館内

2017年10月から2021年9月までは旧本館で営業するのは2階のちばぎんコンサルティングプラザ柏のみとなった。なお、スカイプラザ地下1階で長年営業していた浅野書店は2018年5月20日で閉店し、同年7月からはダイソーが出店している。

そごう閉店後(2016年10月 - 2017年9月)の館内

2016年10月から2017年9月までは、当面以下の売り場構成である。なお、スカイプラザ8階の旧そごう専門店のうち、2店舗(たかの友梨ビューティクリニック、クレージュ・サロン・ボーテ)は営業を継続している。

そごう閉店時(2016年9月)の館内

2003年のリニューアル後、屋上遊園のあったスカイプラザの屋上は、通常営業では立ち入りはできないようになっていた。2013年からは夏季に限りビアガーデンとして営業することになった(6 - 9月に営業)。また、2013年(平成25年)までは、毎年7月に開催される柏まつりのイベントの1つである「柏市工業祭」が行われていた(2014年(平成26年)以降は本町通り商店街での開催に変更)。

2012年(平成24年)にリニューアルが行われ、3月には開業時よりスカイプラザ(旧プラザ館)8階にあった催事場が本館10階に、アネックス館にあったよみうりカルチャー柏が本館11階に移動した。逆に、本館10階・11階にあった生活用品・寝具関係については、本館8階のPTSトラベルナビ跡地や、子供服売り場を若干縮小して移動した。また、催事場のあったスカイプラザ8階には同年7月にたかの友梨ビューティクリニックがオープンし、8月15日には山野楽器がオープンし、スカイプラザ8階を「そごう専門店」とした。

スカイプラザ
以前にそごうが入居していた面影を現在に伝える形跡としては、以下のものがある。
  • 建物のデザインが類似している(例:窓枠の形 等)
  • タワー館(そごう本館)との連絡通路がある(B1F・5F・8F)

(参考)2002年以前の館内

ビックカメラ開業前は、概ね以下のようなフロア構成であった。斜体字は、そごうエリア外の店舗を示している。当時も本館の13階は店舗スペースではなく、一般人の立ち入りはできなかった。

沿革

  • 1971年(昭和46年)
    • 1月 - 都市計画決定。
    • 8月 - 事業計画認可。
  • 1972年(昭和47年)
    • 2月 - 権利変換計画認可。
    • 4月 - 建築工事着工。
  • 1973年(昭和48年)
    • 6月1日 - 株式会社柏そごう設立。
    • 9月 - 工事完了公告。
    • 10月10日 - 柏そごう開店。
  • 1992年(平成4年)
    • 10月10日 - 2階正面口前に「世界の人形時計」が設置。
  • 1993年(平成5年)
    • 5月 - 「アネックス館」が完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 7月1日 - 株式会社柏そごうが民事再生法の適用を申請し事実上倒産。
  • 2002年(平成12年)
    • 9月1日 - 株式会社柏そごうが株式会社十合傘下の10社と共に株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)に吸収合併され解散。以降は株式会社そごうによって運営されることとなり、店名も柏そごうからそごう柏店へ変更。
  • 2003年(平成15年)
    • 2月 - 他のそごうが閉店またはリニューアルする中、柏店も全館リニューアルを実施。
    • 6月1日 - 株式会社そごうが株式会社十合並びに株式会社西武百貨店と百貨店グループ「ミレニアムリテイリンググループ」を発足。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月15日 - 2階正面口前に設置されていた、毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」の運用を終了。翌日より時計および鐘のみとなる。
  • 2009年(平成21年)
    • 8月1日 - 株式会社そごうが株式会社西武百貨店と株式会社ミレニアムリテイリング(旧株式会社十合)を吸収合併し、株式会社そごう・西武に社名変更。
  • 2016年(平成28年)
    • 3月8日 - そごう・西武がそごう柏店を2016年(平成28年)9月30日をもって閉店することを発表。
    • 4月 - そごう・西武が柏市と意見交換。
    • 5月 - 柏市と商工会議所、商店会連合会がそごう・西武へ要望書を提出。
    • 7月12日 - 閉店売り尽くしセールが開始。
    • 9月20日 - 「『そごう柏店と東口の歩み』とメッセージ展」が開始。
    • 9月30日 - そごう柏店が閉店。
  • 2017年(平成29年)
    • 9月30日 - そごう閉店後も11階で営業していた「よみうりカルチャー柏」が同年10月5日からスカイプラザ8階への移転が決定。
    • 10月5日 - 「よみうりカルチャー柏」がスカイプラザ8階へ移転。
  • 2021年(令和3年)
    • 2月 - 旧本館建物全てを三井不動産が取得。
    • 9月24日 - 旧本館で最後まで営業を続けていた「ちばぎんコンサルティングプラザ」が営業を終了。
  • 2022年(令和4年)
    • 4月1日 - 柏市が施設所有者である三井不動産に対して早期の利用方針決定を求める要望書を提出。
    • 5月24日 - 柏市からの要望書を受けて三井不動産が解体を視野に市と協議していることが判明。

