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古賀一隆


古賀一隆


古賀 一隆(こが かずたか、1935年8月30日 - 2011年12月8日)は、日本の元調教師(JRA:美浦トレーニングセンター)、元騎手。

人物

福岡県出身(出生地は東京都)。

1953年、中山・古賀嘉蔵厩舎所属の騎手見習いとなり、1956年に同厩舎より騎手デビュー。 4月21日の初騎乗のレースはホウジヨウに騎乗して7着だった。初騎乗からちょうど1年後となる1957年4月21日にイワフネで初勝利を挙げる。

1960年6月26日に中山大障害(春)をロールメリーで制し重賞初勝利を挙げると、その年の秋、10月9日にはロールメリーとのコンビで中山大障害(秋)を制し、春・秋の大障害制覇を果たす。

1963年12月15日、第15回朝日杯三歳ステークスをウメノチカラで優勝。だが、ウメノチカラは4歳以降、伊藤竹男に乗り替わられてしまい、翌年(1964年)のクラシック戦線を共に戦うことは出来なかった。

1965年に西塚十勝厩舎(中山)、1968年には谷栄次郎厩舎(中京)、1971年には宮沢今朝太郎厩舎(中山)と、所属厩舎が変遷する。

1976年に騎手を引退し、宮沢今朝太郎厩舎の調教助手となったのち、1978年に調教師免許を取得、翌年の1979年に厩舎を開業し、5月3日、東京競馬場での第8レースにアローグレースを厩舎所属馬として初出走させ4着となる。調教師としての初勝利は1980年2月10日、東京競馬場第2競走のコガイチヒメで、これがのべ54頭目であった。

1981年7月26日、札幌競馬場での北海道3歳ステークスにコウチオウショウ(津留千彰騎乗)が1着となり、初重賞制覇を果たす。

2006年2月28日付けにて定年により調教師を引退、これに先立つ2月26日に中山競馬場で行われた引退式に参加した。

2011年12月8日、病気により死去。76歳没。

騎手戦績

  • 2171戦231勝(重賞8勝)

主な騎乗馬

  • ロールメリー(1960年 中山大障害(春・秋))
  • サツマカブト(1962年 アラブ王冠(春))
  • クサブエ(1962年 東京障害特別(春))
  • ウメノチカラ(1963年 朝日杯3歳ステークス)
  • アイエルオー(1965年 東京障害特別(秋))
  • マルブツライト(1969年 読売カップ(春))
  • サンヨウコウ(1973年 関屋記念)

調教師戦績

  • 中央競馬:4528戦265勝(重賞2勝)
  • 地方競馬:177戦15勝。
(合算:4705戦280勝)

主な管理馬

  • コウチオウショウ(1981年北海道3歳ステークス)
  • ウメノシンオー(1983年ラジオたんぱ賞)

親族

古賀家は競馬一家である。

  • 子息 - 古賀慎明(JRA調教師)
  • 伯父 - 古賀嘉蔵(JRA元調教師)
  • 従兄弟 - 古賀正俊(調教助手組合委員長)、古賀俊次(元騎手)
  • イトコオジ - 古賀末喜元調教師(その娘婿に古賀史生調教師)

脚注

Collection James Bond 007

関連項目

  • 競馬の調教師一覧

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 古賀一隆 by Wikipedia (Historical)