大木こだま・ひびき(おおきこだま・ひびき)は、日本の漫才コンビ。1981年5月にコンビ結成。所属事務所は当初、ファースト企画であったが1983年、吉本興業へ移籍し現在に至る。
じっくりとしたテンポ、間を大事にする正統派しゃべくり漫才コンビであり、横山やすしにも絶賛されていた。人生幸朗ばりのぼやきや、庶民の暮らしをネタにしたりと、ネタの数は多い。また、ボケ・ツッコミ担当と一応役割が分かれてはいるものの、漫才の形式としては珍しく、こだまのボケに対してひびきがつっこみ、それに更にこだまが一種の屁理屈のようなボケでつっこみ返すというパターンを持っている。コンビ名の由来は、ともに新幹線開業前に東海道線を走った特急列車の名前(こだま・ひびき)から。「ひびき」は準急型電車で、「こだま」の混雑を補完する目的で運転されていた。
大木こだまはもともと、大木ひかりと漫才コンビを組んでいた。その後、ひびきとコンビを組み現在に至る。前のコンビ名は新幹線の名称(こだま・ひかり)から。
新コンビを結成した頃は、大阪・梅田の阪急ファイブ(現HEP)のオレンジルーム(現HEP HALL)で青芝フック・キックの主催により月一回開催されていた『ニュース寄席』に非定期出演していたこともある。吉本移籍後の初舞台は、1983年6月うめだ花月上席の「フレッシュコーナー」で踏む。
GOLD WAX「スーパースリック」(アルバム『きみはちょうどいい』に収録)
こだま・ひびきといえば、こだまの「チッチキチー」のギャグが有名で、これで初めて全国区人気にのし上がったと思われることが多いが、そうではない。
コンビ結成当時、弱小プロ所属であり、また例の事件からそれほど時日が経過していなかったこともあってか、常打ち劇場には出演しないマイナーな存在ではあった。(ちなみに、結成直後、「お笑いスター誕生」の公開録画の冒頭で、「大木こだまさんがひびきさんと新コンビを結成されました」と中尾ミエから紹介されて客席にあいさつをしたが、番組の方針で放送はカットされ再チャレンジは叶わなかったらしい(ヒロ吉田談))。
にもかかわらず、旧コンビ(こだま・ひかり)での「幻のグランプリ受賞」の業績がそこそこには知られていたことも多少手伝って、コンビ結成直後からその正統派的な実力は評価されていた。事実、こだま・ひびきが“手見せ”(オーディション)に合格して吉本入りして間もなくの頃、まだ大阪でデビューして間のないブレークする以前のダウンタウンの松本人志は、雑誌「マンスリーよしもと」やラジオ大阪の番組『上方漫才の道』のインタビューで、「面白いと感じる漫才はまるむし商店さん、こだま・ひびきさん」と述べていた(『上方漫才の道』で聞き手であった放送作家・新野新は松本に対して、「そのへんもマイナーで迫ってくるなあ」とうなった)。横山やすしが絶賛していたのも上述の通りである。海原小浜も、出演したテレビ番組 で、こだまのボケ芸をしばしば評価していた。詩人・小説家・文芸評論家である富岡多恵子は、自らのエッセイ本 において、こだま・ひびきの漫才を絶賛している。
ただし、玄人筋の評価とは相反して、漫才ブームの退潮、再結成コンビであること、加えて、心斎橋筋2丁目劇場を拠点とする若手芸人たち(ダウンタウン、ハイヒール、トミーズ等)とは明らかに一線を画す世代の芸人という事情もあって、世間的に売れるのには相当な時間を要したことは否めない。西川のりおは、「こだま・ひびきとダウンタウンは重複する。こいつら、二組ともは売れへん」 という旨を述べていたが、実際(少なくとも短期スパンでは)その通りになったのであった。「(こだま・ひびきは)面白くて上手いけど、正統派すぎて個性がない、地味である」が一般的な評価であった。
