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BaBe


BaBe


BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。

表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。片仮名表記は、2ndシングルまでは「ベイヴ」と表記されていた。

1987年に、当時流行だったマイケル・フォーチュナティのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ジャズダンス教室で結成されたユニットが元になっているため、当時としては他に類を見ない激しいダンスを踊りながら歌う「歌って踊る」スタイルで人気を得た。そのため、ダンスパフォーマンスを売りにする女性アイドルグループの元祖となった。二階堂ゆかりの結婚により1990年3月31日に解散。

活動当時の所属事務所はエスワン・カンパニー。別名義:Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)。前身ユニット:ブレイカーズハートブレイカーズ

メンバー

  • 近藤智子(こんどう ともこ、 (1966-02-17) 1966年2月17日(58歳) - )
    東京都狛江市生まれ。調布市、および神奈川県川崎市高津区育ち。愛称:智ちゃん、こんちゃん。身長:160.2 cm、B:81 cm、W:59 cm、H:85 cm(1987年当時)。血液型:O型。
    川崎市立西高津中学校、橘女子高等学校卒業。
    部活は中学3年からバスケットボール部。高校入学後はテニス部に入ったが3日で退部し、その後は帰宅部。
    珠算検定5級の資格を持つ。
    2歳年下の弟がいる。
  • 二階堂ゆかり(にかいどう ゆかり、 (1965-08-29) 1965年8月29日(58歳) - )
    東京都武蔵野市出身。愛称:ゆかりちゃん、ゆかちゃん、にかちゃん。身長:164 cm、B:86 cm、W:60 cm、H:87 cm(1987年当時)。血液型:O型。
    女子中高の一貫校出身。部活は中学生時代はソフトボール部。高校生時代は器械体操部で、部長も務めた。
    書道2段の資格を持つ。
    母親は幼稚園で保母をしていた。
    子供は男・女・男の順で3人。長女は満月あいり(みつき あいり。1992年2月25日生まれ。歌手、女優。ガールズバンド「新・チロリン」の元メンバー)。

略歴

近藤と二階堂の2人は、それぞれ別のアマチュアバンドでボーカルとして活動していた。「アルバイトをしながら好きなことを探そうと思っていた」近藤と、「短大に行って保母さんになろうと思っていた」二階堂は、高校卒業後から通い出したジャズダンス教室「一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー」で出会う。(教室に入ったのは二階堂の方が先だった。なお、1985年11月中旬に教室が移転。移転後の所在地は東京都渋谷区宇田川町25-4 ダッキープラザビル6F)

1984年、ダンス教室内で近藤と二階堂の2名に対し、「ブレイカーズ」のユニット名が与えられる。そして同年11月17日公開の映画『ザ・オーディション』に、「ブレイカーズ」名義で出演。

1985年10月、同ジャズダンス教室が主催した『ダンシングミュージカル フィナーレには花束を』に近藤と二階堂が出演。そして、ミュージカルで共演したセイントフォーの所属事務所「日芸プロジェクト」(当時の所在地:文京区音羽1-24-10)にスカウトされ、近藤、二階堂、そして映画『ザ・オーディション』に出演していた年下の佐伯万里子を加えた3名で、ダンスボーカルユニット「ハートブレイカーズ」を結成。センターポジションは近藤。デモテープを作成したり、各地のイベントや学園祭でライブ活動を行ったり、ラジオ番組出演、雑誌掲載などの仕事を行う。

1986年、斉藤さおり(後の麻倉あきら)がデビューする際にライブに帯同し、「斉藤さおり&ハートブレイカーズ」名義で活動。

その後、近藤、二階堂の2名で「エスワン・カンパニー」(当時の所在地:港区赤坂5-1-5 管野ビル4F → 1988年夏より赤坂6-3-16 赤坂瀬戸ビル3F)に移籍し、新ユニット「BaBe」として1987年2月21日にレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「DANCIN' ANGELS」。 マネージメントは古米浩平(ふるまい こうへい)や藤原正剛(ふじわら せいごう)が務めた。公式ファンクラブ名は「BaBe & THE GANG」で、約2,000名の会員がいた。この他、ファンによる私設のサークル「BaBe LaBo」も1989年春に作られ、BaBeのライブ後には会員による情報交換、抽選会、記念撮影などの集会が開かれたり、1990年4月まで会報も毎月発行されていた(発行された会報は計10冊で、100名以上の会員がいた)。

デビュー時はいわゆるアイドルとして活動し数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦していた。しかし、翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演などに比重を移す。後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞にも挑戦している。

