![志賀原子力発電所 志賀原子力発電所](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8f/Shika_Nuclear_Power_Plant_02.jpg/400px-Shika_Nuclear_Power_Plant_02.jpg)
志賀原子力発電所(しかげんしりょくはつでんしょ)は、石川県羽咋郡志賀町にある北陸電力の原子力発電所。2011年度以降、1号機、2号機とも発電を行っていない。2023年8月時点で、両機とも停止中(定期検査中)。当初の名称は「能登原子力発電所」、のち「志賀原子力発電所」に改めた。
2024年1月現在、志賀原発から半径30㎞圏内に、およそ6万世帯、約15万人が住んでいる。
所在地は、石川県羽咋郡志賀町赤住1。発電所の敷地面積は、約160万㎡。
北陸電力が唯一保有する原子力発電所で、能登半島中部の西側、志賀町の赤住(あかすみ)地区に位置している。発電所の山側には、発電所で使用する工業用水用のロックフィルダム「大坪川ダム」が設置されている(北陸電力が管理)。
志賀原子力発電所には施設周辺の環境を配慮する形で、海底トンネル方式の放水路・取水路、一文字方式の防波堤(潮流への影響を少なくするため)が採用されている。この取り組みが評価され、1995年に原子力発電所としては初めてグッドデザイン賞を受賞している。
志賀原発の基準地震動は、水平方向600ガル、鉛直方向405ガル。想定している津波の高さは、発電所前面で7.1mと評価している(今後、国の審査を受ける予定)。
2024年1月現在、原子炉内に核燃料はない。使用済み燃料プールには、1号機に672体、2号機に200体の使用済み核燃料が貯蔵、冷却されている。
志賀原発の外部電源は、志賀中能登線(500kV)2回線、志賀原子力線(275kV)2回線、赤住線(66kV)1回線の合計3系統5回線が接続している。運転時は、1号機は志賀原子力線、2号機は志賀中能登線を使用して送電する。
原発は運転を停止している間も、核燃料を貯蔵する使用済み燃料プールを冷やし続けるために電源が必要となる(このとき、送られてくる高い電圧を、変圧器を通して発電所内で使える電圧に下げる)。
なお、外部からの電気が受けられなくなった場合の非常用電源として、非常用ディーゼル発電機が、1号機と2号機に、それぞれ3台ずつ設置されている。その他に、大容量電源車が2台、高圧電源車が8台ある。
北陸電力の原子力発電計画は、1957年4月1日に組織改正により社長室に原子力課を設置したことに端を発する。その後、1965年の長期計画の中で、将来の電源構想として原子力発電を盛り込み、1959年(昭和34年)から、管内の全海岸線を対象に、原発開発の候補地点の調査を開始した。その中で、能登半島の4か所(西海、白丸、赤住・福浦、椿崎)を候補地として選び、最終的に、志賀町赤住から富来町福浦にかけての地点を選定した。
赤住地区は当初から発電所建設を受け入れる方針であったため、1967年11月13日に調査用地の買収が行われた。一方、富来町は建設に反対し、1970年10月、同地での用地買収計画は断念された。同年、赤住地区のみで建設計画を進めることになる。だが、建設に同意した赤住地区でも反対意見があったことや、買収予定用地に土地改良事業区域が一部含まれていたことによる手続き上の関連もあり、建設計画は長期間停滞する。
1980年代後半になると、地質調査が行われてからは発電所建設の流れが進み、1988年に発電所が着工。1993年に原子力発電所を保有しない沖縄電力を除く電力会社9社では後発の原子力発電所が開設された。
1999年6月18日、同原発1号機で臨界事故が発生した。これは国内で初めての臨界事故だった。国際原子力事象評価尺度(INES)はレベル2。「公表すると2号機の工程が遅れる」などの理由により、日誌を改ざんし、国に報告しなかった。2007年3月15日、この事故の存在が明るみに出たため、事故を隠蔽したとの批判を受けた。
当日は定期検査のため停止中で、制御棒は挿入状態であり原子炉の蓋は開放状態にあった。制御棒の制御装置は水圧式のピストン構造になっており、手動で行う場合は挿入ラインのバルブおよび引き抜きラインのバルブの開閉による水圧調節で行われる。本来は「水圧逃がしバルブを開いて水圧を下げた後に」挿入ラインのバルブを閉じるべきであったが、人為ミスにより水圧逃がしバルブを閉じたまま挿入ラインのバルブを閉じたため、相対的に引き抜きラインの水圧が上昇し、制御棒が引き抜かれ始めた。3本の制御棒で同様の誤操作があったために予期しない臨界が始まった。直ちに制御室で緊急停止ボタンを押したが、点検中だったために「水圧制御ユニットアキュムレータ(緊急的に制御棒を挿入する安全装置)」が無効化されていたために作動しなかった。そのために作業員が閉じられた挿入ラインのバルブを手動で開いて制御棒を挿入して臨界の停止に成功した。
