![マヌエル・ポジャーリ マヌエル・ポジャーリ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d5/Manuel_Poggiali_Assen_2008.jpg/400px-Manuel_Poggiali_Assen_2008.jpg)
マヌエル・ポジャーリ(Manuel Poggiali、1983年2月14日 - )は、サンマリノ出身の元モーターサイクル・ロードレーサー。ロードレース世界選手権で2001年125ccクラス、2003年250ccクラスの2度のチャンピオンを獲得した。通算12勝・11ポールポジション、35回の表彰台。
モチベーションの低下などメンタル面で苦しむことが多く、若くしてレーサーを引退することになった。
ポジャーリは1994年にミニバイクレースを始め、1998年のムジェロで125ccクラスにワイルドカード枠で出場、GPデビューを果たす。翌1999年からはフル参戦を開始し、2000年のアッセンでは初表彰台を獲得する。2001年にはジレラを駆って宇井陽一、トニ・エリアスらと争った結果、見事ワールドチャンピオンに輝く。2002年も125ccクラスに残留し、最初の8戦中7戦で表彰台に立つ活躍を見せるが、アルノー・ヴァンサンに敗れタイトル防衛は叶わなかった。
2003年、ポジャーリは250ccクラスにステップアップすると、開幕戦鈴鹿、次戦ウェルコムといきなり2連勝。そのまま逃げ切って、フレディ・スペンサー、ジョン・コシンスキー、原田哲也に続く、250ccクラスデビューイヤーチャンピオンの偉業を成し遂げた。
2004年も同クラスでタイトル防衛を目指すが、わずか3回の表彰台、シリーズ9位に沈んだ。2005年は125ccクラスに戻るが、表彰台わずか1回の獲得、シリーズ10位と大不振に苦しむ。
2006年は再び250ccクラスに戻り、レッドブルKTMチームで青山博一のチームメイトを務めたが、青山がシーズン2勝・シリーズ4位と活躍する一方、ポジャーリはシリーズ14位に沈み、KTMとの契約はこの年限りとなった。2007年は125cc、250cc、スーパーバイクのチームからオファーがあったものの全てを断り、2008年により良いオファーが来ることを望んで1年間の休養を選択した。
2008年は250ccクラスのカンペテーラ・レーシングでファブリツィオ・ライのチームメイトとしてレース復帰を果たした。しかしかつての輝きが戻ることはなく、モチベーションを失ったポジャーリはシーズン半ばでレーサー引退を発表した。このとき25歳だった。
サッカー選手としても活動しており、2008-2009シーズンはサンマリノのクラブチームであるSSペンナロッサに所属している。
2019年からグレシーニ・レーシングのライダーコーチとして仕事をしていたが、エネア・バスティアニーニに請われる形で、ドゥカティ・コルセのライダーコーチを行っている。
1993年以降のポイントシステム:
(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
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