1987年、2ndシングル「I Don't Know!」にて数々の新人賞を受賞。(詳細は受賞歴の節を参照)

1990年1月中旬より二階堂が風邪をこじらせ、それが肺炎となり、同年2月4日より一週間ほど都内の病院に入院。本来であれば、同年3月11日(東京・恵比寿ファクトリーI)、3月28日(大阪)、3月29日(福岡)、4月15日(名古屋)と、春のライブツアーが開催される予定だったが、同年2月にリハーサルの遅れを理由に延期を発表。既に販売されたチケットの代金も払い戻された。

1990年2月17日、近藤の誕生日でもある日に、二階堂が入籍。相手は、二階堂が高校時代から7年に渡って交際してきた1歳年上の男性。

1990年2月18日付の『スポーツニッポン』の芸能欄にて、二階堂が妊娠4ヶ月で入籍したことにより、同年3月一杯でBaBeが解散することが報じられた。翌19日付の『東京中日スポーツ』や、同2月発売の雑誌『週刊明星』(1990年3月8日号)でも追報。2人は当初「BaBeはどちらかが結婚する時が解散する時」としていたという。

1990年3月、二階堂が挙式。この模様は、『スポーツニッポン』(3月25日付)、『週刊明星』(4月12日号)、『女性セブン』にて報じられた。

BaBe解散後、1990年8月に二階堂が第一子を出産。その後も子供をもうけ、計3人の子供を育てた。一方、近藤はしばらくソロで活動。斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演、関西ローカルのテレビ出演などをしていたが、やがて近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。

エピソード

  • 事務所の方針で、近藤と二階堂共に、デビューした時の年齢のプロフィールを2歳若く詐称していた。また、給料は固定制で月7万円しか貰えなかったこともあり、2人ともアルバイトをしながら活動していた。
  • 二階堂はデビュー前、モスバーガー や、すかいらーく武蔵野西久保店でアルバイトをしていた。武蔵野西久保店は、(株)すかいらーくの本部横に所在していたこともあり、人事部の目に留まり店舗ビデオマニュアル「welcomeすかいらーく」に出演している。二階堂が起用されたビデオマニュアルは1992年頃まで全国の店舗で使用された。しかし、I Don't Know!のプロモーションビデオはデニーズで撮影されている。一方、近藤は高校時代から玉川高島屋、元禄寿司、東急ストア、レストランなど様々な所でアルバイトをしていた。
  • 著名なダンサー兼振付師として知られる五十嵐薫子(のちの香瑠鼓)が、石井明美に次いで振付をしたのがBaBeである。BaBeに本格的なダンスを教えるために、ジャズダンスのレッスンを受けさせた後に、「Give Me Up」の振付を教えた。しかし、そもそも二階堂と近藤はデビュー前にジャズダンススクールで出会っていて、ミュージカルにも出演した程度の基礎はあった(近藤は痩せたくて、ジャズダンススクールに通っていたと語っている)。香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している。
  • その風貌から、近藤は「富田靖子のNG」、二階堂は「クロマティに似ている」と言われたことがあった。
  • BaBeが解散する直前の1990年3月5日、ニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』の、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われた。そして翌週の3月12日には近藤が緊急ゲスト出演し、今後の身の振り方を相談した。 なお、同ラジオ番組では、芸能人・著名人の変な言動を集めて競わせ、番付を付けていくコーナー「夜霧の横綱審議会」でも、1988年に近藤の発言が度々取り上げられ、その結果、近藤は「関脇」に認定された。
  • 2017年7月11日、二階堂が、歌手デビューした長女の満月あいりと共に『ノンストップ!』(フジテレビ)に出演し、27年ぶりにテレビに登場した。二階堂は、前記の年齢詐称や低月給を補うためのアルバイトの件などを述べ、また、番組中に近藤へ電話をして、解散後も交流があることを語った。

ディスコグラフィ

シングル

非売品

BaBe プロモ12inchシングル

  1. Hold Me! (EXTENDED DANCE VERSION)(1987年)
    • B面曲は競作アーティストであるサマンサ・ジルズの『Hold Me (SPECIAL EXTENDED VERSION)』。

BaBe カセットテープ

  1. Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜(大阪「ひらかたパーク」のCMソング)

