いすみ線(いすみせん)は、千葉県いすみ市の大原駅から、千葉県夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶいすみ鉄道の鉄道路線。旧国鉄の特定地方交通線である東日本旅客鉄道(JR東日本)の木原線を引き継いだ路線である。
JR東日本外房線大原駅から分岐して房総半島東側から内陸部に入り、上総中野駅で接続する小湊鉄道線と合わせて半島横断線を形成する。国吉駅 - 総元駅間付近では夷隅川に沿って敷設されている。
開業以来、慢性的な赤字に悩まされ続けており、存亡の機に瀕していた。2007年10月29日に行われたいすみ鉄道再生会議で、2009年度までの2年間は収支検証期間として存続する方針が決定され、2009年度の決算で収支の改善が見込めない場合は廃止を前提に代替交通を検討することになった。
そこで、いすみ鉄道は増便や駅の命名権(ネーミングライツ)売却、新駅開設(城見ヶ丘駅)など経営改善策と乗客獲得策を打ち出した。その結果、経営状態の回復が認められ、2010年8月6日にいすみ鉄道線の存続が決定した。
頭端式ホーム1面2線の大原駅を発車し、大原踏切の先でJR外房線と分かれて北西に進路をとる。塩田川・新田川を渡り、国道465号線と接近すると単式ホーム1面1線の西大原駅。左カーブで国道と離れると田園地帯へ。佃踏切を過ぎると丘陵が接近してくる。前身の夷隅軌道時代には七曲隧道で抜けていた切り通しで、塩田川水系と夷隅川水系の分水嶺を越える。再び国道465号線と接近すると対向式ホーム2面2線の上総東駅に着く。
落合川を渡り、第一大多喜街道踏切で国道465号線と交差し、アップダウンを過ぎると撮影名所の新田野桜並木を通過、1面1線の新田野駅。第二大多喜街道踏切で国道465号線と交差し、夷隅川を渡ると対向式ホーム2面2線に留置線もある旧夷隅町の中心にある国吉駅に着く。
苅谷商店街の南側を通過し、第三大多喜街道踏切で国道465号線と交差。田園地帯を西進する途中に、撮影名所の第二五之町踏切がある。初音川を渡り、行川踏切で千葉県道151号夷隅瑞沢線と交差すると単式ホーム1面1線の上総中川駅。妙泉寺の門前を過ぎ、夷隅川を渡ると大多喜町に入る。人道橋のある切り通しを抜けると、新興住宅地に単式ホーム1面1線の城見ヶ丘駅。国道297号線をアンダーパスし、大多喜城の展望が開けると夷隅川を渡り、千葉県道172号大多喜里見線をガードで越えると、いすみ鉄道の本社・車両基地があり大多喜町の中心でもある対向式ホーム2面2線の大多喜駅に着く。
大多喜小学校の裏手を過ぎると、大多喜城との撮影名所である三口鉄橋で夷隅川を渡る。大多喜病院の横を過ぎ、再び夷隅川を渡ると単式ホーム1面1線の小谷松駅。房総導水路の終点・大多喜浄水場のある台地の麓をめぐり、勝浦街道踏切で国道465号線と交差すると単式ホーム1面1線の東総元駅。撮影名所である高塚山の左カーブを過ぎ切り通しを抜けると、三育学院大学の最寄りであり、秘境駅とも称される単式ホーム1面1線の久我原駅に着く。
夷隅川を渡り、ここからは支流の西畑川に沿う形になるとすぐに、開通時は終点であった単式ホーム1面1線の総元駅。すぐに西畑川を渡り、切り通しを抜けると平沢川を渡る。山間部の耕地の間を進み、国道465号線に再び接近すると、単式ホーム1面1線の西畑駅に着く。
再び西畑川を渡って国道465号線沿いの平場を進み、堀切興津踏切で千葉県道177号勝浦上野大多喜線と交差すると間もなく、いすみ鉄道は島式ホーム1面1線、小湊鉄道は単式ホーム1面1線の終点・上総中野駅に到着する。
全ての列車が普通列車 として運転されている。全線通し運転の列車のほか、大原駅 - 大多喜駅・大多喜駅 - 上総中野駅間の区間列車が運転されている。普通列車はワンマン運転を実施しており、単行(1両)または2両での運行が基本である。普通列車の運行本数は大原駅 - 上総中野駅間はほぼ1時間に1本となっている。しかし土休日の大多喜駅 - 上総中野駅間は2024年のダイヤ改正で1日8本に減便され、一部時間帯では3時間近く運行間隔が開く時間がある。なお、車両の夜間滞泊は大多喜駅のみで行っている。
国鉄時代は大原駅発の最終が夜10時台で、2013年3月16日現在のダイヤよりも約1時間遅く、夜間滞泊は上総中野駅で行っていた。
2011年4月29日から、主に土休日に大多喜駅 - 大原駅間で西日本旅客鉄道(JR西日本)から譲渡された気動車キハ52 125による「観光急行列車」が運転されていた。乗車の際は急行券が必要で、大原駅、上総東駅、国吉駅、城見ヶ丘駅、大多喜駅に停車していた。2013年3月からはJR西日本から譲渡されたキハ28 2346の連結を開始した。観光急行列車は2024年3月16日のダイヤ改正で運転を終了している。
