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浦河郡


浦河郡


浦河郡(うらかわぐん)は、北海道(日高国)日高振興局の郡である。

人口11,314人、面積694.3km²、人口密度16.3人/km²。(2024年5月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

  • 浦河町(うらかわちょう)

郡域

1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。

歴史

郡発足までの沿革

室町時代以降、主に東北地方の商人が交易を行っていたと考えられている。

江戸時代に入ると、松前藩の商場知行制および場所請負制による浦川場所(会所)が荻伏地区に開かれている。浦川の名はこの時、今の元浦川(アイヌ語でウララペッ=霧深い川の意味)にちなんで名付けられた。陸上交通は、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る道(浦河以西は国道235号の、浦河以東は国道336号の前身)が通じていた。1669年(寛文9年)松前藩の将、佐藤権左衛門が、現在の浦河神社社務所付近に小祠を建立、金刀比羅宮の御分霊を奉斎。1700年(元禄13年)松前藩が幕府に呈上した元禄御国絵図には「浦川」と記載されている。

江戸時代後期、浦河郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため1799年(寛政11年)浦河郡域は天領とされ浦川場所も今の浦河市街に移される。享和元年8月15日浦河場所請負人佐野嘉右衛門が稲荷大明神を祀る小祠を建立。文化4年南部藩家臣一戸政尹が厳島神社の御分霊(天女宮)を祀る小祠を建立。文政4年に浦河郡域は一旦松前藩領に復した。1842年(天保13年)には漁場支配人近江屋周介が、三つの祠を合祀し浦河神社の前身の稲荷神社となる(昭和6年、浦河神社に改称)。安政2年浦河郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。1858年(安政5年)幕府牧場掛、新家鉄作により、元浦川東岸に馬牧が開設される。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して浦河郡(20村)が置かれた(この時、浦川から浦河となった)。

郡発足以降の沿革

  • 明治2年
    • 8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、日高国および浦河郡が設置される。開拓使が管轄。
    • 8月28日(1869年10月3日) - 鹿児島藩の領地となる(北海道の分領支配)。
  • 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
  • 明治5年
    • 4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
    • 10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
  • 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
  • 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての浦河郡が発足。
  • 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
  • 明治15年(1882年)- 浦河村から井寒台村と後邊戸村が分離して独立。また下記の村をそれぞれ編入および合併。

・茅実村、宜保村、鱗別村→浦河村
・蹈牛村→後鞆村
・問民村→荻伏村
・透消村→姉茶村
・開深村→後邊戸村
・居壁村→野深村
・塘沸村(一部)、原遠村(一部)→幌別村
・可礼村、塘沸村(一部)→西舎村
・富菜村、原遠村(一部)→杵臼村

  • 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。浦河村(戸長役場所在地)、向別村、井寒台村、後邊戸村、荻伏村、姉茶村、野深村、幌別村、西舎村、杵臼村、後鞆村の11村が存在した。
  • 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
  • 明治20年(1888年)6月 - 浦河郡外六郡役所(浦河三石様似幌泉沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。
  • 明治30年( 1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、浦河支庁の管轄となる。
  • 明治35年(1902年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町3村)
    • 浦河町(二級村) ← 浦河村、後鞆村、向別村、井寒台村(現存)
    • 西舎村(二級村) ← 西舎村、幌別村[一部](現・浦河町)
    • 杵臼村(二級村) ← 杵臼村、幌別村[一部](現・浦河町)
    • 荻伏村(二級村) ← 荻伏村、姉茶村、野深村、後邊戸村(現・浦河町)
  • 大正4年(1915年)4月1日 - 浦河町・西舎村・杵臼村が合併し、改めて浦河町(一級町)が発足。(1町1村)
  • 昭和7年(1932年)8月15日 - 浦河支庁が改称して日高支庁となる。
  • 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
  • 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
  • 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道日高支庁の管轄となる。
  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 荻伏村が浦河町に編入。(1町)
  • 平成22年(2010年)4月1日 - 日高支庁が廃止され、日高振興局の管轄となる。

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 1 北海道

外部リンク

  • 東蝦夷地ウラカワ場所繪圖筑波大学附属図書館
  • 浦河神社の絵馬―昆布ロードの船乗りたち浦河町立図書館
  • 大昔の浦河浦河町立郷土博物館

関連項目

  • 松前藩
  • 箱館奉行
  • 商場(場所)知行制
  • 場所請負制
  • 北海道の分領支配
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 浦河郡 by Wikipedia (Historical)



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