幽霊井戸(ゆうれいいど)は、長崎にあった井戸。
長崎三名井(または長崎三大美水)の1つで、柳泉(やなぎのいずみ)とも呼ばれた。どれほどの日照りの年でも、よその井戸と違ってこの井戸は涸れることなく、滾々と冷たい水が湧き出たという。
この井戸は、舗装工事により埋められ、跡に石だけが残されている。
飴買い幽霊
長崎の麹町にある飴屋に、ある夜24,5歳くらいの女性が飴を買いに来た。それから毎晩1文ずつ払って飴を買う女を怪しんだ主人が後をつけると、伊良林の光源寺の墓地で女は姿を消した。その墓から赤ん坊の泣き声がするので掘ってみると、母親の遺体のそばに赤ん坊がいた。女が飴を買う際に払った銭は棺に入れられた六道銭であった。
全国にある子育て幽霊譚の1つだが、長崎の話は、水不足で困っているという飴屋の主人に、子供を助けてくれた礼に女性の幽霊がそこを掘れば水が出ると教えた。その場所を掘ると水が滾々と湧き出たのが、幽霊井戸の由来と伝わる。
この話には、いくつか類話があり、
- 飴屋の主人が1人で女の後を追ったのではなく、毎晩飴を買いに来るという女の噂を聞いた若い者たちとともに後をつけた。
- 応対をしたのは店の若い者で、後を尾けて赤ん坊の泣き声がした墓を掘り起こしたのはこの若い者だった。
- 飴屋が横町を歩いていると、女物の櫛が落ちているのに気付き、そこを掘ると水が湧き出た。
- 櫛が落ちていたのは飴屋の前だった。
- 六文銭を使い切った7夜目に、飴を恵んでくれたお礼にと、女は水が湧き出る場所を店先で教えた。飴屋が女の後をつけて墓地で赤子を見付けたのはその後のことだった。
など、内容には多少の差異がある。
光源寺の幽霊像
飴買い幽霊の話に出てきた女性は、長崎出身の彫刻師・藤原清永が京都で修行中に深い仲になった娘だった。しかし、故郷に帰った清永が別の女性と結婚したと知り、後を追ってきた娘は悲しみと疲労のため急死した。彫刻師は子供を引き取り、娘を葬った光源寺の寺に幽霊像を造っておさめたという。
幽霊像は年に1回8月16日(旧暦7月16日)に開帳される。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 長崎県高等学校教育研究会 地歴公民部会歴史分科会 編『長崎県の歴史散歩』山川出版社、2005年6月。ISBN 978-4-634-24642-3。
- 福田清人、深江福吉『日本の伝説』 28 長崎の伝説、角川書店、1978年3月。
- 本田貞勝『長崎奉行物語 サムライ官僚群像を捜す旅』雄山閣、2015年1月。ISBN 978-4-639-02346-3。
- 宮地武彦、山中耕作『日本伝説大系』 13 北九州編、みずうみ書房、1987年3月。ISBN 4-8380-1413-9。
- 山口麻太郎『西海の伝説』第一法規出版、1974年。
- 吉松祐一 編『長崎の民話』未來社、2016年7月。ISBN 978-4-624-93548-1。
- 『長崎県の歴史』山川出版社、2016年3月。ISBN 978-4-634-32421-3。
- 長崎新聞社長崎県大百科事典出版局 編『長崎県大百科事典』長崎新聞社、1984年8月。全国書誌番号:85023202。
- 『長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)』長崎市立博物館、2002年11月。
- 『長崎学ハンドブックⅢ 長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)』長崎市立博物館、2004年3月。
関連項目
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