![金月真美 金月真美](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
金月 真美(きんげつ まみ、1965年4月2日 - )は、日本の女性声優、歌手。兵庫県明石市出身。青二プロダクション所属。
女優志望だった6歳上の姉が劇団ひまわりへの入団を熱望していた際、「私も入ろうかな」という軽い気持ちで1975年に姉と共に劇団ひまわりのオーディションに合格し、子役として活躍する。事務所はその後、NPSテアトル、大沢事務所を経て青二プロダクション所属となった。
子役として初の仕事は『人形姉妹』。入団当初は、早口言葉、セリフ読み、日本舞踊、歌、バレエなどのレッスンもこなしていたが、仕事が入るようになると「現場が一番でしょ」という考えになり、やがてレッスンに行かなくなったという。
子役として現場で仕事をしていた際、当初1年間ほどは母が付き添いで来ていたが、小学6年生の時には単身現場に赴いていた。両親から反対された記憶はなく、姉は当初猛反対をされたが、金月に対しては賛成でも反対でもなかったようだったという。
現場で学んだことは「演じることが楽しい」ということだと語り、小学5年時は単発で何本か出演し、小学6年時に初レギュラーを経験する。通学していた関係上、仕事は年に1本が限度であり、中学2年生まではその生活をしていた。中学3年生は受験のために演技の活動は休止したという。
小学6年から中学生の間は一番舞台を観ていた時期であり、両親姉と一緒に帝国劇場、劇団四季など大きな舞台を観劇しており、「あそこにに立ちたい」と感じていたという。
高校に進学後、ナレーションの仕事をするようになってから観劇からは遠ざかる。友人、知人が出演している一方、自身が出演していないことで舞台を観ることが辛くなってしまったという。
高校は姉が通っていた東京都の大学の付属高校に進学。校則で芸能活動は一切禁止だったため顔出しの仕事が出来なくなるが、「顔が出なければいいか」と捉え、大沢事務所の当時の社長が独立する際、「映像の仕事ができないならとりあえず声の仕事を」と勧誘され、劇団ひまわりを退団して大沢事務所に所属する。当時は映像への夢があり、「大学生になったらやってやろう」と考えていた。やがてラジオのナレーションの仕事を受けるようになり、大学進学後もナレーターとして活動を続けた。高校時代は仕事のため授業を中抜けしており、雑誌のCMナレーションをレギュラーで3年間こなした。担任の教師にのみ声優活動をしている旨を話してあり、「仕事のため抜けます」と伝えていた。ある日担任の教師に、「職員会議で、同じ曜日の同じ時間に中抜けしていることが取り上げられた」と告げられたため、放課後の時間帯に可能な仕事に変更してもらい活動を継続した。しかしあるLPレコードのブックレットに掲載されたため、最終的に卒業間際になって学校側に知られてしまったという。
大学進学後、大沢事務所が声優事務所だったことから「このままでは顔出しの仕事はできない」と気付いたという。「早く始めなきゃ、早くデビューしなきゃ」と焦っていたが、自ら養成所や劇団を探したり、自身の活動を模索するといったことはしていなかったという。大学1、2年生の時期は多忙だったが、次第に仕事が減ってき、現場での反応があまり良くないのも感じるようになり「ああ、ダメなんだ」と思い、演じるという仕事を断念したように思っていたという。一方で、本来やりたいことは「ナレーションではない」と言い訳を作り、この時点で声の仕事をやることは「(今から顔出しの仕事をやるのは)もう遅い」と自身で思い込んでいたという。
当時は自ら選択しておきながら「不本意にやっている」と感じており、「私の次の夢はなんだろう」と考えた結果、「留学だ」という結論に達した。当時卒業の時期だったが、「勉強しながらお金を貯めよう」と思い、大妻女子大学文学部英文科卒業後は大妻女子大学短期大学部実務英語科にて助手として勤務していた。その後、テープオーディションで決まった1994年発売の恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』(以下、『ときメモ』)でヒロイン「藤崎詩織」の声を演じたことから、一躍声優として人気を集める。当時は「自分がなんで養成所に入ってちゃんと勉強しなかったのか?」、「なんで失敗を恐れずにもう一度お芝居をやる環境を作らなかったのか」という勇気のなさを後悔していたことから、「せっかくのチャンスをもらったのに、これをあきらめたら一生自分を嫌いになる」と思った。それで「留学はしますが、帰ってきますからぜひお仕事をさせてください」とお願いして、それを了解してくれて、声優として活動することができたという。
藤崎詩織は膨大なセリフで、好きから大嫌いまでの感情だけでも5段階ぐらいに分かれた演技を要求され、困難を極めた。長らく演技から離れた後の仕事だったことから、声が出ていないことに気づかないこともあったという。当時面倒を見てもらった音声監督と数年後に別現場で再会した際、「いや〜金月さん、腹から声が出るようになったねぇ。あの頃はどうなることかと思ったけど」と明かされるほどだった。
『ときメモ』に出演していた時期は演じるということをゼロに戻し、声優として「まったくの新人」として1から始めた。セリフを言えるのが楽しかったことから、ゼロに戻すことも怖くなかったという。
『ときメモ』がヒットしていた当時はアメリカのイースタンミシガン大学に留学経験があり、日本とアメリカを行き来していた時期がある。当初は月に1回だけだったが、そのうちに2週間に1回になった。その時は仕事が新しいことだらけで楽しかったため、全く苦ではなかった。アメリカには1年ほど在住していたという。ある時、いつも通りに戻るつもりで家財道具を置きっぱなしにして来ていた。しかし結局仕事で戻れなくなり、留学はそこで諦めたという。
2002年、ファンクラブの会報で結婚を報告した。
ナレーションの仕事をこなす期間が長かったため、演技の場から遠ざかっていたことを当時の事務所の先輩に相談したところ、その先輩の舞台にわずかながら出演したのが自身の初舞台だった。2003年の秋、正式に舞台に立つ。
2012年、國府田マリ子と「MK-CONNECTION」を結成する。
明石市出身ではあるが、親が転勤族であったことから後に埼玉県春日部市などで育っており、関西弁はほとんど話せない。しかし、プロフィールでの出身地から関西弁の役の依頼が来ることも少なくなく、本人は困惑しているという(PlayStation版『ときめきメモリアル』のクリスマスパーティ後のシーンでは関西弁のイントネーションで主人公との会話が行われている)。
主に女性役を演じている。
2004年時点では声優のキャラクターボイス的な勉強は一つもせずに始めている。ダメだしを受け続けて反省しながらしていくしかなく、勉強するために『美少女戦士セーラームーン』は見ていた。「女の子がたくさん出ていましたから参考になるだろう」と思い、かわいらしい声を持っているわけではないことから、勉強しているという。
セリフをもらって最初に苦しんだのが、セリフを喋るとナレーションになり、全然演技ができなくなり、それを直すのにしばらくかかったという。
音楽活動では、本人名義の他に藤崎詩織名義でもCDをリリースしており、また「夢をあきらめないで」(オリジナル:岡村孝子)「はぐれそうな天使」(オリジナル:来生たかお)、「You're My Only Shinin' Star」(オリジナル:中山美穂)、「トワイライト・アヴェニュー」(オリジナル:スターダスト・レビュー)などのカバーソングを数多く歌っている。
子供の頃は宝塚歌劇団ファン。
高校時代はテニス部に所属していた。
資格・免許はTOEIC815点、普通自動車免許。
趣味は着物、声楽。特技は韓国語、フラダンス、日本舞踊。
音域はA - D(1オクターブ半)。
太字はメインキャラクター。
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