関東 孝雄(かんとう たかお、1951年9月2日 - )は、宮城県白石市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。1979年から1981年まで登録名「関東孝夫」。
仙台育英高では3年次の1969年に夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、仙台工業に引き分け再試合の末に敗退。卒業後は1970年に日本通運浦和へ入社し、稲葉誠治監督や初岡栄治監督の指導を受ける。1975年の都市対抗では電電関東に補強されて出場し、決勝の大昭和北海道戦ではエース・加藤英美から2試合連続となる本塁打を放ち優勝に貢献。
同年のドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。1年目の1976年から一軍で起用され、左の代打要員、内野のオールラウンドプレイヤーとして活躍。1978年は5月に故障欠場した大島康徳の代役として、7月まで三塁を守るなど、自身最多の90試合出場を果たすが、1979年から故障もあって低迷。1980年10月8日のヤクルト戦(神宮)で尾花高夫から最初で最後の本塁打を放ち、1981年限りで現役を引退。
引退後は中日二軍守備コーチ(1985年 - 1988年)および前後にスカウトとして平沼定晴や中村武志を担当。その後、読売ジャイアンツスカウトに就任。
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