![ジェラルド・パーラ ジェラルド・パーラ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Gerardo_Parra_At_Second_After_Hitting_Double_from_Nationals_vs._Mets_at_Nationals_Park%2C_June_20th%2C_2021_%28All-Pro_Reels_Photography%29_%2851267949989%29_%28cropped%29.jpg/400px-Gerardo_Parra_At_Second_After_Hitting_Double_from_Nationals_vs._Mets_at_Nationals_Park%2C_June_20th%2C_2021_%28All-Pro_Reels_Photography%29_%2851267949989%29_%28cropped%29.jpg)
ヘラルド・エンリケ・パーラ(Gerardo Enrique Parra; 1987年5月6日 - )は、ベネズエラ・スリア州サンタ・バルバラ出身の元プロ野球選手(外野手・一塁手)。左投左打 愛称はエル・ヨロで、「人生は一度きり」という意味を持つ。
2004年8月30日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約してプロ入り。
2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された。
シーズンでは傘下のAA級モービル・ベイベアーズで29試合の出場で打率.361、3本塁打、12打点の成績で、5月13日にコナー・ジャクソンの故障者リスト入りに伴い、メジャー初昇格。同日のシンシナティ・レッズ戦で「2番・中堅手」で先発出場をして初打席で本塁打を放ち、メジャー史上100人目となる初打席初本塁打を達成した。過去30年でマイク・ランシングしか達成していないメジャーデビューから5試合連続打点を記録。同月、16試合の出場で打率.319・16打点の成績で月間最優秀新人に選出された。その後、8月と9月・10月は3割を上回る月間打率を記録。規定打席に達しなかったものの、120試合の出場で打率.290・5本塁打・60打点を記録。打点は新人選手としてケーシー・マギーの66打点に次いでリーグ2位。
2010年は133試合に出場。打率.261、3本塁打、30打点を記録した。
2011年は自己最多の141試合に出場。打率.292・8本塁打・46打点・15盗塁と本塁打・盗塁・打率で自己最高の成績を残し、シーズン終了後には初のゴールドグラブ賞を受賞。飛躍のシーズンとなった。
2013年はシーズン開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。
2014年2月3日にダイヤモンドバックスと485万ドルの1年契約に合意した。
2014年7月31日にミッチ・ハニガー、アンソニー・バンダとのトレードで、ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。ブルワーズ移籍後は、外野の3ポジションで46試合に出場し、打率.268、3本塁打、10打点、4盗塁という成績をマーク。ダイヤモンドバックスと合わせて150試合に出場し、574打席に立って2年連続で規定打席に到達したが、4年ぶりに二桁盗塁に届かなかった。
2015年7月31日にザック・デイビーズとのトレードで、ボルチモア・オリオールズに移籍。8月12日、シアトル・マリナーズの岩隈久志がオリオールズ戦でノーヒットノーランを達成した試合で最後の打者となり、センターフライに打ち取られた。オリオールズに加入するまでは打率.328と好調だった。オリオールズに移籍した後は55試合に出場したが、打撃不振で打率.237だった。ブルワーズ時代との通算成績では、打率.291、14本塁打、51打点、14盗塁という成績だった。ディフェンス面では、移籍前後ともに外野の全ポジションを守った。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった。
2016年1月20日にコロラド・ロッキーズと3年2750万ドルで契約合意したことが発表された。故障により102試合の出場にとどまり、打率.253・7本塁打・39打点だった。
2017年は打率.309・10本塁打・71打点で、打率と打点で自己最高を記録した。
2018年5月11日のサンディエゴ・パドレス戦での乱闘に参加した際に暴力を振るったとして、4試合の出場停止処分を受けた。最終成績は打率.284・6本塁打・53打点だった。10月30日にFAとなった。
2019年2月17日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。3月28日にメジャー契約を結んで40人枠入りした。しかし、30試合の出場で打率.198と奮わず、5月3日にDFAとなり、7日にFAとなった。
2019年5月9日にワシントン・ナショナルズとメジャー契約を結んだ。翌日から試合に出場し、5月11日のロサンゼルス・ドジャース戦で初ヒットとなる逆転満塁本塁打を放った。控えとして主に外野手として起用されたが、内野の守備に就くこともあった。8月3日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では7点ビハインドの8回裏に登板したが、1アウトも取れずに1安打4四球5失点で降板した。移籍後は89試合に出場して打率.250・8本塁打・42打点を記録。ポストシーズンでも控えとして7試合に途中出場した。6月に、登場曲を娘が大好きな「Baby Shark」に変更すると、この曲に合わせて手を上下に叩く「シャーク・ダンス」が観客に大流行。パーラだけではなくチームメイトも安打を放った際にも塁上でジェスチャーするようになり、球団史上初のワールドシリーズ制覇を成し遂げた快進撃の象徴となった。オフの10月31日にFAとなった。
2019年11月20日に読売ジャイアンツと1年契約を結んだ。背番号はナショナルズ時代から引き続き「88」を使用した。
2020年6月19日の開幕戦で初安打を記録すると、翌日には初本塁打を放った。右膝の違和感で8月16日に一軍登録を抹消される。9月18日に復帰したが、10月13日に治療のために帰国した。そのため47試合の出場に留まった。オフの12月2日に自由契約公示された。
2021年2月3日に古巣のナショナルズとマイナー契約を結んだ。6月20日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。シーズンでは53試合に出場、オフの11月3日にFAとなった。
2022年3月14日にナショナルズとマイナー契約で再契約を結び、スプリングトレーニングには招待選手として参加することになった。しかしメジャー復帰はかなわず、5月8日に現役引退を発表した。引退後はナショナルズの球団特別補佐に就任。
左翼手、中堅手、右翼手の外野3ポジションを守ることができる(2012年までは左翼手、2013年からは右翼手としての出場が多い)。
また、内野も守ることができる。一塁手として試合に出場しただけではなく、左投げながら二塁手や三塁手としても出場したことがある。
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