外部への放射能漏れはなく、臨界していた時間は15分間だったとされている。
人為ミスの要因としては、初めてバルブを操作する操作員が配置されていたという点、及び手順書に「水圧逃がしバルブを開く」という手順が記載されていなかったことの複合が原因だったとされている。
2007年3月15日、経済産業省はこの事故を重大事故と見て、事故の発覚時に北陸電力の社長であった永原功を呼び出し、志賀原発1号機の運転停止を命令した。北陸電力は同日18時から運転停止作業に入った。
この臨界事故の約3か月後、東海村JCO臨界事故が起きた。甘利明経産相(当時)は、記者から、公表して原因究明していればJCOの事故も防げたかと問われ、「そういう思いもある」と答えた。
臨界事故の隠蔽が発覚後、北陸電力は、信頼回復の一環として、これまで富山県富山市の本店にあった組織の一つ「原子力部」を発電所のある志賀町に移転させて「原子力本部」を新たに設置。同時に、石川県金沢市に「地域共生本部」を設ける機構改正を2007年6月27日付で実施した。
北陸電力はこのことを教訓にするため、2023年から、事故が発生した6月18日を「安全と公正・誠実を誓う日」に制定した。
志賀原発敷地内の断層が「活断層」かどうかが、原子力規制委員会や2号機の再稼働をめぐる審査で議論されてきた。審査の対象となった敷地内の断層は10本ある。
このうち、
2012年7月、原子力安全・保安院の専門家会議において、発電所の敷地内にあるシーム(亀裂)が活断層である疑いが指摘され、敷地内の破砕帯について追加調査の指示を受ける。
2012年9月、朝日新聞デジタルにおいて、渡辺満久・東洋大学教授は、1号機の真下にあるS-1断層について、「活断層で、逆断層の構図だ」とした上で、地震を起こす断層(主断層)だけでなく、主断層に引きずられて動く副断層についても注意が必要と指摘した(格納容器に損傷がなくても、ずれにより配管が壊れ、制御できなくなる可能性が高まるため)。
2016年3月3日、原子力規制委員会の有識者調査団は、2015年7月の調査報告書で「活動性は否定できない」としたが、別の専門家からの意見も踏まえ「活動したと解釈するのが合理的」とする新たな報告書案をまとめた。同年4月27日、原子力規制委員会は、1号機原子炉建屋の直下にある断層について「活断層と解釈するのが合理的」とした有識者会合の報告を受理した。この報告書がくつがえらなければ1号機は廃炉に、2号機も大幅な改修工事が必要となる可能性があった。
これに対し、北陸電力は「鉱物脈法」を用いた評価を提示した。2023年3月3日、原子力規制委員会は、2号機について、「敷地内の断層は活断層ではない」とする北陸電力の主張を妥当だと判断した。
2012年9月、前述の渡辺満久・東洋大教授は、志賀原発の北側にある「富来川南岸断層」について、13万〜12万年前以降に動いた断層であり、原発敷地内のS-1断層がずれる要因として注意を促した。これについて、北陸電は「北側と南側は地層が異なる」と反論し、裏付けのための調査を行った。
志賀原子力発電所の1号機では、プルサーマルの導入を計画しており、2010年6月28日、石川県に対し、実施申し入れを行っている。
2011年現在、志賀原発では2015年度を目途に1号機でのプルサーマル導入を目指しているが、北陸電力の永原功会長は「震災もあったし、九州や北海道でもやらせ問題もあったので、当面は無理」と発言し志賀原子力発電所での導入の凍結を示唆した。
この発言に対し、北陸電力はプルサーマル計画を凍結していないと公表した。ウラン資源の有効利用やエネルギーの安定供給などの観点から、「ウラン燃料のリサイクルは必要」としている。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故に対し、北陸電力が3月18日に発表した対応では当初、想定される津波の高さが5mで発電所敷地(原子炉建屋)の標高が11m確保されているとして防潮堤の設置は行わないとしていた。
翌月4月8日に公表した追加の対策として、非常用電源車の配備の他に新たに発電所敷地前と海水ポンプ前に4mの防潮堤を追加で設置するなど、今後150億円を掛けて対策することを決定した。
なお、2011年4月現在、1号機は同年2月28日にポンプ部品の不具合で運転を停止中、2号機は地震当日の3月11日から定期検査で運転を中止しており、現在は両機とも運転再開の目途が立っていない。
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