![福永祐一 福永祐一](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/Yuichi_Fukunaga_2023.jpg/400px-Yuichi_Fukunaga_2023.jpg)
福永 祐一(ふくなが ゆういち、1976年12月9日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の元騎手で現在は調教師である。父は現役時代「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一、叔父に元調教師の福永甲、福永二三雄、元騎手の福永尚武、北村卓士、義従兄に調教師の福永敏。妻は元フジテレビアナウンサーの松尾翠。2016年7月より夫人も所属している芸能事務所のホリプロとマネジメント契約を結んでいる。160 cm, 52 kg。義父は陸上自衛隊の松尾幸弘陸将。
以下、父である福永洋一(洋一)、叔父である福永甲(甲)、福永二三雄(二三雄)、福永尚武(尚武)と区別するため、本文中はとくに「祐一」と表記する。
栗東町立金勝小学校を卒業。近江兄弟社中学校時代はサッカーをしていた。中学校二年次に騎手になることを決め、母の猛反対を説得して競馬学校に入学。その前年にも受験していたが、実技テスト前に骨折し、翌年に再受験、近江兄弟社高校を中退し、12期生として競馬学校へ進む。同期にはJRA初の双子騎手柴田大知・柴田未崎、JRA初の女性騎手細江純子・牧原由貴子、和田竜二などがいる。
1996年、北橋修二厩舎でデビュー。3月2日の中京競馬第2競走でマルブツブレベストに騎乗し初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾る。同日、中京11Rの中日新聞杯(GIII)で瀬戸口勉厩舎のオグリワンに騎乗、デビュー日に重賞に騎乗した唯一のJRA騎手である。11月には1987年の武豊以来となる新人50勝を達成。12月、第10回香港国際カップのシーズグレイスで海外初騎乗(9着)。この年は最終的に53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得した。
1997年7月22日、川崎競馬場(スパーキングナイター)で行なわれた第44回エンプレス杯でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年11月15日にキングヘイローで第2回東京スポーツ杯3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)に勝ちJRA重賞初勝利。そのキングヘイローで1998年、第65回東京優駿(日本ダービー)初騎乗。
1999年の第59回桜花賞でプリモディーネに騎乗しJRAGI初勝利。しかしその翌週、中京競馬場で施行された第33回小倉大賞典の本馬場入場の際に落馬事故で左腎臓摘出というけがを負う。7月に復帰し、第51回朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を自厩舎の所属馬エイシンプレストンで制した。
2005年は第22回フェブラリーステークスをメイショウボーラーで、第65回桜花賞と第10回NHKマイルカップをラインクラフトで、第66回優駿牝馬をシーザリオで制したほか、フサイチリシャールで第57回朝日杯フューチュリティステークスを勝利した。またシーザリオでは同年7月3日 (現地) アメリカ合衆国のハリウッドパーク競馬場で行われた第4回アメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた。
2006年の第31回エリザベス女王杯ではフサイチパンドラに騎乗。カワカミプリンセスに1位入線を許したものの同馬は審議の結果進路妨害で12着に降着となり、フサイチパンドラが2着から繰り上がり優勝。これにより史上6人目、初騎乗から10年8か月10日は藤田伸二の記録を抜いて史上最速でJRA G1全5場制覇。また同年に新設された第1回阪神カップをフサイチリシャールで制し、初代王者となった。
2007年には、JpnI競走の優駿牝馬でローブデコルテに騎乗し優勝。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。11月29日に兵庫県警察宝塚警察署から一日警察署長を委嘱され「年末特別警戒隊発隊式」に出席した。
