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トマス・ベルッシ


トマス・ベルッシ


トマス・コシアラリ・ベルッシThomaz Cocchiarali Bellucci, 1987年12月30日 - )は、ブラジル・サンパウロ州ティエテ出身の男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス21位、ダブルス70位。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルス1勝を挙げている。身長188cm、体重80kg。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。「ベルッチ」の表記揺れも多い。

選手経歴

ジュニア時代

セールスマンの父イルデバンドと会社経営者の母マリア・レジーナの間に長男として生まれる(他に姉が一人いる)。

2004年 ジュニア世界15位

国際大会への出場は限定的で、ITFジュニアサーキットとグランドスラムジュニア部門にもジュニア最後の年の2004年シーズンだけ参戦しているが、同年のバナナボウルでのダブルスでベスト4の成績を収めるなどの活躍でジュニア世界ランキング15位を記録している。

2005年 プロ転向

2005年、18歳の時にプロ転向を果たして、ATPツアーを本格的に巡ることになる。

2007年 フューチャーズ初優勝

転向後暫くは下部大会での下積みが続いたベルッシであったが、2007年から下部ツアーで結果を残すようになり、チャレンジャーツアーで2準優勝2ベスト4、フューチャーズ大会で1優勝を挙げ、シングルスランクを前シーズン年間ランクの583位から年度末には199位まで急上昇させる。

この活躍から同年9月には19歳でデビスカップワールドグループプレーオフ、対オーストリア代表戦でブラジル代表に初選出。第一試合でユルゲン・メルツァーと対戦し、4-6, 4-6, 4-6のストレートで敗れている。

2008年 チャレンジャー初優勝

この年からツアーレベルに挑戦するようになり、シングルスでは2月のテルメクス杯予選を勝ち上がり、1回戦で当時世界ランク83位のヴェルナー・エシュアーを6-4, 6-4のストレートで下し、ツアーシングルス並びにトップ100選手から初勝利を挙げる活躍で、第4シードのフアン・イグナシオ・チェラとの2回戦まで進出。5月の全仏オープンでも予選を勝ち上がりグランドスラム大会初出場。1回戦で当時世界ランク2位、第2シードのラファエル・ナダルと対戦した。本戦からの出場となったウィンブルドン選手権では、1回戦でイーゴリ・クニツィンを7-6(5), 7-6(5), 3-6, 6-2のスコアで下しグランドスラムシングルス初勝利。2回戦ではライナー・シュットラーと対戦したが、3時間42分に及ぶ熱戦の末6-3, 3-6, 1-6, 7-6(5), 6-8のフルセットで敗れた。8月にはブラジル代表として北京オリンピック男子シングルスに出場したが、1回戦でスロバキアのドミニク・フルバティに6-2, 4-6, 2-6のフルセットで敗退している。

この年はツアー下部のチャレンジャー大会でも好成績を残し、4月から5月にかけての3大会連続優勝を含む、チャレンジャーツアーシングルス最多優勝タイの4大会優勝を記録、これらの活躍により年度末ランクも前シーズン終了時の199位から90位まで急上昇させ、以降ツアーレベルに定着するようになる。またこの年はダブルスでも好成績を残し、同国のマルコス・ダニエルと主催者推薦で出場した2月のブラジル・オープン1回戦で、第3シードのマルティン・ガルシア(アルゼンチン)&オリバー・マラチ(オーストリア)組を6-4, 6-2のストレートで破る活躍で第1シードのマルセロ・メロ/アンドレ・サとの準々決勝まで進出。チャレンジャーツアーでも1優勝3準優勝を記録した。

2009年 ツアー初優勝

この年はベルッシにとって更なる飛躍のシーズンとなり、ノーシードで出場した2月のブラジル・オープン1回戦で、第8シードのポティート・スタラーチェを6-3, 6-4のストレートで破ると、その後も勝ち上がり自身初のツアー決勝進出を果たす。決勝では第2シード、当時世界ランク19位のトミー・ロブレドに3-6, 6-3, 4-6のフルセットで惜敗するも準優勝を果たした。5月からは前年のポイントを防衛できず一時的にトップ100から陥落したが、予選からの出場となった7月のアリアンツ・スイスオープン・グシュタードでは、2回戦で第1シードのスタニスラス・ワウリンカを6-4, 6-4のストレートで、準々決勝では第5シードのニコラス・キーファーを3-6, 1-0としたところでキーファーの途中棄権で、準決勝では第3シードのイーゴリ・アンドレエフを6-4, 7-5のストレートで次々とシード選手を下し、2度目の決勝に進出。決勝ではノーシードのアンドレアス・ベックを6-4, 7-6(2)のストレートで破り、ツアー初優勝を果たす。ブラジル選手のツアーシングルス優勝は2004年9月のデルレイビーチ国際テニス選手権で優勝したリカルド・メロ以来、約4年11ヶ月振りの快挙であった。

