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虞汜


虞汜


虞 汜(ぐ し、218年 - ?)は、中国三国時代の武将・政治家。呉に仕えた。字は世洪。揚州会稽郡余姚県の人。父は虞翻。兄弟に虞忠・虞聳・虞昺ら。『三国志』呉志虞翻伝、及びそれに引用された『会稽典録』に記述がある。

生涯

虞翻の11人の子のうち、4番目に当り、当時最も名を知られた人物といわれた。

16歳のときに父を失い、故郷に戻った。孫綝が孫亮を廃位したとき、孫綝が自ら即位しようとしたため、虞汜は故事を引用しやんわり窘めた。永安年間の初期に、選曹郎から散騎中常侍となり、駙馬都尉を加えられた。同時に散騎中常侍となった王蕃・薛瑩・賀邵と共に、この人事は好評を博した(「王蕃伝」)。

宝鼎4年(269年)、交州を晋から奪回するため、虞汜は監軍として陶璜・薛珝と共に荊州から陸路で侵攻した。海路から侵攻した監軍の李勗・徐存らが途中で引き返してしまったが、虞汜の軍は交州の晋軍を降すことに成功し、交阯郡・九真郡・日南郡を制圧した。その後に扶厳を追討し、交州刺史・冠軍将軍・余姚侯となった。しかしまもなく病気で死去した。

小説『三国志演義』には登場しない。

家系図

脚注


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 虞汜 by Wikipedia (Historical)


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