Vis-à-Vis名義 プロモ7inch/12inchシングル

  1. It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)(Extended Med. Club Mix)(1988年)
    c/w Love In The First Degree
    • B面曲はアルバム『Fight!』にも収録されている楽曲だが、A面曲の方は元々BaBeのアルバム用に録音されたものの収録から漏れた楽曲。それを1988年の夏にDJリミックスチーム「M.I.D(Mixs International DJ)」の丸本修がFMラジオ番組のオンエア用ソースとしてRemixし、「BABY-SITTERS LIMITED」と銘打たれ、BaBeではなく「Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)」名義で、xyz recordsから7inchレコードと12inchレコードの2種でプロモーショナルオンリーでアナログプレスされた。なお、7inchと12inchとではそれぞれエディットが異なっている。大村雅朗がアレンジし、バックコーラスには女性バックダンサーチーム「Dee-Dee」の元メンバー、キャリアン(Carrie Ann)が参加している。

アルバム

オリジナル・アルバム

ミニアルバム

ベスト・アルバム

バックボーカル参加曲

  • 白井良明の楽曲 「No!Blood!」(白井の1stソロアルバム『City of Love』に収録。1988年6月21日)
  • 斉藤由貴のシングル 「夢の中へ」(1989年4月21日)
  • 斉藤満喜子のシングル 「鏡の中のBaby Face」(1990年7月11日) - 近藤のみ参加

解散後の近藤のソロ曲

  • 愛するままに
    作曲:朝倉紀行。オリジナルビデオアニメ『シャコタン☆ブギ』のサントラCDアルバム『シャコタン☆ブギ・サウンド・コレクション』(1991年2月21日)に収録。

レコード化されていない楽曲

  1. It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)
    BaBeのアルバム用に録音されたものの収録から漏れた楽曲。同曲のリミックスバージョン「It's So Wonderful (You're The Part Of Mine) (Extended Med. Club Mix)」は、1988年に「Vis-à-Vis」名義で非売品としてアナログプレスされているが、オリジナルバージョンはレコード化されていない。
  2. いじわる天気
    NHK『みんなのうた』で放送されていた楽曲。放送時期:1987年8月 - 9月期。作詞・作曲:たきのえいじ、編曲:藤野浩一、アニメーション:前田昭。吉原みちよによるカバー音源は5度に渡ってCD発売されているが、BaBeのバージョンは未ソフト化。
    1994年6月 - 7月と2018年6月 - 7月にラジオ(NHKラジオ第2放送)のみで再放送、2022年6月 - 7月には35年ぶりにテレビで初めて再放送された。
  3. Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜
    大阪「ひらかたパーク」のCMソング。レコード化はされていないが、非売品のカセットテープは存在する。

その他

  • BaBe - Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ(2020年2月14日、デジタルリリース)
    1. Give Me Up (Night Tempo Showa Groove Mix)
    2. I Don't Know (Night Tempo Showa Groove Mix)

映像作品

ビデオ、レーザーディスク

  1. Hey Bravo!(1987年8月21日、40分)
    作品のキャッチコピーは「元気いっぱい ビジュアル感覚」。Live映像の3曲は1987年5月31日の日本青年館公演。
    1. I Don't Know! (Live)
    2. The Boy is Mine (Live)
    3. Somebody Loves You 〜明日の恋人〜
    4. じゃじゃ馬ならし(近藤ソロ)
    5. ひとりぼっちのWarriors
    6. I Don't Know!
    7. My Shiny Rain(二階堂ソロ)
    8. ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜 (Live)
    9. Give Me Up
    10. NG集
    11. おまけ「I Don't Know!」フリツケ
  2. プロジェクトA子3 シンデレラ♥ラプソディ(OVA、1988年6月21日)
    レーザーディスク盤の特典映像として、シングル『Get a Chance!』のPVが収録されている。
  3. Thank You(1990年6月21日、45分) - 解散後の作品
    作品のキャッチコピーは「元気いっぱいありがとう…。永久保存版メモリアルビデオ。」。
    1. No Satisfaction(近藤ソロ)
    2. She has a dream
    3. WAKE UP!(インクスティック芝浦ファクトリーでのライブ風景を使用したPV)
    4. Get a Chance!
    5. TONIGHT!
    6. Hold Me!
    7. Somebody Loves You 〜明日の恋人〜
    8. I Don't Know!
    9. Give Me Up
    10. Brand-new Generation
    11. NG集

CDビデオ

  • CDV GOLD 〜 Mujaki Genki Suteki(1987年9月21日)
ビデオパート
  1. I Don't Know!
オーディオパート
  1. The Boy is Mine
  2. ひとりぼっちのWarriors
  3. ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜
  4. Give Me Up