2008年も順調に勝利数を重ねた。9月27日に8811戦目で父・洋一の通算勝利数(983勝)に並んだ(洋一は5086戦目で983勝目をあげている) 。また、11月30日京都競馬場で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成した。また12月6日と7日に行われた第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。
2007年の第68回優駿牝馬以来、GI競走での勝利から遠ざかっていたが、2010年の第62回阪神ジュベナイルフィリーズで1番人気に支持されたレーヴディソールに騎乗し勝利。
2011年、第47回札幌記念などサマーシリーズの3レースを勝ち、サマージョッキーズシリーズを2位に15ポイント差で優勝。また、ディープインパクト産駒でブエナビスタの妹ジョワドヴィーヴルにて第63回阪神ジュベナイルフィリーズを連覇。岩田康誠との熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となった。 JRA賞最多勝利騎手は(地方競馬での)中央・地方交流競走の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永はJRA賞最高勝率騎手を受賞した。
2012年、6月2日の第65回鳴尾記念をトゥザグローリーで勝利、さらに翌日の第62回安田記念を関東馬ストロングリターンで勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日12Rにて行われた第17回ユニコーンステークスもストローハットで勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成。第53回宝塚記念後、8月末までアメリカへ遠征する。なお、第48回札幌記念でダークシャドウに騎乗するため、一時帰国した。
2013年3月、松尾翠(元フジテレビアナウンサー)と結婚、8月20日に婚姻届を提出した。翠の父で元陸上自衛隊自衛官の松尾幸弘陸将(現・東芝顧問)は義父にあたる。
同年10月6日、第64回毎日王冠でJRA重賞100勝を達成。10月20日、第74回菊花賞をエピファネイアで勝利し牡馬クラシック初制覇と同時に、父・洋一との親子制覇を達成した。さらに10月27日、第148回天皇賞(秋)をジャスタウェイで制覇し、2週連続で八大競走親子制覇を達成した。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは1965年の栗田勝以来である。最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなった。この年から始まった初代MVJに選ばれた ほか、中京開催で20勝し、中京開催リーディングジョッキーになった。
2014年、3月29日の第19回ドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)をジャスタウェイで勝利。この年は118勝を挙げるが、全国リーディング4位となった。中京開催で19勝し、2年連続中京開催リーディングジョッキーになった。
2015年は、121勝を挙げリーディング1位を走っていたが、10月31日の第58回スワンステークスにて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬した。これにより、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折と診断されるが、精密検査の結果、右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになった。
怪我後2016年は2月13日の京都競馬で復帰し、7鞍に騎乗するも、勝利にはならなかった が、翌日の14日に復帰後初勝利を挙げた。
2016年10月16日に行われた第21回秋華賞をヴィブロスで優勝し、JRA・G1レース通算20勝目をマークした。
2017年7月15日、中京8Rをキセキで勝利し史上8人目のJRA通算2000勝を達成。デビューから21年4か月14日での達成は、武豊に次ぐ史上2番目のスピードであった。
2018年5月27日に行われた第85回東京優駿(日本ダービー)を5番人気ワグネリアンで優勝。19回目にして初の日本ダービー制覇を達成した。父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇となった。
2019年3月24日、中京競馬場にて開催された第49回高松宮記念をミスターメロディで勝利。レース5日前の3月19日にはキングヘイローが他界しており、かつてのパートナーに捧げる勝利となった。