その他

  • 同じ建物内で、プロ野球の応援しているチームが異なっていた。
    • そごうでは、運営会社がそごう・西武となった関係上、埼玉西武ライオンズの応援・優勝セールを実施していた。
    • ビックカメラでは、同じ千葉県内の船橋駅店同様に千葉ロッテマリーンズの応援・優勝セールを実施している。西口の高島屋でも千葉ロッテマリーンズの応援・優勝セールを実施している。
  • キノコホテルが2016年(平成28年)7月27日にリリースしたアルバム『マリアンヌの革命』の中に、「回転レストランの悲劇」という楽曲があるが、これは前述の回転レストランからイメージして作られた曲である。同店の閉店によってそごうから回転レストランがなくなってしまうことを知り、閉店直前の2016年4月に、実際に回転レストランで食事をして作った曲である。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • “そごう柏、9月末閉店 「思い出の場所」「経済牽引」 地域衰退に懸念 千葉”. 産経新聞:産経ニュース. SANKEI DIGITAL, INC (2016年9月30日). 2024年4月25日閲覧。
  • “そごう柏店トップ”. 西武・そごう 公式サイト. 西武・そごう. 2016年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月25日閲覧。
  • “西武旭川店ならびにそごう柏店の営業終了について”. 株式会社そごう・西武 (2016年3月8日). 2024年3月25日閲覧。
  • “柏市地域公共交通網形成計画 資料3”. 柏市 (2019年2月). 2024年3月25日閲覧。
  • “「そごう柏店」を撤退に追い込んだ過酷な事情”. 東洋経済オンライン (2016年3月13日). 2024年3月25日閲覧。
  • 『事業史』柏市、1973年10月6日。 
  • “6:昭和30年代の柏 ~ 柏 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産”. 三井住友トラスト不動産. 2024年3月25日閲覧。
  • 柏市 (2021年2月26日). “第4回 柏の大火と商店街の復興”. 柏市. 2024年3月25日閲覧。
  • 時代を画した再開発事業. 公益社団法人 全国市街地再開発協会. (2019) 
  • 柏市 (2021年2月26日). “柏の軍事基地”. 柏市. 2024年3月25日閲覧。
  • “2016年、柏の「マルイ」が生まれ変わります「柏マルイ」4月28日(木)先行オープン”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES (2016年4月14日). 2024年3月25日閲覧。
  • “History Timeline”. 柏二番街商店会. 2024年3月8日閲覧。
  • “イトーヨーカドー 柏店 | 千葉県 柏市”. stores.itoyokado.co.jp. 2024年4月10日閲覧。
  • “都市再開発法 昭和44年6月3日法律第38号 | 日本法令索引”. 国立国会図書館. 2024年3月25日閲覧。
  • “そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び”. 東洋経済オンライン (2019年12月20日). 2022年8月22日閲覧。
  • 『流通会社年鑑 1978年版』日本経済新聞社、1977年10月。 
  • 『株式会社そごう小史』そごう、1979年12月。国立国会図書館書誌ID:000001544767。 
  • 柏市. “柏駅東口市街地再開発事業”. 柏市. 2024年3月26日閲覧。
  • 山森俊彦『そごう怒涛の大航海』デパートニューズ社、1988年3月25日。ISBN 978-4915293009。 
  • “全国都道府県別SC一覧 千葉県”. 日本ショッピングセンター協会. 2011年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月30日閲覧。
  • 佐藤正忠『「そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月1日。ISBN 978-4766702514。 
  • “そごう柏店、閉店へ 9月末、業績低迷で”. 千葉日報 (2016年3月9日). 2024年3月25日閲覧。
  • “そごう柏店アネックス館/柏駅周辺、千葉県内の賃貸事務所ならビルネット千葉”. buil-net-chiba.com. 2024年3月25日閲覧。
  • 谷内正往『日本の百貨店史』日本経済評論社、2018年10月15日。ISBN 978-4818825024。 
  • 有森隆『巨大倒産』さくら舎、2017年10月11日。ISBN 978-4865811209。 
  • “キノコホテル、来る創業10周年に向けての<革命>! 新たなおもてなしも用意した新アルバム『マリアンヌの革命』を語る”. Mikiki (2016年7月27日). 2016年7月28日閲覧。

外部リンク

  • そごう柏店 - ウェイバックマシン(2016年8月15日アーカイブ分)
  • スカイプラザ専門店街

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: そごう柏店 by Wikipedia (Historical)


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