この年は10月のストックホルム・オープンでも1回戦で第7シードのアルベルト・モンタニェスを破る活躍でノーシードから準決勝まで進出、チャレンジャーツアーでも2優勝を挙げる活躍で、年度末ランクも36位と、1年でトップ40に躍進した。

2010年 ツアー2勝目

全豪オープンは2回戦アンディ・ロディックに敗れたが、2月のチリ・オープンで決勝に進出しフアン・モナコを6–2, 0–6, 6–4で破りツアー2勝目を挙げる。第24シードに選ばれた全仏オープンでは3回戦で第14シードのイワン・リュビチッチに7-6(4), 6-2, 6-4で勝利し初めて4大大会の4回戦に進出した。4回戦では優勝したラファエル・ナダルに2-6, 5-7, 4-6で敗れた。2010年7月26日付けのランキングで自己最高の21位を記録した。

2011年 マスターズ・全米混合ダブルスベスト4

前年優勝のチリ・オープンでは準々決勝でファビオ・フォニーニに敗退した。ブラジル・オープンではベスト8、アビエルト・メキシコ・テルセルではベスト4に進出している。4月末からのマドリード・オープンでは4回戦で当時世界ランキング4位のアンディ・マリーを6-4, 6-2で、準々決勝で7位のトマーシュ・ベルディハを7-6(2), 6-3で破り初めてマスターズ1000でベスト4に進出した。準決勝は優勝したノバク・ジョコビッチに6-4, 4-6, 1-6の逆転で敗れた。

2012年 ツアー3勝目

地元のブラジル・オープンでベスト4に進出した。3月のBNPパリバ・オープンでは4回戦で優勝したロジャー・フェデラーに6-3, 3-6, 4-6の逆転で敗れた。7月のスイス・オープン・グシュタードでは、2年半ぶりにツアー決勝に進出しヤンコ・ティプサレビッチを6–7(8), 6–4, 6–2で破りツアー3勝目を挙げた。ロンドン五輪にも出場したが、シングルスでは1回戦でフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガに7–6(5), 4–6, 4–6で、アンドレ・サと組んだダブルスでも1回戦でアメリカのブライアン兄弟に6–7(5), 7–6(5), 3-6で敗れた。9月のデビスカップ2012プレーオフではロシアを相手にシングルスで2勝を挙げブラジルの10年ぶりワールドグループ復帰に貢献した。

2013年 ツアーダブルス初優勝

シュトゥットガルト・オープンではファクンド・バグニスと組んでダブルスで初優勝を果たした。

2015年 ツアー4勝目

2015年5月、ジュネーヴ・オープンでATPツアー3年ぶりの優勝。

2016年 リオ五輪ベスト8

2016年は地元開催のリオ五輪のシングルスでは3回戦で第8シードのダビド・ゴファンを7-6(10), 6-4で勝利し、ベスト8に進出。準々決勝でラファエル・ナダルに6-2, 4-6, 2-6で敗れた。

ダブルスではアンドレ・サと組み、1回戦で第2シードのアンディ/ジェイミーのマリー兄弟に7-6(6), 7-6(14)で勝利した。2回戦でフォニーニ/セッピ組に敗れた。

2018年 出場停止処分

1月にドーピング違反となり、2017年9月から2018年1月末までの5ヶ月間資格停止処分を受けている。

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 8回 (4勝4敗)

ダブルス: 2回 (1勝1敗)

チャレンジャーツアー決勝進出結果

シングルス: 14回 (9勝5敗)

シングルス成績

略語の説明

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会最高成績

脚注

外部リンク

  • トマス・ベルッシ - ATPツアーのプロフィール (英語)
  • トマス・ベルッシ - デビスカップのプロフィール (英語)
  • トマス・ベルッシ - 国際テニス連盟
  • 公式サイト

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: トマス・ベルッシ by Wikipedia (Historical)


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