2020年4月19日、中山競馬場で行われた第80回皐月賞を1番人気コントレイルで優勝。父・洋一との皐月賞父子勝利、史上11人目の5大クラシック完全制覇、世代限定JRAGI 完全制覇を達成した。
2020年5月31日、第87回東京優駿(日本ダービー)をコントレイルで優勝。自身2度目のダービー制覇を果たした。同年10月25日、京都競馬場で行われた第81回菊花賞をコントレイルで優勝、同馬とのコンビで中央競馬クラシック三冠を達成した。43歳での達成は三冠騎手としては最年長であった。同年11月21日、阪神4Rで史上9人目のJRA通算18,000回騎乗を達成した。
2021年1月10日、中京11R第55回シンザン記念をピクシーナイトで勝利し、史上5人目のJRA通算2400勝を達成した。
同年5月2日、第163回天皇賞(春)をワールドプレミアで優勝。史上2例目の天皇賞春秋親子制覇と同時に、史上4人目となるJRA重賞150勝を達成した。同年5月30日、第88回東京優駿をシャフリヤールで優勝。前年のコントレイルに続く連覇達成(武豊、四位洋文に続き史上3人目)および、単独2位となる通算3勝目となった。また同時にJRA・G1レース通算30勝を達成した。
同年9月26日、中京4Rをドライスタウトで勝利し、史上5人目の通算2500勝を達成した。
同年10月3日、第55回スプリンターズステークスでピクシーナイトに騎乗し優勝。年間GI3勝目を勝ち取った。
同年12月12日、第23回香港スプリントに出走。前走スプリンターズステークスを制覇したピクシーナイトに再び騎乗した。レースでは後方を進んでいたが、第4コーナーに差し掛かった際前方を進んでいたアメージングスターが転倒。それに巻き込まれる形でピクシーナイトも転倒し、福永は体を投げ出された。事故後も意識ははっきりしており搬送先の病院で左鎖骨骨折と診断された。同月25日に手術を受け、翌年2月の復帰を目指しリハビリに専念。
翌2022年2月5日の中京競馬で復帰し3鞍に騎乗。同日のメインレースであるアルデバランステークスをスマッシングハーツ騎乗で勝利を飾った。
2022年10月16日阪神1R2歳未勝利でゴッドセンドに騎乗し1着となり、史上4人目のJRA通算2600勝達成。
2022年12月8日、2023年度新規調教師試験に合格したことが発表され、同時に翌年2月をもって騎手を引退することが告知された。3日後の12月11日、カペラステークスをリメイクで勝利。これが騎手として最後のJRA重賞勝利となった。
2023年2月6日、引退式を3月4日に行うことがJRAから発表された。奇しくもこの日は、洋一の最終騎乗となった日でもある。2月9日、佐賀記念をバーデンヴァイラーで勝利し、騎手生活最後の重賞勝利を飾った。
2023年2月19日、東京12Rの大島特別でゲンパチプライドに騎乗(5着)したのが日本での最後の騎乗となった。25日(現地時間、日本時間26日未明)に行われたリヤドダートスプリントでリメイクに騎乗し3着。27年の騎手生活を終えた。
2023年3月1日付で調教師免許が交付された。厩舎開業までの1年間は技術調教師として活動。本人によれば藤原英昭厩舎での修行を予定していたものの、当の藤原から「(所属した厩舎の)色がつくから、お前はフリーで行け」と言われてしまい所属できず、その影響で厩舎開業まで本業では無収入だった。
2023年3月4日、第30回チューリップ賞で誘導馬のミツバに騎乗し、出走17頭を先導した。同日行われた引退式ではJRA理事長・後藤正幸などに加え、師匠である北橋修二、主戦騎手を務めたコントレイルの生産者である前田幸治、後輩の川田将雅、競馬学校同期で日本騎手クラブ副会長兼関西地区支部長の後任となる和田竜二、日本騎手クラブ会長の武豊からの花束贈呈を受けた。落馬事故以来44年ぶりに阪神競馬場に姿を見せた父・洋一と母・ 裕美子への感謝の花束を渡し、最後の挨拶では両親や北橋への感謝の言葉を涙ながらに伝えた。
2024年、厩舎を開業。同年3月9日、阪神競馬第11Rにレオノーレを出走させ、管理馬初出走。鞍上には武豊を迎え、積極的に逃げるもゴール寸前でハナ差だけ交わされ2着。初出走初勝利はならなかった。
4月7日、福島競馬8Rでマルカブリッツが1着となり、調教師としての初勝利を挙げた。
(斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
出典:JRA騎手名鑑(累計成績は2021年12月28日現在)
2024年3月6日付けで厩舎を開業した。同年3月5日付けで定年引退する安田隆行厩舎から重賞勝ち馬ダノンスコーピオンや騎手時代にコンビを組み重賞制覇を果たしたデュアリスト等を引き継いだ。
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