![アーキー・ヴォーン アーキー・ヴォーン](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/ArkyVaughanGoudeycard.jpg)
アーキー・ヴォーン(Joseph Floyd "Arky" Vaughan, 1912年3月9日 - 1952年8月30日)は、アメリカ合衆国アーカンソー州クリフティ出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投げ左打ち。
カリフォルニア州のフラートン・ユニオン高校卒業後、1930年にピッツバーグ・パイレーツに入団した。高校のチームメイトにはニューヨーク・ヤンキースに入団し、シーズン中に自殺した唯一のメジャーリーガーとして知られるウィラード・ハーシュバーガーがいる。ピッツバーグはハーシュバーガー獲得の為に、ヤンキースはヴォーン獲得の為にそれぞれスカウトを高校に派遣したが、ピッツバーグのスカウトがヴォーンの方を気に入ってしまいそのまま契約してしまったので、ヤンキースはハーシュバーガーに乗り替えたという経緯がある。
1932年、ウェスタンリーグのタルサ球団からパイレーツに入団。1年目から129試合に出場し打率.318、61打点を挙げる。当時の遊撃手としては優れた打撃を示す一方で、守備はあまり上手くなかったようで、同年と翌年はリーグ最多の46失策を記録している。1934年に打率.333でオールスターゲーム初出場、翌1935年には.385の打率を残し首位打者になった。以後パイレーツ在籍中の1941年まで、打率が3割を切ることはなく、またリーグ最多の三塁打を3度(1933年、1937年、1940年)、最多得点も2度記録している。1941年のオールスターゲームでは、史上初めてとなる1試合2本塁打を放った。
1942年にドジャースに移籍。翌1943年には20盗塁でリーグ盗塁王になった。その後1944から1946年の3年間はプレーをせず、1947年復帰。この年に現役生活で唯一のワールドシリーズ出場を果たした。1948年シーズンを最後にメジャーから引退、翌1949年にサンフランシスコ・シールズで1年だけプレーした。
1952年8月30日、カリフォルニア州のロスト湖で友人と釣りをしていた際、乗っていたボートが転覆、帰らぬ人となった。1985年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。
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