とはいえそうした中、前述の中田カウスのアドバイス、ザ・ぼんちの里見まさとの助力で開催された近鉄小劇場での漫才リサイタル等が、漫才コンビ大木こだま・ひびきの地位を確かなものとした。1987年にダウンタウンと共に第22回上方漫才大賞奨励賞を獲得したのを皮切りに、漫才関連の受賞を増やし始め、遅くとも1990年代前半には、既に中堅クラス以上、実力随一と目される存在にまで達した(中田カウスから「銭のにおいがしてきたな」と褒められたのもこの頃)。
そして、1996年には、第31回上方漫才大賞 と第25回上方お笑い大賞をダブル受賞。上沼恵美子が「今この人たちの漫才が一番好きなんですよ」と自身が司会するテレビのお笑い特別番組でこだま・ひびきを褒めていたのもこの時期であった。この頃、カウス・ボタンとこだま・ひびきが、「今最も充実した漫才コンビ2組」としてピックアップされ、西川きよしと桂文珍が司会するテレビ番組『目玉とメガネ』(読売テレビ)に出演している。ここで、「僕が今一番尊敬する漫才さんはこの人たち(こだま・ひびき)」と中田ボタンは主張していた。中田カウス曰く「今、周り見渡しても競争相手なんかどこにもいてへん。そやけどこだま・ひびきだけは侮ったらあかんなと感じる」。この時代には、ほぼ現在のこだま・ひびきの漫才のパターンがもう概ね完成されていたと見なしてよい。
その後も力を持続し続け、上方お笑い大賞(第34回)と上方漫才大賞(第41回)を各一度受賞。前述の受賞歴が示すとおり、ベテランの域に達した押しも押されもせぬ吉本興業の看板コンビとなって久しい。
かつては、警官とバイクに乗る人、寿司屋の店員と客、保険のセールスと客、といった設定での小コントを漫才の中に組み込むこともあったが、現在はほぼ皆無である。また、ある時期には、世間でよく知られたことわざをひびきが引用するとこだまはそれに逆らい、ひねった自己流の言い回しを言い返し続けて笑わせるネタをしていた(例:ひびき「犬も歩けば棒に当たる」→こだま「犬も歩けばくたびれる」、ひびき「坊主丸儲け」→こだま「坊主丸坊主」等)。
また、「チッチキチー」が流行る以前から時々日本テレビ『笑点』に出演し漫才を披露していたほか、みうらじゅんの肝いりもあって、月に1回は東京・渋谷でライブを開催するなど、大ブレイクとはいかないまでも既に全国的にそれなりの人気は獲得していた。もっとも、関西ローカルの番組では、たびたび関西圏と関東圏の笑いのツボの違い(関東圏では関西圏でウケるべき所でウケず、逆に関西圏でウケないような所でウケることがある)を漫才のネタにしてぼやいていた。
「チッチキチー」という言葉は、日本テレビ系バラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』で食事してコメントをする役で出演した際に誕生した。一度にたくさんの店をまわったため、最後のほうでは満腹になってしまい、コメントを求められた際に的確なコメントができず思わず発した言葉である。但し別の番組では「その時食べたラーメンが何の特徴もない味だったので、コメントに困って言った」とも言っている。
その後、2005年1月8日、フジテレビ系人気バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』内でナインティナインの岡村隆史が番組内で「チッチキチー」や「往生しまっせ」を頻繁に使用し、全国的にギャグとして定着した。同年2月19日・26日には同番組の人気企画「第8回笑わず嫌い王決定戦」に出演した。なお、こだまは親指に貼る「チッチキチーシール」なるものを所持しており、ゲスト出演した番組の司会者によく渡している。とくに明石家さんまはもらった際に「チッチキチーシールだ〜!!」と子どものようにはしゃいで喜んでいた。
なお後述の通り、チッチキチーの流行に乗じて、小室哲哉のプロデュースでインターネット配信曲「チ」が発売された。その制作中に小室は、この曲の歌い手となったこだま・ひびきの漫才を何度か聴いて、どんな時も漫才が一定のテンポ(BPM=78)をキープしていることに舌を巻いたと、自著で明かしている。
