![山都町 山都町](/modules/owlapps_apps/img/errorimg.png)
山都町(やまとちょう)は、熊本県東部にある町で、上益城郡に属している。
九州(沖縄県及び離島を除く)のほぼ真ん中に位置していることから、「九州のへそ」を商標登録しており、全国へそのまち協議会に参加している。町域は東西約33キロメートル、南北約27キロメートルにおよび、面積は544.83平方キロメートルで、熊本県内市町村で3番目の広さを誇る。
世界最大級の阿蘇カルデラを形成する南外輪山のほぼ全域をおさめ、南側は九州山地に接している。一級河川である五ヶ瀬川、緑川は町内の山間部にある水源を源流とし、分水嶺を境にそれぞれ東西に流れている。標高は、300メートルから1700メートルにあり、そのうち300メートルから900メートルにある居住域については、平野部との気温差は各月平均で4度ほど低く、準高冷地の気候である。
2005年2月11日に上益城郡矢部町、清和村、阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生。熊本県下ではあさぎり町、氷川町とともに「まち」でなく「ちょう」と読む数少ない町である。現在、熊本都市圏及び政令指定都市についての研究会に参加している。
阿蘇の外輪山から九州山地まで変化に富んだ自然を持ち、宮崎県と接している。町北部は阿蘇南外輪山に位置する大矢野原や井無田高原などの高原が広がり、標高1000m前後の峠を経て南阿蘇村及び高森町と接している。町中部に各地域の中心地が位置し、国道218号が中心地を結び横断している。町南部は、急峻な地形の九州山地が存在し、標高も1000m以上の山々が連なっている。また、谷沿いを中心に集落が発達しており、人口も広範囲に分布している。
令制国としては肥後国の一部で、益城郡に属した。中世南北朝から戦国期にかけては、阿蘇大宮司家が旧矢部を本拠地として現在の熊本県央地域一帯を所領とし、その居館「浜の館」を築いてその繁栄を誇る。
その後、江戸時代となり、地方行政の根幹をなす「手永制度」が敷かれた。矢部郷(旧矢部町と旧清和村朝日地区)は「矢部手永」、知保郷(旧清和村小峰地区と旧蘇陽町一帯)は「菅尾手永」として、それぞれに惣庄屋を配して行政治安を司らせた。民衆も惣庄屋と一体となり、地域の発展に寄与した。
肥後細川藩の藩主が、矢部地方に狩りに出かけた際、この地方にある滝の壮大さ・美しさに感動し、藩のお抱え絵師を派遣して、肥後各地の名勝の絵を描かせた(『領内名勝図巻』)。
嘉永7年、矢部手永の会所(当時の役場相当)時代には、他の地方と同じように新道や堰、用水路など数多くの公共的インフラストラクチャーが建設された。その一つに、御岳と白糸地区に造られた生活用水や農業用水確保のための通潤用水があり、通潤用水の水を送る石組みの水路橋として築造されたのが通潤橋である。通潤橋は、阿蘇山や熊本城などと並び熊本県でも有数の観光資源・文化財であり、町のシンボルともなっている。
当時、矢部会所の惣庄屋として布田保之助がいた。通潤用水及び通潤橋の功労者として布田は神格化されることも多いが、その整備は布田一人の成果ではなく、矢部手永から集められた資金や肥後細川藩の資金を借り、各地の労働者や他地区の石工など総動員して作られた地域の歴史的な遺産である。道路などと同じく個人や地元・特定団体の所有物ではない。
この頃から肥後と東隣の日向国(現在の宮崎県)を結ぶ日向往還の主要な交易地・交通の要衝として、山都町の中心市街である浜町や馬見原(蘇陽地区)は商家を中心に繁栄していた。
明治初めの西南戦争では、熊本で官軍と戦って破れた薩摩軍が、敗戦の退路に立ち寄っている。
合併により旧矢部町役場を本庁舎とし旧清和村役場、旧蘇陽町役場をそれぞれ清和総合支所、蘇陽総合支所へと移行。また新庁舎の建設に伴い、山都町役場本庁舎の一部が旧白糸第一小学校へと移転することになった。 平成27年1月に本庁舎開庁。平成28年4月、蘇陽総合支所、清和総合支所をそれぞれ蘇陽支所、清和支所へ変更した。
本庁舎
支所
山都町包括医療センターそよう病院
2006年度(平成18年度)の町内総生産490億円(平成20年『町民所得推計調査結果』)。
2018年、東京事務所を開設した。所在地は農産物やジビエ肉の販売、観光客や移住者誘致で協力を得ているコンサルティング会社「クレアン」内(港区白金台)。
(平成19年 工業統計調査結果)
小売業
卸売業
(平成19年 商業統計調査結果)
町内に鉄道路線は走っていない。最寄駅は南阿蘇鉄道高森線の高森駅。JRでは鹿児島本線の松橋駅(宇城市)。
両方面共に乗降可。予約制。
熊本市内方面(1、2時間に一本程度)
双方長距離を走る路線で、一般路線バス車両が使用される。通勤通学のみならず、日中時間帯の日常利用や沿線の観光地の移動の足としても利用される。
清和・馬見原方面(2、3時間に一本程度)
かつて直行線と一体路線であり、大野経由と菅尾経由の2系統が存在したが現在は分離、系統も大野経由に一本化され、車両も小型の一般路線バス車両が使用される。
高森町民バス「草部北部線」「草部南部線」高森駅 - 山都町埋立地区 - 高森町草部地区を運行
高森町中心部から草部地区へ至るまでに、高森峠を経由し国道325号線を通過するため、僅かではあるが当町に乗り入れる
五ヶ瀬役場 - 旧蘇陽馬見原地区 - 五ヶ瀬町鞍岡・波帰地区を運行
五ヶ瀬町中心部から鞍岡地区方面へのアクセスは県境を跨いで馬見原地区を経由する必要があるため、当町に乗り入れる。
熊本バス旧「水越線」の御船 - 水越 - 五ヶ瀬(矢部地区の吐合)
主に御船町を拠点にバス事業を展開している。当町と御船町の境界付近が終点となっている。
山都町全域(平日・土曜に1、2往復)
矢部、清和、蘇陽の各地域ごとを拠点に町内を広くカバーしている。各拠点いずれも地理的に中央部に位置するため、放射状に多くの路線が伸びている。なお、当町の幹線となる熊本バスの市内直行線及び馬見原線との乗り換えは、朝の時間帯以外考慮されていないようである。
※山都町バスの系統については山都町コミュニティバスを参照。
最寄り空港は阿蘇くまもと空港。
(廃校になった学校 - 山都町立朝日小学校、山都町立小峰小学校ほか)
当時、地方の山村の風景や名勝を描いた絵画は少なく、希少な史料である。
山都町について書かれた文献『里の時間』芥川仁・阿部直美著 岩波新書1511『先人の汗で田を拓く』
★は故人
架空の人物
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