津軽 承祜(つがる つぐとみ)は、江戸時代後期の弘前藩の世嗣。官位は従四位下。字は厚卿廓堂。
津軽家一門・津軽百助家の津軽順朝の長男として誕生。幼名は武之助。室は鶴姫。許嫁は津軽順承娘・常姫。
本家弘前藩11代藩主・津軽順承の仮養子となり、弘化4年(1847年)に元服して、正式に順承の婿養子となり、その偏諱を受けて承祜(ゆきとみ)と名乗る。嘉永6年(1853年)11月に従五位下・大隅守となり、安政元年(1854年)に従四位下に叙され、後継者として12代藩主になることを嘱望されたが、18歳で病没した。法号は有孝院殿。絵に才能があり、墨絵が残っている。
昭和29年(1954年)8月3日、菩提寺長勝寺の墓地移転で、地下7mの場所に茶殻が敷き詰められた座棺に土葬されており、自然ミイラ化(死蝋)した状態で発見された。空気に触れたためか徐々に腐敗が進行したので、防腐処理を施され長勝寺に安置され、ミイラの学術的な調査も行われた。推定身長160cm、体重48kg。平成7年(1995年)5月20日、津軽家よりの要請で火葬にされ、再び埋葬された。なお、副装品の絹麻の帷子、筆、硯などは長勝寺に引き続き収蔵されている。
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