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小笠原忠真


小笠原忠真


小笠原 忠真(おがさわら ただざね)は、江戸時代前期の大名、茶人。信濃国松本藩の第2代藩主、播磨国明石藩主、豊前国小倉藩主。贈従三位(1916年)。

生涯

下総国古河城に生まれる。徳川秀忠から偏諱を授かって忠政と名乗り、晩年に忠真と名を変えた。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で父と長兄・忠脩が戦死したため、総領家の家督を相続することとなり、信濃松本8万石を領した。また、忠脩未亡人で母方の従妹でもある亀姫を正室とし、亀姫と忠脩の子である長次を養育した。

後に播磨三木明石10万石を経て、豊前小倉15万石に移封された。前小倉藩主39万石の細川忠利は義兄弟である。

島原の乱の際には長崎守備の任を果たした。剣豪・宮本武蔵が最も長く仕えたといわれる。

大名茶人でもあり、同地の茶湯隆盛の基盤を築いた。上野焼の育成に尽力した外、茶人の古市了和を召し抱えて小笠原家茶道古流を興した。

元和5年(1619年)、黄檗宗の開祖隠元隆琦の高弟即非如一を招き、広寿山福聚寺を建立した。

糠漬けを好み、小倉城入封の際にも糠床を持ち込み、城下の人々にも糠漬けを奨励した。現代の小倉においても旧城下の小倉では各家に代々受け継がれた「百年床」という糠床がある。

系譜

  • 正室:亀姫(円照院) - 徳川家康養女、本多忠政次女
    • 次男:小笠原長安
    • 長女:市松姫(宝光院) - 黒田光之正室
    • 三男:小笠原長宣
    • 次女:嘉禰(兼姫) - 松平頼元正室
    • 三女:鍋姫 - 夭折
  • 側室:那須藤 - 永貞院
    • 四男:小笠原忠雄
    • 六男:小笠原真方
    • 四女:千代姫
  • 生母不明の子女
    • 長男:坂牧忠増
    • 五男:小笠原長弘
  • 養子
    • 姫松 - 小笠原長安娘、松平定長正室
    • 繁姫(齢昭院) - 小笠原忠脩娘、蜂須賀忠英正室

参考文献

  • 『城下町小倉の歴史』 長崎街道城下町の会
  • 『原色茶道辞典』 淡交社
  • 『歴史街道』2019年4月号 PHP

参照

関連項目

  • 明石城
  • 宮本伊織
Collection James Bond 007

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 小笠原忠真 by Wikipedia (Historical)


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