タイアップ

受賞歴

以下、全て1987年のシングル曲「I Don't Know!」にて。「テレビ番組における歌唱」の節も参照。

  • 1987年6月26日:第6回 メガロポリス歌謡祭新人賞(テレビ東京)優秀新人賞
  • 1987年10月16日:全日本歌謡音楽祭(テレビ朝日)新人奨励賞
  • 1987年10月17日:銀座音楽祭(フジテレビ)最優秀新人賞
  • 1987年10月30日:輝け! 第18回 日本歌謡大賞(フジテレビ)放送音楽新人賞
  • 1987年11月25日:第29回 日本レコード大賞 (TBS) 新人賞
  • 1987年12月4日: 第20回 日本有線大賞 (TBS) 新人賞
  • 1987年12月10日:第20回 全日本有線放送大賞(読売テレビ・日本テレビ)新人賞
  • 1987年12月15日:第16回 FNS歌謡祭(フジテレビ)最優秀新人賞

主な出演

テレビ番組における歌唱

※ 在京キー局のテレビ番組の放送日は首都圏のもの。地方の系列局の放送日は異なる場合がある。

テレビドラマ

  • あまえないでョ!(フジテレビ、1987年2月12日) - 第5話にてクラブで歌うシンガー役
  • 父と娘の季節(日本テレビ、1990年12月20日) - BaBe解散後に近藤が、長野県松本市の信用金庫に勤めるなおみ(田中美佐子が演じるOLの従妹)役で出演

テレビ番組

  • アッコにおまかせ!(TBS、1987年11月29日)
  • さんまのまんま(関西テレビ、1988年3月7日;フジテレビ、1988年3月9日深夜〈首都圏〉)
  • ねるとん紅鯨団(フジテレビ、1988年4月9日)
  • 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ、1988年4月11日:テレフォンショッキング;1988年6月 - 9月:レギュラー)
  • 火曜ワイドスペシャル - 所さんの大わらい!うちら陽気なミュージシャン (フジテレビ、1988年4月19日、「アイドル声あてクイズ」に出演)
  • 欽ちゃんのどこまで笑うの!?(テレビ朝日、1988年5月3日)
  • Lady's Knight(日本テレビ、1988年10月15日 - 1989年3月25日)
  • パオパオチャンネル(テレビ朝日) - ウッチャンナンチャンと共に金曜レギュラー。BaBeは番組の途中で降板したが、最終回の1989年9月29日に再び出演した。
  • ビショップinナイト Live King(ABCテレビ、1990年4月24日 - 1991年) - 解散後、近藤が原田伸郎と共に司会を務めた音楽オーディション番組。
  • なにわ友あれ赤井英和(毎日放送) - 引退後の二階堂がゲスト出演。
  • ノンストップ!(フジテレビ、2017年7月11日) - 引退後の二階堂が実娘と共にゲスト出演。近藤も電話でのみ出演。
  • 他多数

映画

  • ザ・オーディション(1984年11月17日、東宝東和)
    主演:世良公則、セイントフォー。振付:一の宮はじめ。劇中のオーディションシーンに近藤と二階堂が出演。エンドロールでは「ブレイカーズ」とクレジット。後に「ハートブレイカーズ」として共に活動する佐伯万里子も、当映画に個人名義で出演。

ミュージカル

  • 一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー第3回公演 「ダンシングミュージカル フィナーレには花束を」(1985年10月4日 - 5日、全3回公演、新橋・ヤクルトホール。作・演出・作詞・振付:一の宮はじめ) - デビュー前の出演作。近藤は「とも子役」、二階堂は「ゆかり役」。小林千絵やセイントフォーと共演。

ラジオ番組

  • カモン・BaBeのハロームービー夢工場(ニッポン放送) - 嘉門達夫と共演の番組
  • ジャジャ馬BaBeのハロームービー(ニッポン放送)
  • ABC東京発 アーチストNOW(ABCラジオ、1988年4月 - ) - パール兄弟のサエキけんぞうと共に水曜レギュラー
  • Lo-Dライブコンサート(1988年5月28日、エフエム東京) - 麹町のエフエム東京ホール(キャパ350人)での公開生放送ライブ。司会:井上堯之、田中美登里。
  • デーモン小暮のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
    • 1988年6月20日 - BaBeの2人がゲスト出演。
    • 1990年3月5日 - ゲスト出演ではないが、解散後の近藤の身の振り方に対し、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われる。
    • 1990年3月12日 - 近藤がゲスト出演し、解散後の身の振り方を相談。
  • BaBeのハートを狙い撃ち( - 1989年3月)
  • BaBeのGood Luck(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の5分番組、エフエム福岡)
  • BaBeのBang the Beat(1989年11月28日 - 1990年1月23日、毎月第4火曜日の深夜の放送、エフエム福岡)
  • MBSヤングタウン・キンド館(MBSラジオ、1989年7月 - 1990年4月6日〔二階堂のみ3月2日までの出演〕) - 金曜深夜に東野幸治・石田靖と共演
  • 小林豊のスーパーギャング(TBSラジオ) - 解散後に近藤がレギュラー
  • ABCミュージックパラダイス(ABCラジオ、1991年10月 - 1992年3月) - 解散後、近藤が山田雅人と共に月曜レギュラーとして出演
  • 高田純次の男・夕焼けまわり道(ニッポン放送) - 解散後に近藤がレギュラー

