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ホセ・モリーナ


ホセ・モリーナ


ホセ・ベンジャミン・モリーナ・マッタ(スペイン語: José Benjamin Molina Matta, 1975年6月3日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。右投右打。

兄のベンジー・モリーナ、弟のヤディアー・モリーナもメジャーリーグの捕手であり、3兄弟全員がチャンピオンリングを手にしている。ヤディアー・モリーナ#兄弟選手としての記録も参照。

経歴

プロ入りとカブス時代

1993年のMLBドラフト14巡目(全体390位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。1999年9月6日にメジャーデビューし、その年は10試合出場した。2000年はメジャー出場はなく、シーズン後の11月27日に自由契約となった。

エンゼルス時代

2001年1月15日にアナハイム・エンゼルスと契約したが、兄のベンジー・モリーナがいたためバックアップとしての立場であった。2002年のワールドシリーズでは守備固めで3試合に出場し、チャンピオンリングを手にした。

2005年には対左投手打率.306を記録し、6本塁打、25打点と最高の成績を残した。

2006年はベンジーが移籍したため正捕手の座を得るチャンスであったが、新人のマイク・ナポリに奪われ78試合の出場にとどまった。

ヤンキース時代

2007年7月21日にジェフ・ケナードとのトレードにより、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。ウィル・ニエベスの後のホルヘ・ポサダのバックアップ捕手としての役割を果たしている。オフの10月30日にFAとなったが、12月3日にヤンキースと総額400万ドルの2年契約で再契約した。

2008年は前年に引き続き、ポサダの控え捕手として開幕を迎えた。しかし、開幕当初からポサダは右肩に故障を抱え、シーズンが深まるにつれて、一塁手もしくは指名打者としての出場機会が増えていた。その結果、モリーナの先発機会は増えていった。そして、7月28日にポサダが手術を受け、今季中の復帰は絶望となったため、モリーナの先発起用は決定的なものとなった。だが、同年7月30日、チームは正捕手離脱の穴埋めとして、リリーフ投手のカイル・ファーンズワースとのトレードでメジャー屈指の捕手イバン・ロドリゲスが加入した。そのため、モリーナの出場機会が減るかと思われた。しかし、マイク・ムッシーナやアンディ・ペティットら、一部の投手はモリーナの守備力を高く評価していたため、ロドリゲスとバッテリーを組むのを避けた。その結果、前半戦同様、定期的に出場を続けることとなり、自己最多の100試合に出場し、盗塁阻止率.440をマーク。捕手以外にも、2年ぶりに一塁手としても出場するなど、見事にポサダの穴を埋めてみせた。

また、同年9月21日のボルチモア・オリオールズ戦の4回裏には、同年で役目を終えるヤンキースタジアム最後の本塁打を放った。この試合で使用したスパイクは、野球殿堂へ寄贈されている。

2009年11月9日にFAとなった。

ブルージェイズ時代

2010年2月19日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。開幕ロースター入りを果たした。開幕してから暫くはこの年のチームの正捕手であるジョン・バックが打撃好調ということもあり出番は少なかったが、4月、5月と不振であったブランドン・モローとバッテリーを組むとモローの成績が向上したためモローの先発時にスタメン起用されるようになった。夏場にはバックが故障者リスト入りしたこともあって出番が増加し、最終的に57試合に出場した。オフの10月27日にブルージェイズが150万ドルの球団オプションを行使した。

2011年、打撃において自己最高の成績を残した。フィールド外でも、新人捕手のJ・P・アレンシビアのコーチ役として首脳陣からの信頼は厚かった。オフの10月30日にFAとなった。

レイズ時代

2011年11月28日にタンパベイ・レイズと150万ドルの1年契約(2013年・150万ドルの球団オプション付き)を結んだ。

2012年は37歳にして自己最多の試合に出場した。オフの10月31日にレイズが150万ドルの球団オプションを行使した。

2013年10月31日にFAとなったが、12月2日にレイズと総額450万ドルの2年契約で再契約した。

2014年11月24日にFAとなった。

引退後

2015年11月にロサンゼルス・エンゼルスのキャッチング・コーディネーター(catching coordinator)に就任すると報道された。

2019年シーズンからはエンゼルスの捕手コーチに就任し、3年間務めた。

選手としての特徴

弟ヤディアーに匹敵するメジャーリーグ屈指の強肩・好守の捕手として知られる。2004年には盗塁阻止率.489を記録してリーグ1位。また、同年は57試合の先発出場でありながら牽制刺5は両リーグ1位であった。2005年は盗塁阻止率.513で、リーグ2位・両リーグ3位(両リーグ1位は弟のヤディアー、2位はイバン・ロドリゲス)。2006年も、盗塁阻止率.426と高率を記録。2008年は、少ない出場数ながら守備防御点11を記録してリーグ1位・両リーグ2位、さらに盗塁阻止率.440は両リーグ1位。2010年は盗塁阻止率.441でリーグ1位・両リーグ2位(両リーグ1位は弟のヤディアー)。

2009年のワールドシリーズ第2戦で見せた牽制刺はシリーズの流れを変えたとも言われている。

もっとも、打撃に弱点があったのと所属球団に正捕手がいたことが多かったため、300打席以上を記録した年は一度のみで、完全にレギュラーに定着したといえる年がない。そのため、上記のような特筆すべき守備力を持っていながら、ゴールドグラブ賞とは無縁である。その点が兄ベンジーや弟ヤディアーと異なる。

詳細情報

年度別打撃成績

  • ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス)に球団名を変更

年度別守備成績

  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス)に球団名を変更

背番号

  • 19(1999年)
  • 28(2001年 - 2007年途中、2012年 - 2014年)
  • 26(2007年途中 - 2009年)
  • 8(2010年 - 2011年)
  • 82(2019年 - 2021年)

代表歴

  • 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
  • プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
  • 兄弟スポーツ選手一覧

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ホセ・モリーナ by Wikipedia (Historical)


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