![チーム・ヴィスマ・リースアバイク チーム・ヴィスマ・リースアバイク](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Jumbo-Visma%2C_Giro_d%27Italia_2021.jpg/400px-Jumbo-Visma%2C_Giro_d%27Italia_2021.jpg)
チーム・ヴィスマ・リースアバイク(Team Visma | Lease a Bike、UCIチームコード:TVL)は、UCIワールドチームに属する自転車競技チームである。2014年までのチーム名は「ベルキン・プロサイクリング・チーム」、2012年以前のチーム名は以前のメインスポンサー企業名の「ラボバンク」、2013年のメインスポンサー決定前のチーム名は「ブランコ・プロサイクリング・チーム」であった。
1983年まで活動していた、TI=ローリー(TI-Raleigh)がチーム内分裂により解散を余儀なくされ、同チームの主力選手であったヤン・ラースが中心となって、1984年に、クワンテュム・ハレン=デコソル=ヨーコ(Kwantum Hallen-Decosol-Yoko)を結成したのが当チームのルーツである。
その後、スーパーコンフェックス=ヨーコ(Superconfex-Yoko、1987年~1989年)、ブクラー=コルナゴ=デッカ(Buckler-Colnago-Decca、1990年~1992年)、ワードパーフェクト=コルナゴ=デッカ(Wordperfect-Colnago-Decca、1993年~1994年)、ノヴェル・ソフトウェア=デッカ(Novell Software-Decca、1995年)という変遷を経て、1996年にラボバンクとなる。
2012年10月19日、ランス・アームストロングのドーピング問題の余波を受けラボバンクが同年限りでのスポンサー撤退を表明。2013年、シンボルネームとして「Blanco(スペイン語で白の意味)」を採用し、ブランコ・プロサイクリング・チーム(Blanco Pro Cycling Team)と名称を変更した。その後6月にベルキンとスポンサー契約を結んだことが発表され、同年のツール・ド・フランス開幕の5日前の6月24日、プレゼンテーションにて新チーム名「ベルキン・プロサイクリング・チーム(Belkin Pro Cycling Team)」が発表された。2015年にオランダの宝くじ公社(LottoNL)と同じくオランダのスーパーマーケットJUMBO(ユンボ)がスポンサーとなり、チーム・ロットNL・ユンボとなった。2019年よりノルウェーのIT企業、非上場会社ヴィスマ(en:Visma)がスポンサーに加わり、チーム・ユンボ・ヴィスマ(Team Jumbo-Visma)となる。
当チームは、UCIワールドカレンダー(旧UCIプロツアー)を中心に活動するロードレースのトップチームの他、UCIヨーロッパツアーの活動が主体の下部組織である、ラボバンク・ディヴェロップメント(Rabobank Development Team)や、シクロクロス専門チームも抱えている。
チーム結成当初は、アドリ・ファンデルプール(1996年)、リハルト・フルネンダール(2000年)がエリートで、スヴェン・ネイス(1998年、2005年にはエリートでも優勝)、テイス・フェルハーヘン(2002年)がU23で、それぞれ世界選手権を制したことで、シクロクロスにおける活躍が目覚しかったが、2001年のUCI・ロードワールドカップで総合優勝を果たしたエリック・デッケルがきっかけとなってロードレースにおける活躍の場も広がり、エリックの他、レオン・ファンボン、ロビー・マキュアン、マイケル・ボーヘルト、カルステン・クローンらがツール・ド・フランスにおいて区間優勝を果たし、チーム力が次第に強化されていった。
2004年、現役生活の晩年に当チームの選手として在籍していたエリック・ブロイキンクがチームディレクターに就任すると、グランツールで総合優勝を狙えるチーム力を作り上げていくことになる。同年、2003年に加入したオスカル・フレイレが、自身3度目となる、世界選手権・個人ロードを制覇。
2005年、2003年に加入したミカエル・ラスムッセンが、ツール・ド・フランスで山岳賞を獲得。そして、同年に加入したデニス・メンショフは、同年のブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝を果たした。そしてシクロクロスでは、ネイスが世界選手権をはじめ、他の3シリーズ大会でも総合優勝を果たし、シクロクロス史上初のグランドスラムを達成。
2006年、再びラスムッセンがツール・ド・フランスで山岳賞を獲得。またトーマス・デッケルが、UCIプロツアー対象レースとしては史上最年少となる21歳6ヶ月の年齢で、ティレーノ〜アドリアティコにおいて総合優勝を果たした。
2007年、ラスムッセンはツール・ド・フランス第16ステージまで総合首位を堅持し、チーム史上初のツール総合優勝制覇に王手をかけていた。ところが、同年6月、当チームに対し、抜き打ちドーピング検査で義務付けられている所在地を偽って報告していたことを理由に、同ステージ終了後に突然契約を打ち切る処置を取った。一方、同年のブエルタで、メンショフが2度目の総合優勝を果たし、チームに2度目のグランツール制覇をもたらした。
2008年、フレイレがツール・ド・フランスでポイント賞を獲得。また、ラース・ボームがシクロクロス世界選手権で優勝。
2009年、名実ともにチームリーダーとなったメンショフが、ジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たした。
2011年にメンショフが移籍した後は、ロベルト・ヘーシンク、バウク・モレマ、ステーフェン・クラウスヴァイクといった地元オランダの中堅選手達がステージレースで好成績を残した。
2012年、USADA(英語版)によってランス・アームストロングのドーピング問題など、過去のUSポスタルチーム内部のドーピングスキャンダルが明らかにされ、これに関与していた選手やスポンサー、関係機関のみならず、その影響は運営・活動を行なっているチームにまでに波及した。ラボバンクは10月19日、2012年12月31日限りでの男女プロロードチームからのスポンサー撤退を発表した。
2013年、ラボバンクのスポンサー撤退に伴い、「ブランコ・プロサイクリング・チーム」(Blanco Pro Cycling Team)と名称を変更。ラボバンク社は2013年度のチーム活動資金を確約しており、同チームはラボバンク名義ですでにUCIワールドツアーライセンスを更新済みであった。
2022年6月28日更新
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