![藤浪剛一 藤浪剛一](/modules/owlapps_apps/img/errorimg.png)
藤浪 剛一(ふじなみ ごういち、1880年6月7日 - 1942年11月29日)は、日本の医学者、放射線科医。
1880年、愛知県名古屋市生まれ。獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)卒、岡山医学専門学校卒業後、同校の病理学教室に入る。1908年よりウィーン大学に留学し、レントゲン学を学ぶ。1912年に帰国して順天堂医院レントゲン科長となり、1920年からは慶應義塾大学の教授を務めた。
レントゲン学の第一人者で温泉学・医学史の分野においても数多くの業績を残している。
慶應義塾大学医学部放射線科学教室初代教授である。
剛一は、偉人や著名人の墓を訪ね歩く掃苔活動を趣味とし、同好団体の東京名墓顕彰会を設立したほどであった。妻の和子も同会の機関誌『掃苔』の編集を手伝ううちに影響されて掃苔に没頭していき、家事の合間を縫って東京の諸寺院を巡り、各故人の墓を調査するようになり、1940年(昭和15年)にはその成果をまとめた『東京掃苔録』を出版するに至った。同書は593寺・2477名を収録しており、以後も再版が繰り返されている名著である。
剛一と和子の墓所は、日泰寺(愛知県名古屋市千種区)と多磨霊園(東京都府中市)にある。
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