![テッド・シモンズ テッド・シモンズ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f0/Ted_Simmons_Cardinals.jpg)
テッド・ライル・シモンズ(Ted Lyle Simmons, 1949年8月9日 - )は、アメリカ合衆国・ミシガン州ハイランドパーク出身の元プロ野球選手(捕手)。右投両打。
1967年6月6日に、ドラフト1巡目でセントルイス・カージナルスから指名を受け、プロ入り。
プロ2年目となる1968年9月21日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たした(デビュー戦には「7番・捕手」で出場。3打席ともクラウディ・オスティーンと対戦。第1打席は三振、第2打席は単打、第3打席は四球という結果)。しかし、シーズンが終盤に近かった事もあって、シモンズはその後1試合に出場しただけで、3打数1安打の打率.333という成績でシーズンを終えた。
1969年も5試合で打率.214と、数字を残す事が出来なかったが、メジャー3年目となる1970年に飛躍。打率.243、3本塁打、24打点と打撃成績こそ平凡以下だったものの、82試合に出場した。1971年には遂にレギュラーの座を手に入れ、1973年まで3年連続で3割以上の打率を記録。その間、MVP投票でもそれぞれ16位、10位、14位にランクインしている。また、1972年と1973年にはオールスターゲームにも出場している。1974年は打率こそ3割を下回ったものの、いずれも自身初となる20本塁打、100打点を記録。3年連続となるオールスター出場、MVP投票で13位にランクインなど充実した1年となった。1975年は打率.332と大爆発。MVP投票では自己最高となる6位にランクインした。1976年こそ今一つの成績に終わったが、1977年から4年連続で20本塁打以上、80打点以上をクリア。オールスターにも4年連続で出場した。
1980年12月12日、シモンズはトレードでミルウォーキー・ブルワーズに放出された(トレードの内訳:シモンズ、ローリー・フィンガーズ投手、ピート・ブコビッチ投手がブルワーズに移籍。シクスト・レスカーノ外野手、デビッド・グリーン外野手、ラリー・ソレンセン投手がカージナルスに移籍)。ブルワーズ移籍1年目となった1981年はわずか100試合の出場に留まり、打率.216、14本塁打、61打点と大きく期待を裏切る成績に終わったが、5年連続でオールスターには出場している。
その後、1982年は打率.269、23本塁打、97打点、1983年は打率.308、13本塁打、108打点と復活。オールスター出場、MVP投票19位ランクインなど、カージナルス時代の輝きを取り戻し、11月7日にFAとなったが1984年1月16日にブルワーズと再契約を結んだ。しかし、捕手というハードなポジションを続けていた事もあってか、その後は年々成績が低下した。
1986年3月5日にトレードでブレーブスに移籍(トレードの内訳:シモンズがブレーブスに移籍。リック・セロン捕手、マイナーリーガーのデービッド・クレイとフラビオ・アルファロがブルワーズに移籍)。しかしその後、ブレーブスでは思うような成績を残す事が出来ず、1988年に引退した。
ピッツバーグ・パイレーツのGM、ブルワーズとサンディエゴ・パドレスでコーチを歴任し、現在はシアトル・マリナーズのシニアアドバイザーを務める。
2020年、ベテランズ委員会の選出でアメリカ野球殿堂入りを果たした。
古巣カージナルスはシモンズの殿堂入りを記念し、シモンズのカージナルス在籍時の背番号『23』を永久欠番に指定し、2021年8月1日に欠番表彰式及び本拠地ブッシュ・スタジアム外に新たに建てられた自身の銅像除幕式が執り行われた。
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