CM

  • 森永製菓 キャラメル「Hi-SOFT」(1988年)
  • 京阪電気鉄道 ひらかたパーク 「ジェットコースター ビッグファルコン」、「ひらかた大菊人形 武田信玄」(関西ローカル)


コンサート、ライブ

  • 1987年5月31日 - 日本青年館
  • 1987年8月20日 - 京都会館
  • 1987年10月29日 - 新宿歌舞伎町のディスコ「XENON(ゼノン)」
    サマンサ・ジルズと共に出演し、シングル「Hold Me!」を披露。
  • 1988年1月31日 - 中野サンプラザ
  • 1988年3月21日 - 大阪厚生年金会館 大ホール
  • DANCE & LIVE FACTORY「BaBe, FRIDAY NIGHT LIVE!」
    1988年4月1日〜12月2日まで、インクスティック芝浦ファクトリーで毎月第1金曜日に開催されたマンスリーライブ(全9回開催)。この芝浦でのライブの様子は、映像作品『Thank You』収録の「WAKE UP!」のPVで観ることができる。
  • BaBeフレッシュサウンズコンサート(1988年8月24日、倉敷市児島駅前「瀬戸大橋架橋記念博覧会」)
    このコンサートは後に岡山放送のテレビ番組でも放送された。
  • SUNPU博アイドルステージ(1989年3月26日、静岡市・駿府公園「SUNPU博'89」)
  • Brand-new heart(1989年4月 - 、BaBe初の全国ツアー)
  • Sun downconcert(1989年5月、国立代々木競技場「国際スポーツフェア」)
  • 世界デザイン博覧会 オープニングイベント(1989年7月、名古屋市・白鳥センチュリープラザ しろとりステージ)
  • Bang! THE Beat '89
    1989年7月〜8月20日に開催したライブツアー。7月29日:広島、8月20日:原宿・クエストホール、ほか全国13ヶ所。
  • Bang! THE Beat '89 vol.2「共感」(このツアーは男性ダンサーを1名ゲストに迎えて開催)
    • 1989年12月5日 - 大阪梅田・amHALL
    • 1989年12月6日 - 名古屋
    • 1989年12月10日 - 恵比寿ファクトリーI
    • 1989年12月19日
    • 他、福岡などでも開催。
  • この他、CLUB CITTA'など数か所

学園祭

  • 1987年10月22日 - 徳山大学
  • 1987年10月25日 - 東北学院大学
  • 1987年10月31日 - 北九州大学(近藤は体調不良で欠席。二階堂が単独でコンサートを行った)
  • 1987年11月2日 - 大分医科大学
  • 1987年11月3日 - 早稲田大学
  • 1987年11月4日 - 金沢大学
  • 1987年11月5日 - 中央大学
  • 1987年11月7日 - 三重大学
  • 1987年11月8日 - 中京女子大学
  • 1987年11月14日 - 東洋女子短期大学、東洋英和女学院大学短期大学部、東京外国語大学
  • 1987年11月21日 - 産業能率短期大学
  • 1987年11月22日 - 電気通信大学
  • 1987年11月23日 - 駿河台大学
  • 1988年 - 三重県立四日市工業高等学校(ライブの途中で公演中止)
  • 1989年11月3日 - 高岡短期大学「第4回 創己祭」(富山県高岡市)

イベント

  • 1989年10月 - 多摩そごうのオープニングイベント

写真集

  • 『BaBeのおもしろ絵本 Oh!SUSUME(オ・ス・ス・メ)』近代映画社、1988年4月。ISBN 4-76-481511-7。

連載

  • Catch the BaBe(音楽雑誌『Hundred』。1989年12月号 - 1990年3月号。発行:プラネット)

脚注

注釈

出典

参考文献

外部リンク

  • BaBe (BaBeIDontKnow) - Facebook
  • "BaBe大好き Brand-new Generations" - ファンサイト
  • Brand-new Generations BBS - ファンBBS

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: BaBe by Wikipedia (Historical)



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