![チトセオー チトセオー](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
チトセオーとは、日本の競走馬・種牡馬。1965年に行われた第25回皐月賞の優勝馬である。
※以下、馬齢は当時の旧表記(数え年)とする。
1965年1月3日、京都競馬場の新馬戦で島崎宏を背にデビューするもスプリームオールの3着に敗れる。2戦目より騎手が湯浅三郎に乗り替わり3月14日の未勝利戦で初勝利を飾ると、続く条件特別競走の若葉賞と連勝して皐月賞に出走した。
このときの皐月賞では、きさらぎ賞、スプリングステークスを連勝して臨むダイコーターが単勝1番人気、前走のスプリングステークスでダイコーターの2着に敗れはしたものの、それまで京都3歳ステークスや弥生賞の勝利を含むデビューから無傷の6連勝をしていたキーストンが2番人気とほぼ一騎討ちの様相であり、チトセオーは両馬とは大きく離れた支持率の8番人気であった。しかしレースは、いつもの逃げに精彩を欠いたキーストンが最後の直線で早々と馬群に飲まれて脱落し、最終的にはチトセオーがダイコーターをクビ差で凌ぎきって勝利する波乱の結果となる。チトセオーは重賞初制覇をクラシックで飾り、鞍上の湯浅にとってもクラシック初制覇となった。
続いてNHK杯に出走するも15頭中の最下位に敗れる。故障発覚もあり日本ダービーを回避して、菊花賞までにオープン競走、朝日チャレンジカップ、京都盃と3戦したがいずれも惨敗し、迎えた菊花賞でも18頭中15着の惨敗を喫した。
クラシック戦線終了後の京都記念(秋)で前年の天皇賞・春優勝馬ヒカルポーラにハナ差の2着と健闘すると、続く阪神大賞典でふたたびダイコーターらを抑えて皐月賞以来の勝利を挙げる。しかしこれが最後の重賞勝利となった。
5歳時は9戦するも3位入賞すらできない惨敗を続け、6歳時は4戦して250万下の条件戦の1勝に終わり、この年限りで引退。
引退後は種牡馬入りするも目立った活躍馬を出せなかった。1973年に用途変更となり、以降の行方は分かっていない。
※ 太字の競走は八大競走。
チトセオー自身は持込馬として日本で生まれたが、父のジルドレも後に日本に輸入されミスタートウジンの母の父となっている。
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