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イボ・カロビッチ(Ivo Karlović, クロアチア語発音: [ǐːʋo kâːrloʋit͡ɕ]; 1979年2月28日 - )は、クロアチア・ザグレブ出身の元男子プロテニス選手。イボ・カルロビッチとも表記される。自己最高ランキングはシングルス14位、ダブルス44位。これまでにATPツアーでシングルス8勝、ダブルス2勝を挙げている。
2017年ATPワールドツアー歴代2位の年長優勝記録保持者であった(37歳5か月)。
男子プロテニス界で最も大柄な身長211cm、体重104kgの体格から繰り出す強烈なサーブを持ち味とし、通算サービスエース数歴代1位記録を保持する。
カロビッチは父親が気象予報士、母親は農業従事者という家庭に生まれ、6歳からテニスを始めた。
2000年にプロ入り。転向後はしばらく下積み生活が続いた。
4大大会初出場となった2003年ウィンブルドンで一躍世界の注目を集めた。当時世界ランキング203位の予選勝者だったカロビッチは第1シードの前年度優勝者レイトン・ヒューイットを1-6, 7-6(5), 6-3, 6-4のスコアで倒した。ウィンブルドン選手権の歴史において、男子シングルス前年度優勝者が1回戦敗退を喫したのは1967年のマニュエル・サンタナ以来36年ぶり2人目の出来事だった。カロビッチはこの大会でマックス・ミルヌイとの3回戦まで進出した。この後全米オープンでも予選を勝ち上がり、チャン・シャルケンとの3回戦まで勝ち進む。年初に217位だった彼の世界ランキングは、年末には72位と大幅に上昇した。
2004年はウィンブルドンで2年連続の活躍を見せ、ロジャー・フェデラーとの4回戦まで勝ち上がった。それからアテネ五輪にもクロアチア代表選手として初出場し、シングルス3回戦でカルロス・モヤに敗れた。
デビスカップにはクロアチア代表として優勝に貢献した。
2006年全豪オープン男子ダブルスでヤン・ヘルニチと組んでベスト8に入り、2月末の全米国際インドアテニス選手権でクリス・ハガードと組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たしている。
ウィンブルドン1回戦でヒューイットを破ってから4年後の2007年には4月の全米男子クレーコート選手権でシングルス初優勝。6月のノッティンガム・オープンで優勝。10月のストックホルム・オープンで優勝。ツアー3勝を挙げた。
2008年にはノッティンガム・オープンで2連覇を達成する。2008年8月18日付で、彼はシングルス自己最高ランキング「14位」を記録した。
2003年の衝撃的なデビューの後、彼はウィンブルドンで2005年-2008年まで4年連続の1回戦敗退にとどまっていたが、2009年ウィンブルドンにて、久々に芝コートの大舞台で活躍を見せ、初の準々決勝に進出した。準々決勝では、5年前の4回戦と同じフェデラーと対戦し、3-6, 5-7, 6-7(3)のストレートで敗れた。デビスカップ2009準決勝チェコ戦のラデク・ステパネク戦で78本のサービスエースを決め、1試合のサービスエース数歴代最多を更新した(この記録は2010年ウィンブルドン選手権のジョン・イズナー対ニコラ・マユの史上最長試合でイズナーが113本で更新。マユも103本決め、カロビッチの記録は歴代3位となった)。
2011年3月5日、デビスカップ2011・ワールドグループ1回戦クロアチア対ドイツのダブルスで歴代最速サーブとなる251km/hを記録した。この記録は2012年5月に263km/hを出したサム・グロスに更新されている。
2012年2月のデビスカップ20121回戦ではビーンズドームで日本と対戦した。カロビッチは錦織圭を6-4, 6-4, 6-3、添田豪を7-6, 6-1, 6-4で破り、ダブルスも制して3勝を挙げ日本に勝利した。
2013年春にはウィルス性髄膜炎でツアーの離脱を余儀なくされランキングは100位以下に低下してしまったが、7月のコロンビア・オープンで決勝に進出しアレハンドロ・ファジャを6–3, 7–6(4)で破り5年ぶりのツアー5勝目を挙げた。
