Aller au contenu principal

穆公 (魯)


穆公 (魯)


穆公(ぼくこう)は、魯の第30代君主。名は顕。元公の子で、元公の後を受けて魯国の君主となった。在位33年。在位期間中に改革を実行し、哀公・悼公・元公の3代にわたる三桓氏の専制の問題から脱却し、魯公室の権威を確立して、隣国の斉とのあいだで数度の戦争を展開した。

穆公元年(紀元前415年)、穆公は改革を実行するため、博士の公儀休を魯の相に任命し、三桓氏から政権を奪回すべく、親政を開始した。季孫氏はその封邑の費・卞・東野に拠って独立した小国となっていた。

穆公4年(紀元前412年)、斉が魯の莒と安陽(現在の山東省陽穀県の北東)を攻撃したので、呉起を将として、斉軍を破った。

穆公5年(紀元前411年)、呉起が魏に亡命した。斉が魯を討って都を取った。

穆公8年(紀元前408年)、斉が魯の郕を取った。

穆公22年(紀元前394年)、斉が魯を討ち、郕を取った。韓が魯を救った。

穆公26年(紀元前390年)、魯が斉を平陸で破った。

  • 楊寛『戦国史』



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 穆公 (魯) by Wikipedia (Historical)