福岡県立小倉工業高等学校(ふくおかけんりつ こくらこうぎょう こうとうがっこう)は、福岡県北九州市小倉北区白萩町にある公立の工業高等学校である。
福岡県立福岡工業高等学校、福岡県立八女工業高等学校とともに県内ではレベルの高い工業高校として知られ、受験生や産業界からの評価も高い。
北九州市内や京築地域から通学する生徒が多いが、県内全域から受験が可能である。工業高校であるため、男子生徒の人数が非常に多い。略称「倉工(クラコウ)」、「倉業(クラギョウ)」「工業(コウギョウ)」
学科
全日制
平成18年入学生まで
- 電子機械科(旧:機械科)
- 工業化学科
- 電子科(旧:電気通信科)
- 電気科
- 設備工業科(平成21年3月で閉科)
平成19年度入学生より3系5学科10コースとなった。
- 機械系(機械科=生産技術コース・自動車工業コース =)
(電子機械科=設計開発コース・機械制御コース=)
- 電気系(電気科=電力管理コース・電気制御コース=)
(電子科=ネットワーク技術コース・コンピュータ技術コース=)
- 化学系(工業化学科=環境分析コース・化学プラントコース=)
歴史
- 1899年4月 福岡県立福岡工業学校小倉分校新設し金工科(現:電子機械科)を置く
- 1902年4月 福岡県立福岡工業学校分校を廃止し、福岡県立小倉工業学校を設置し開校。修業年限を4年とする
- 1909年4月 電気科を増設
- 1925年4月 名称を福岡県小倉工業学校と改称
- 1937年10月 第二部機械科を設置
- 1939年4月 第二本科機械科を設置
- 1942年4月 本科を一種・二種に分ち、新たに第一種応用化学科、第二種電気科を設置
- 1948年4月 校名を福岡県立小倉工業高等学校と改称
- 1954年4月 電気通信科を増設
- 1962年4月 機械工作科を増設
- 1964年4月 電気通信科を電子科と科名変更
- 1972年4月 機械工作科を設備工業科に転科
- 1990年4月 機械科を電子機械科に転科
- 2008年4月 設備工業科を機械科に転科
部活動
- 野球部は、選抜高等学校野球大会9回、全国高等学校野球選手権大会8回、合計17回の出場を誇る。これは福岡県立小倉高等学校に次ぐ出場回数である。ただ、1967年の夏を最後に出場は遠ざかっている。
- バスケットボール部は、全国高等学校総合体育大会(通称、インターハイ)と全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(現、ウインターカップ)に出場。1972年 インターハイ(福島) 3位、1980年 インターハイ(徳島) 2回戦。全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会 1981年 ベスト8の成績を持つ。
出身者
- サイトウマコト - 近代美術グラフィックデザイナー
- 倉田主税 - 株式会社日立製作所二代目社長・会長
- 山田晁 - 株式会社ダイキン工業(旧:大阪金属工業)創業者
- 岩下俊作 - 小説家
- 村野藤吾 - 建築家
- 北出尚大 - 元Jリーグセレッソ大阪
- 佐々木洋 - 元Jリーグセレッソ大阪
- 新富卯三郎 - 元プロ野球選手
- 玉井栄 - 元プロ野球選手
- 河村章 - 元プロ野球選手
- 花田勘一郎 - 元プロ野球選手
- 末永吉幸 - 元プロ野球選手
- 小形利文 - 元プロ野球選手
- 横山晴久 - 元プロ野球選手
- 斉藤英雄 - 元プロ野球選手
- 松浦正 - 元プロ野球選手
- 田島克彦 - 元プロ野球選手
- 松永浩美 - 元プロ野球選手(中退)
- 森博幸 - 元プロ野球選手
- 丸山翔大 - プロ野球選手
- 有田稜 - プロサッカー選手(いわきFC)
アクセス
最寄りの鉄道駅
- JR九州
- 鹿児島本線・日豊本線「西小倉駅」
- 日豊本線「南小倉駅」
最寄りのバス停
最寄りの道路
- 福岡県道271号下到津戸畑線
- 高峰町板櫃町1号線
- 北九州都市高速1号線「下到津出入口」
周辺
- 西南女学院大学
- 福岡県立小倉高等学校
- 北九州市立板櫃中学校
- 北九州市立小倉北特別支援学校
関連項目
リンク
- 公式ウェブサイト
- 福岡県立小倉工業高等学校 同窓会事務局本部 北辰会
- 地図 - Google マップ
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