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マレーシアグランプリ(Malaysia Grand Prix)は1999年から2017年までマレーシアのクアラルンプール近郊のセランゴール州セパン(Sepang)にあるセパン・サーキットで行われたF1のグランプリである。
マレーシアの観光振興策のひとつとして、アジア地域では日本(日本GPとパシフィックGP)に続き2国目のF1誘致に成功し、1999年に初開催された。ヘルマン・ティルケが設計した新設サーキットでは初開催であった。1999年は第15戦、2000年は最終戦と終盤での開催であったが、2001年から2015年まで、開幕戦オーストラリアGPに続くシーズン第2戦としての開催が定着していた。2016年は開催が10月(第16戦)に移動し、シンガポール→マレーシア→日本というアジア3連戦の2戦目に組み込まれた。
高温・多湿というドライバーには過酷な条件に加えて、午後には毎日のように通り雨(スコール)が降ることがレース結果の予想を難しくしていた。スコールが降り出すとコースは水浸しになり、止むとすぐに路面が乾き始めるため、ドライ用/レイン用タイヤを履き替えるタイミングが重要であった。
2006年からチケットの大幅な値下げが行われたが、それでも観客動員は減少傾向となっており、2016年はセパン・インターナショナル・サーキットのキャパシティの半分強(前年比で1割減)にとどまった。このため、開催契約が切れる2018年をもって撤退することを検討していたが、ナズリ・アブドゥル・アジズ(マレーシア観光文化相)は、開催コストの増大(1999年の初回開催時に比べて約10倍)、前述した観客動員の減少(過去最低を記録)、テレビ視聴者数が過去最低に落ち込んでいることを理由に契約延長を行わないとし、2018年をもってマレーシアグランプリを終了することが発表された。
2017年4月、マレーシア政府はマレーシアグランプリの終了を1年前倒すことを発表した。これによりマレーシアグランプリは19年の歴史に幕を下ろすことになった。
1962年-1965年はスポーツカーレースとしてシンガポール(当時はマレーシアのシンガポール州)のトムソン・ロード・グランプリ・サーキットで開催されていたが、1965年8月9日にシンガポールがマレーシアから独立したため、翌1966年からは「シンガポールグランプリ」と改められ、1973年まで同サーキットで開催された。
マレーシアグランプリは1968年からシャー・アラム・サーキットに移して再開され、当初はフォーミュラ・リブレとして、1971年から1975年は「東南アジア 1600cc 2バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 2-valve Formula)」、1976年-1977年は「ロスマンズ・インターナショナル・トロフィー (Rothmans International Trophy)」のタイトルがかけられ、「東南アジア 1600cc 4バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 4-valve Formula)」に変更された。1978年-1982年は「東南アジアフォーミュラ・パシフィック (Southeast Asia Formula Pacific)」の一戦となった。
1995年はフォーミュラ・ブラバムの車両が使用された。
(2勝以上)
(2勝以上)
(2勝以上)
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