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毛利元功


毛利元功


毛利 元功 (もうり もといさ)は、周防徳山毛利家の第10代当主、子爵。長府藩主・毛利元運の八男。養父は最後の徳山藩主・毛利元蕃。初名は就右

生涯

嘉永4年(1851年)4月3日、長府藩主・毛利元運の八男として江戸日ヶ窪の長府藩邸で生まれる。安政6年(1859年)11月30日、徳山藩主・毛利元蕃の養嗣子となる。文久元年(1861年)1月15日、毛利就右と名乗る。慶応3年(1867年)10月18日、毛利元功と改名する。この年、養父・元蕃の名代として藩兵を率いて上京する。

慶応4年(1868年)1月、鳥羽伏見で幕府軍と戦い功を挙げる。慶応4年(1868年)2月20日、英国留学の勅許を得、3月3日に兵庫から乗船し、閏4月29日にロンドンに到着する。兵庫出発後、4月2日付で従五位下を叙せられ、大和守に任じられる。また、9月2日、留守中に家督相続の命を拝する。

明治6年(1873年)7月24日、帰国し、その後は東京で種々の公共事業に尽力する。明治17年(1884年)7月8日、華族に列して子爵を授けられる。明治18年(1885年)7月13日、勲四等に叙せられる。ついで累進して従三位勲三等に叙せられる。明治33年(1900年)8月8日、東京赤坂の霊南坂邸で病死。享年50。同日に次男の毛利元秀が家督を相続する。

栄典

  • 1887年(明治20年)9月29日 - 銀製黄綬褒章
  • 1900年(明治33年)8月4日 - 従三位、勲三等瑞宝章

脚注

参考文献

  • 徳山市史編纂委員会『徳山市史 上』(1971年)382頁

Collection James Bond 007


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 毛利元功 by Wikipedia (Historical)