ディック東郷(ディックとうごう、1969年8月17日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:佐藤 茂樹(さとう しげき)。秋田県大館市出身。血液型AB型。
秋田県立十和田高等学校卒業後、FMWに入門したがデビュー前に退団。その後、ユニバーサル・プロレスリングに入門。
1991年6月5日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会で巌鉄 魁(がんてつ さきがけ)として対MASAみちのく戦でデビュー(秋田県出身ということから、なまはげの格好で入場していた)。
1992年、メキシコ遠征に行く。同年、ユニバーサル・プロレスリングの末期に日本に凱旋帰国したがシリーズのギャラが出なかったため、再びメキシコ遠征に行く。
1993年4月、日本に凱旋帰国して、みちのくプロレスに覆面レスラー「SATO(サトー)」として参戦。6月、みちのくプロレスに入団。12月10日、スペル・デルフィンとのマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)に敗れてマスクを脱いだ。
1994年3月4日、デルフィンとのマスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者マスク剥ぎ or 髪切りマッチ)に敗れて頭を坊主にした。9月15日、獅龍、テリー・ボーイと共にルード軍「平成海援隊」を結成。
1995年、怪我で欠場。
1996年1月10日、怪我からの復帰を機にリングネームをディック東郷(ディックとうごう)に改名と同時に軍団名を「海援隊☆DX」に改名。6月14日、タッグチーム「夢狩人」で活動していたTAKAみちのくと船木勝一が海援隊☆DXに加入する。
1998年1月、みちのくプロレスを退団。3月、WWFと契約を結ぶ。
1999年3月、東郷は会社とそりが合わなかったことからWWFを退団した。4月、日本に帰国後、大阪プロレスに入団する。
2001年7月、みちのくプロレスに参戦してルード軍「F.E.C(ファー・イースト・コネクション)」を結成。2004年10月、プロレスラー養成所「SUPER CREW」を設立。
2005年10月22日、新木場1stRINGで1期生のデビュー戦による旗揚げ戦を開催。
2006年3月4日、新木場1stRINGで2期生のデビュー戦による第2戦を開催。12月1日、練習生の不足による金銭的経営難により、新木場1stRINGで開催した第3戦を最後に解散。
この時、東郷と仲の良いTAKAが率いているKAIENTAI DOJOにも参戦しているが、生涯一ヒールを自認しているため、ヒールユニットの勤王党と共闘してTAKAと対立する。その一方で、古巣のみちのくプロレスでこれまで敵対していたサスケと東北タッグ王座に就いたりもする。なお、新日本プロレスに参戦しC.T.U、ブラック・ニュー・ジャパンと共闘を繰り広げていった。
2010年3月11日、ブログで入籍したことを報告。
2010年4月9日、東郷は記者会見を開き、2011年6月をもって日本でのプロレス活動を引退してそれまでの1年強はDDT所属レスラーとして試合を行うこと、2011年6月から1年間は日本国外でプロレスを行い、最終的にボリビアで引退試合を行うことを発表した。10月、プロレスリング・ノアの日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦にDDTプロレスリング代表チームとしてヤス・ウラノと共に参加して同団体初参戦を果たした。11月28日、佐藤光留の持っていたDDTのKO-D無差別級王座に挑戦して戴冠を果たす。その後は負傷欠場により一時返上するも、復帰後暫定王者となっていた師弟関係にあり、引退前にシングルでの対決を誓い合っていたアントーニオ本多との統一戦に勝利して再び戴冠。以降はHARASHIMA、飯伏幸太の挑戦を退け防衛している。
2011年5月、KO-D無差別級選手権、石川修司戦にて敗戦。6月30日、引退興行「IKIZAMA」を開催して東郷のユニバーサル・プロレスリング時代からの先輩である外道とのシングルマッチに勝利して国内での活動を引退。8月、世界ツアーへと旅立ちオーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、中南米を転戦した。2012年6月21日、最終目的地である尊敬するチェ・ゲバラの最期の地であるボリビアに到着する。
2012年7月、東郷の弟子でもある佐藤悠己がアイアンマンヘビーメタル級王座を持ってボリビアを訪れて王座を2度獲得(923代・927代)。この927代アイアンマン王座が東郷の最後のタイトルとなった。9月9日、約13ヶ月に及ぶワールドツアーを終えてボリビアにて引退した。日本からヤス・ウラノ、アントーニオ本多、佐々木大輔、ワールドツアー内で指導した各国のレスラーなどが東郷のもとに駆けつけた。また日本から多くのファンも駆けつけ、10月21日、東郷は引退後初の公の場としてDDT後楽園大会に来場し、日本インディー大賞2011のベストバウトの表彰式が行われて開会宣言も担当した。3月9日、DDTのプロレス教室に登場している。今後は、ベトナムに移住してスポーツジムのマネージメントをしつつプロレスの普及をしていくとのこと。5月、東郷はベトナムのダナンにプロレススクールを開講してベトナムのテレビ局のサポートの下でベトナム初のプロレス団体「NVP(ニュー・ベトナム・プロレスリング)」を設立し、吉田充宏が選手兼代表として入団する。
2016年6月5日、東郷はTwitterにて現役復帰を宣言し、7月3日、DDT博多大会で復帰した。9月16日から19日、みちのくプロレスの第6回ふく面ワールドリーグ戦にキューバ代表マスクマンのレボルシオンとして参戦して準優勝。決勝でカリスティコに敗れ、リング上で正体を明かしてカリスティコと抱き合う感動のシーンとなった。
2018年1月13日、みちのくプロレスに再入団。
2018年10月23日、タイの首都バンコクの商業施設ゲートウェイ・エカマイで行われたアジアプロレスリングサミット・サワディーカップに出場。
2020年7月12日、東郷は新日本プロレス大阪城ホール大会「DOMINION in OSAKA-JO HALL」のメインイベント、内藤哲也 vs EVIL(IWGPヘビー級王座&IWGPインターコンチネンタル王座2冠王座戦)ナ内藤が所属するロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーであるBUSHIのマスクを被り乱入し、EVILの勝利をアシスト。試合終了後、東郷がEVILの新しい「パレハ」(パートナー)になることを紹介され、同時にBULLET CLUBに加入した。
2021年6月22日、EVIL、高橋裕二郎とタッグで、石井智宏、後藤洋央紀、YOSHI-HASHIの持つNEVER無差別級6人タッグ王座へ初挑戦。かつてFECで東郷を「大将」と慕っていた石井からの煽りに対しに、BULLET CLUB加入後のダーティーファイトを抑え気味の試合を展開したが、最後は石井の垂直落下式ブレーンバスターの前に敗れた。
2021年8月、『SUPER Jr. TAG LEAGUE 2021』に外道とのタッグで出場。新日本プロレス公式サイトでは「伝説の“レスリングマスターズ」とまで謳われ、その実力を示す機会になるかと思われたが、全敗という結果に終わった(最終戦は試合不成立により敗北扱い)。
プロレスラーとしては決して体格に恵まれていないが、軽量級の中ではウェイトとパワーがある。それでいて飛び技もこなす希有な選手でもあり、大一番になると、その器用さを活かして日本では滅多に見ないような技を突如として繰り出すこともある。
佐藤茂樹が現在と過去に用いたことがあるリングネーム。
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