島田紳助は日本テレビ系の『謎を解け!まさかのミステリー』で「そんな奴おら(へ)んやろ(orおらんがな〜)」を使用したのをきっかけに『行列のできる法律相談所』でもこだまがゲスト出演するまでしょっちゅうネタにしていた。これは、昔NHK上方漫才コンテストの優勝で感涙にむせぶこだま(こだま・ひかり)に向かって、紳竜の優勝を周囲に公言していた紳助が悔しさのあまり「泣くな、ボケ」と暴言を吐いた事を、27年越しに本人にお詫びしたい気持ちから言っていたもの(「第34回上方お笑い大賞」のこだまひびきに対する応援メッセージより)。だが、当のこだまは紳助が苛立ちのあまり花束を床にたたき付けたのを見て「なんでこいつ、こんなに自信満々なんやろ?」と興味を持ち、それから紳竜の漫才に注目していたという。なお『行列のできる法律相談所』(2005年7月3日)、フジテレビ系の『クイズ!ヘキサゴン』(2005年8月17日)にはこだまが登場しており、その後も紳助の番組に時々出演している。
ひびきは鼻をさわりながら「プンプン」と言うギャグがある、五木ひろしの物真似でも有名。
2006年1月5日にはニッポン放送系の深夜番組『オールナイトニッポン』を担当した(本来のレギュラーはナインティナイン)。
両者ともに以前に比べて痩せているが、健康であるとテレビ番組でコメントしている。
歌手の桑名正博は、テレビ番組で共演したこだま・ひびきのことを、「大木(おおき)さん」と呼んでいた。
博多華丸・大吉がこだま・ひびきを尊敬していることは、彼らが出演するテレビ番組(『あさイチ』等)やネットの記事においてしばしば紹介されている。また、シャンプーハットもこだま・ひびきへの敬意をテレビの漫才番組で何度か示している。このように、彼らへの尊敬を隠さない後輩芸人は少なくない。
KinKi Kidsの堂本剛も、こだま・ひびきのファンであることを公言しており、主演するTBSテレビドラマ『天魔さんがゆく』の中で、突然のようにキレながらこだま・ひびきをマニアックに褒めちぎりまくるというエキセントリックな役を演じた。
また、文芸批評家の柄谷行人も、こだま・ひびきに強い関心を示しており、自著のあとがきで、「私は、大木こだま・ひびきの漫才に、肯定が否定であり、否定が肯定であるような、弁証法の『こだまとひびき』を感じたのである」と記している。
2021年現在においても、NGK(なんばグランド花月)、よしもと西梅田劇場、よしもと祇園花月等の吉本系の劇場への定期的な出演は維持しており、NHK総合テレビジョン『バラエティー生活笑百科』、NHKラジオ第1放送の伝統的番組『上方演芸会』や上述日本テレビ『笑点』等へも逐次的に出演している。
2019年新春のNHK『新春生放送!東西笑いの殿堂2019』で演じた漫才の中で、こだまはDA PUMP『U.S.A.』のダンスを我流で踊って笑いを誘っていた。また、2021年の『新春生放送!東西笑いの殿堂2021』で、ひびきが「足が棒になる」と言うべきところを「犬が棒になる」と言い間違えたのを、こだまが巧みにフォローして爆笑を取っていた。「2万9千8百円のマルチーズが棒になるんかい!」
「コンビ結成以来一度もケンカをしたことがない」と二人の弁。「コンビでケンカした方がエエとアドバイスしてくれる先輩とかもいたはるけど、結局、ケンカしても何も残らんし、折れた方も気ぃ悪い。そやからウチは最初から互いに干渉しないようにやってきた」(こだま)
小説家・放送作家の浜口倫太郎が初めて書いた漫才台本は、こだまひびきの漫才であった。
以下大木こだまの弟子
大木ひびきの元弟子
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou