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香福寺


香福寺


香福寺(こうふくじ)は、相模原市緑区にある臨済宗建長寺派の寺院。詳名は橋本山香福寺。本山は建長寺。

歴史

応永年間(1394年~1427年)に創立された。開山は蔵海性珍。本尊は地蔵菩薩であり、かつて薬師堂にあった薬師如来像が安置されている。開基不詳。山門は19世紀に建てられたという。

香福寺は開山後ほどなくして衰退したと思われる。開山と第二代住職との間に59年、二代と三代の間に66年、三代と四代の間に47年の開きがあり、開山してすぐに無住の状態に陥ったことがわかる。1594年(文禄2年)の検地では地蔵堂だったといい、当時は御本尊が祭られているのみだったと考えられる。

その後の中興開基は矢島左今尉(1640年11月15日没)が行ったといわれる。矢島氏は甲州・武田家の遺臣であり、武田の滅亡後、橋本に落ち着いた。

かつて延寿堂(僧の病を療養する施設)があり、すでに天保の頃(1831年~1845年)には遺跡になっていたといわれる。一般的に延寿堂は大寺にあったとされているため、かつての香福寺も大寺であったと考えられる。また古書には常慶庵という別院があったとも記されている。

近年では新墓地も造成されている。

境内

鐘楼

平面は桁行2.7m、梁行2.4mの長方形。細部は禅宗様を基本とし、内部は格天井を張り、出組で直接天井桁を受ける。

山門

一間一戸の四脚門で、すべての柱が丸柱である。 鐘楼とは、異なり素木造で、江戸時代後期に造られた。

三つ鱗の紋

本堂・山門・鐘楼・客殿の棟や鬼瓦、硝子戸などに三個の三角形を品字型に並べた、「三つ鱗」の紋がついている。この紋は鎌倉幕府の実権を握った、鎌倉北条氏の紋と同じである。円弧が重なった文様ではなく、三角形の文様を鱗とするのは、この文様の鱗は魚の鱗ではなく、龍や蛇の鱗であるという説がある。

文化財

コウヤマキ

香福寺の庭には樹齢400年の立派な高野槙の木がある。相模原市保存樹木

徳本念仏塔

香福寺の山門に向かう参道右手に徳本念仏塔がある。塔は高さ144cm、幅61cm、奥行き35cmの自然石である。徳本は浄土宗の仏門に入り、1784年(天明4年)26歳の時に出家し、諸国を巡錫し布教していった。塔には「南無阿弥陀仏」が独特な書体で書かれ、署名・丸に十の字の花押が添えてある。1978年(昭和53年)、相模原市教育委員会の調査によれば、市内に徳本念仏塔は13基確認されている。相模原市登録有形民俗文化財

交通アクセス

  • 鉄道
    • JR東日本横浜線・相模線、京王電鉄相模原線 橋本駅より徒歩10分
  • バス
    • 橋本駅より京王電鉄バス「香福寺前」バス停下車すぐ

周辺施設

秋葉大権現

香福寺西隣接地に「秋葉大権現」と彫られた角柱塔形式の秋葉塔がある。火伏せの神様として「秋葉様」「秋葉さん」と呼ばれ、近年まで信仰されている。市域で34基の秋葉塔が18世紀半ばから19世紀半ばにかけて造立されているが、ここの秋葉塔は1768年(明和5年)造立で市内では最も古い。

1841年(天保12年)4月夜、境川近くの民家から出火、街道沿いに28戸、80棟を焼く大火となった。火は香福寺まで迫ったが、秋葉大権現のところで風向きが変わり難を逃れた。これにより更に信仰が篤くなり、1917年(大正6年)に電気が開通するまでは秋葉講員の家に「ほくち箱」が廻され、交代当番制で毎晩燈明を供えたという。11月17日の秋葉大権現の祭事では香福寺の住職により読経が行われるという。

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脚注

外部リンク

  • 臨済宗 香福寺|相模原市 相模原仏教会【公式】

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 香福寺 by Wikipedia (Historical)


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