![玉川砂記子 玉川砂記子](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
玉川 砂記子(たまがわ さきこ、1962年1月20日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ナレーター。東京都出身。シグマ・セブン所属。
玉川 紗己子(読み同じ)名義で活動していたことがある。夫は声優の池田秀一。玉川姓は旧姓。
劇団こまどり、東京俳優生活協同組合を経て、シグマ・セブンに所属。
人前に出るのが好きではなかったが、写真を撮られる時に相撲の四股を踏んで見せたりする子供だったという。小学校に入学する少し前のこと、両親が「この子は、芸能が向いてるのでは」と思い、児童劇団に入れたという。
最初の仕事は、小学1年生の時に週刊テレビ情報誌『NHK』の表紙モデルである。当時は身体調査の場面という設定であり、糸毛のパンツに上半身裸という姿だったという。劇団こまどり出身で、子役としてNHKのラジオドラマや大河ドラマ、『少年ドラマシリーズ』の「その町を消せ!」等のテレビドラマに出演していた。歌手業でも多くの歌を吹き込み、「誕生日のチャチャチャ」は1971年に、「マヌエロ」は1972年に『みんなのうた』で使用された。特にテレビアニメ『ムーミン』の主題歌「ムーミンのテーマ」のカバー版を玉川さきこ名義で歌って、1970年の第12回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
声優デビュー作は、1970年よりフジテレビで放送されたアメリカドラマ『ゆかいなブレディ家』の次女ヤンシー。中学校が顔出しでの芸能活動が禁止だったことから、以後は声優としての活動が中心となっていく。1981年の『フーセンのドラ太郎』でアニメ初レギュラーとなる。大学在学中から1991年頃まで千葉繁が主宰していた劇団バーストマンに所属し、舞台活動を行い、別劇団に客演もしていた。1986年に発売されたOVA『Call Me トゥナイト』の夏見ルミ役で初主演を果たす。
1988年頃に実印を作ったとき、はんこ屋の助言で芸名を本名の玉川砂記子から玉川紗己子に変更する。2010年1月より玉川砂記子に芸名を戻す。
1994年にOVA第1作が発売された『逮捕しちゃうぞ』(辻本夏実役)はその後、1996年、2001年、2007年の3度にわたるテレビアニメ化、1999年の劇場版公開など長きにわたって商品展開が行われ、玉川にとって代表作品の一つとなっていった。
幅広い役柄をこなせる声優と評される。アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』では複数存在するタチコマの個体化が進み、喋り方にばらつきが出た後も、すべての声を演じ分けている。『グレムリン』(ケイト役)などの洋画吹替や、報道番組などのナレーションも行っている。
吹き替えでは1980年代に、テータム・オニール、ダイアン・レイン、ソフィー・マルソーなどを担当し、美少女役を得意としていた。
古本新乃輔とは、『F』『ジャングル大帝(第3作)』『ユンカース・カム・ヒア』『爆れつハンター』などと共演作が多い。
森久保祥太郎が24 - 5歳ぐらいで『魔術士オーフェン』で主役を演じていた時、玉川と途中で合流し共演することになったという。しかし玉川は森久保に対し「あのさ芝居つまんないね」とダメ出しをし、森久保が「えっ?」と思い聞き直したところ、「NG出さないように芝居してない?NGが出ないのは、いいことじゃないんだよ。」「みんなを主役として引っ張っていかなきゃいけないんだから、今からそんな芝居してちゃダメ。」「もっと尖った芝居をすれば、ディレクターがもうちょい右、もうちょい左って演出してくれるんだから。」「今はまあいっか、でOKもらってるだけだよ」と言ったという。森久保は当時、アニメのラジオ番組が開始し、雑誌のグラビアにも掲載され、「先輩たちがやってきたことを俺もやれるようになった」と思い始めていたため、「いい時にきゅと締めていただけた」とに振り返っており、玉川から指摘を受けたその後は「NGを出さないから良い芝居ができた」とは思うことなく、玉川の言葉を肝に銘じるようになったという。
太字はメインキャラクター。
全て「玉川砂記子」名義で出演。
1970年、第12回日本レコード大賞童謡賞受賞『ムーミンのテーマ』(受賞当時8歳で小学3年生)
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