2014年シーズンはサービスエース数1185本、ファーストサービスポイント率84%でツアー1位を記録。サービスゲーム勝率93%、ブレークポイントセーブ率72%は2位にランクインした。
2015年1月カタール・エクソンモービル・オープン1回戦にて通算サービスエース数9000本を達成。ゴラン・イワニセビッチ、アンディ・ロディックに次ぐ史上3人目の記録。また準々決勝で世界ランク1位のノバク・ジョコビッチを6-7(2), 7-6(6), 6-4で勝利した。2月のデルレイビーチ・オープンでドナルド・ヤングを6-3, 6-3で勝利し優勝。35歳11ヵ月での優勝は大会最年長で1989年のジミー・コナーズ(37歳1ヶ月)以来のATPツアー年長記録。6月のゲリー・ウェバー・オープン準々決勝対トマーシュ・ベルディハ戦にてサービスエースを45本決め、3セットマッチの男子シングルス最多サービスエース数の新記録を更新した。10月のチャイナ・オープン2回戦対パブロ・クエバス戦ではサービスエースを26本決め、キャリア通算でのサービスエースを10247本とし、ゴラン・イワニセビッチの持つ記録を更新して歴代でのキャリア通算サービスエース数で1位となった。デビスカップでは決勝に進出したが、決勝ではファン・マルティン・デルポトロ擁するアルゼンチンに2勝3敗で敗れ準優勝だった。
2016年7月のテニス殿堂選手権では、決勝でジル・ミュラーを6-7(2), 7-6(7), 7-6(12)の接戦を制し、優勝。この優勝は37歳4か月の優勝で、ATPワールドツアーでマーティ・リーセンに次ぐ歴代2位の年長優勝記録となった。翌週のシティ・オープンでは500シリーズの決勝に初めて進出するが、ガエル・モンフィスに7-5, 6-7(6), 4-6で敗れた。
2017年全豪オープンの1回戦ではオラシオ・セバジョスと対戦し、6-7(6), 3-6, 7-5, 6-2, 22-20で勝利した。試合時間5時間14分は全豪オープンの歴史で2番目に長く、サービスエース75本は大会記録だった。ロスマーレン・グラスコート選手権では第1シードのマリン・チリッチにフルセットで勝利し決勝進出。しかし決勝はジレ・ミュラーに敗れた。
2018年全豪オープンは3回戦でアンドレアス・セッピにフルセットの末敗れた。その後はデルレイビーチ・オープンやBNPパリバ・オープン、マイアミ・オープンでは1回戦負けに終わるなど良い成績は残らなかった。しかし10月のカルガリー・チャレンジャーでは優勝を飾り、チャレンジャーツアーの最年長優勝の記録を作った。年間最終順位は101位だった。
2019年年初のマハラシュトラ・オープンの1回戦で18歳のフェリックス・オジェ=アリアシムに勝利した。両者の年齢差は21歳6カ月で、これは1976年以降で最も大きい年齢差だった。その後、最年長のツアー決勝進出者になったが、決勝ではケビン・アンダーソンに6-7(4), 7-6(2)、6(5)-7(5)で敗れた。全豪オープンでは2回戦で錦織圭に3-6, 6-7(6), 7-5, 7-5, 6-7(7)で敗れた。全仏オープン1回戦の勝利は、1978年のケン・ローズウォールに次ぐ年長でグランドスラムの白星になった。しかし、ATPツアーレベルでは結果を残せなかった。11月のヒューストン・チャレンジャーで決勝進出したが、優勝記録更新はならなかった。年末順位は95位。
2020年は新型コロナウイルス感染症の影響でツアーが一時中断される環境の中で結果を出せず、ツアーレベルの勝利は全豪オープンの1回のみ、全仏オープンでは予選敗退に終わった。年末順位は147位。
2021年デルレイビーチ・オープン1回戦に勝利し、ジミー・コナーズ(当時42歳)に次ぐツアー歴代2番目の最年長白星を記録した。
現役男子プロの中でも群を抜くビッグサーバーとして知られるカロビッチだが、他にもサーブにまつわる様々な記録を残している。
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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