観光急行列車2両編成のうち2号車のキハ28を貸切車両「レストラン・キハ」とし、車内でイタリア料理などを提供するレストラン列車を運行していた。2020年には9月5日から11月28日までの毎週土曜日に、列車内で千葉の日本酒と房総産料理を提供する「日本酒BAR(バール)列車」が運行された。
レストラン列車は2022年9月に運行終了、キハ28 2346は2022年11月27日で定期運行を終了、2023年2月8日で営業運転を終了した。
いすみ線の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
いすみ線の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
1922年(大正11年)公布の改正鉄道敷設法により木原線の建設が決まるが、時期は未定であった。当時大原 - 大多喜間で営業していた千葉県営人車軌道およびその後身の夷隅軌道は赤字経営であり、沿線地域の経済力では経営再建は不可能な状態に陥っていた。木原線が実現すると建設費及びその後の営業赤字は政府負担となるので、地元では鉄道省への陳情を盛んに行い、1925年(大正14年)に木原線建設着工が承認される。
1930年(昭和5年)に開業した木原線は、本来、久留里線と結んで大原 - 木更津間を結ぶ鉄道(改正鉄道敷設法別表第48号)として計画された。木原線という路線名も木更津の木と大原(現・いすみ市)の原から採られたものだったが、上総中野 - 上総亀山間は建設されなかった。なお、夷隅軌道は木原線開業が決まったことにより廃止されている。路線名の読み仮名は「きはらせん」で、二つの地名から一文字ずつを取って付けられた路線の中では数少ない「両方の漢字を訓読みする路線名(国鉄分割民営化の時点では他に米坂線と大糸線のみ。通常は音読み)」だった。
開業当初の列車の運行は、蒸気機関車C10形とC12形が客車を数両牽引していた。
沿線は人口希薄地帯で輸送量は多くなく、合理化のために1934年(昭和9年)にガソリンカーキハ40000形を投入して列車本数を増発した。同車は太平洋戦争中のガソリン不足を補うために、周辺で産出される天然ガス動力となって1944年(昭和19年)まで運行される。
戦後はC12による客車列車になり、1948年(昭和23年)8月から天然ガス車も復活するがこれは短期間で消滅する。1954年(昭和29年)には経営合理化と小型車両による列車本数の増発による旅客サービスの向上を目的としてレールバス(キハ10000形)が投入されるが、乗車定員が少ないうえ、軽量すぎて踏切感知が作動せず警報機が鳴らないなどの問題から7年間の使用で終わった。この時代が木原線の列車本数が最も多い時期であったが、定員数56人のキハ10000形では対応しきれなかった。
1981年(昭和56年)に国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定され、1987年(昭和62年)に東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された後、1988年(昭和63年)にいすみ鉄道に転換された。第1次廃止対象路線としては、最後の転換だった。
小湊鉄道線との乗換駅である上総中野駅では、両線の線路は繋がっている。両線を乗り継ぐ利用者も多く、2005年からは「房総横断記念乗車券」が販売されている。2019年10月の豪雨災害で小湊鉄道線に運休区間が生じた際は、紅葉シーズンだったこともあり、いすみ鉄道線の乗客数も落ち込んだ。いすみ鉄道は銚子電鉄(千葉県銚子市)とともに、小湊鉄道の復興応援切符を発売した。
千葉県は2005年、両線の運行会社と沿線自治体が参加する「房総横断鉄道活性化協議会」を設立して、観光客誘致などを図ってきた。いすみ鉄道、小湊鐡道はダイヤ改正ごとに両線相互やJR東日本の乗り継ぎを考慮してきた。上総中野駅周辺は飲食店や観光スポットが少ないため、2020年3月14日実施分では特に乗り継ぎ時間短縮を重視して協議した。平均待ち時間は、いすみ鉄道線→小湊鉄道線が38分から17分に21分短縮、小湊鉄道線→いすみ鉄道線が38分から23分に15分短縮される。
前述の「房総横断記念乗車券」は、大原駅 - 五井駅間片道乗車・途中下車可能(折り返し乗車不可)で2,000円(2024年1月現在・大人料金)。なお、いすみ鉄道線の1日乗車券は平日1,200円・土休日1,500円(同)である。
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