黄 載鈞(ファン・ジェギュン、朝: 황재균、1987年7月28日 - )は、大韓民国ソウル特別市出身のプロ野球選手(内野手)。KBOリーグのKTウィズ所属。
京畿高等学校卒業後、2006年に2次ドラフト3位で現代ユニコーンズに入団。
2007年は同球団の最後のシーズンであり、後半戦から1軍に定着し頭角を現した。
現代解散後、2008年より創設されたウリ・ヒーローズ(2010年よりネクセン・ヒーローズ)へ移籍。
2009年にレギュラーシーズン全133試合に出場、初めて規定打席に達して18本塁打、30盗塁を記録した。
2010年は開幕から不振が続いた。
2010年シーズン途中の7月、ロッテ・ジャイアンツにトレードで移籍した。
2011年は遊撃手に転向したが、シーズン途中で文奎現(ムン・ギュヒョン)に遊撃手の座を奪われ、再び三塁に戻った。
2014年は9月に開催された2014年仁川アジア競技大会の野球韓国代表に選出された。この大会では、チャイニーズタイペイとの決勝戦で2点タイムリーヒットを打つなど優勝に貢献し、兵役免除の恩典を受けることとなった。また母のソル・ミンギョンはテニス選手で、1982年ニューデリーアジア大会で優勝しており、韓国史上初の母子でアジア大会金メダルを獲得した例となった。2012年から2015年までレギュラーシーズン全試合に出場した。
2015年10月7日に第1回WBSCプレミア12の韓国代表選手28名に選出された。大会ではベストナインの三塁手部門で表彰されるなど、韓国代表の優勝に貢献した。同年11月末、メジャーリーグベースボール(MLB)への移籍のためポスティングを要請したが入札先はなく、この年での移籍を断念した。
2016年オフにフリーエージェント(FA)権を行使した。
2017年1月25日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加した。
シーズンの開幕はジャイアンツ傘下のマイナーリーグチームであるAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎えた。
6月28日にコナー・ガレスピーの故障者リスト入りに伴い、メジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし、同日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビューを果たした。サンフランシスコ・ジャイアンツ史上、韓国人選手がメジャーリーグの試合に出場するのは黄載均が初めて。メジャーでの背番号は1。このデビュー戦で本塁打も記録している。7月23日にAAA級サクラメントへ降格となった。7月28日にMLBへ再昇格したが、8月2日に再びAAA級サクラメントへ降格した。9月1日にDFAとなり40人枠から外れ、11月2日にFAとなった。
2017年11月13日にKTウィズと2018年から4年総額88億ウォンで契約し、韓国プロ野球へ復帰した。彼のロッテへの補償選手には趙武根が選ばれた。
2018年は8月から9月に開催された2018年ジャカルタ・パレンバンアジア競技大会の韓国代表に選出された。同大会では韓国の3連覇に貢献した。
2019年オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の韓国代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。
2020年は自身初のゴールデングラブ賞(三塁手部門)を受賞した。
2021年は柳漢俊から主将職を受け継いだ。しかし4月24日のロッテ戦において、安致弘の球を顔に受けて鼻骨を骨折してしまう。この治療のため5月31日まで欠場した。同年は1年延期された2020年東京オリンピックに韓国代表として出場した。シーズン終了後に韓国で2度目のFAを申請し、KTと2022年より契約期間4年で再契約した。
2022年12月10日、T-ARAのジヨンと結婚式を挙げた。
2023年9月5日、LGツインズ戦でKBOリーグ史上18人目となる個人通算2000安打を達成。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou