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コラード・ファビ


コラード・ファビ


コラード・ファビCorrado Fabi, 1961年4月12日 - )は、イタリア・ミラノ出身の元レーシングドライバー。1982年のヨーロッパF2選手権チャンピオン。

元F1ドライバーのテオ・ファビは実兄。

経歴

カートキャリア

ファビ家はベビーパウダー生産工場を経営しており、父はその傍らアバルトでレースに参戦するアマチュアレース愛好家だった。兄・テオは少年時代にスキーの選抜選手として活躍していたため、兄が出場するスキー大会を応援に行った山でコラードは退屈してしまい、たまたま近くあったゴーカート場で時間をつぶしているとそれに夢中になった。それを知った父はコラードにレーシングカートをプレゼントしたため、まずカートを開始したのはコラードだった。

1973年、12歳で本格的にレーシングカートでレース活動を開始すると才能が開花。1975年、14歳でカートコンストラクター・ビレルのワークスレーサーとなった。1977年のFIA世界カート選手権では、100ccシニアクラスで総合4位となる。なお、同選手権での5位はアンドレア・デ・チェザリス、7位はゲオルグ・ベロフ(ステファン・ベロフの兄)、8位はクルト・ティームであった。このころになると兄のテオもレースに興味を持ち始めており、ツーリングカーレースでレースデビューしたあと、1977年よりフォーミュラ3へのスポット参戦を始めた。

フォーミュラ3

1979年、カートレース参戦を続けていたコラードも18歳になるとフォーミュラカーへステップアップし、マーチ・783でイタリアF3選手権に参戦。イタリアF3ではいくつかの好成績を挙げ、1980年のヨーロッパF3選手権にはユーロレーシングのF3チームに誘われ加入、チームメイトはミケーレ・アルボレートとのコンビとなった。同年のヨーロッパ選手権では第5戦以降表彰台の常連となり、アルボレートやティエリー・ブーツェンとチャンピオン争いを展開する。結果、シーズン2勝を挙げてランキング3位を獲得した。

フォーミュラ2

1981年、ヨーロッパF2選手権にステップアップ。マーチ陣営の一翼として第5戦ムジェロでF2初優勝、第9戦ドニントン・パークで2位獲得など、F2初年度をランキング5位と堅調な結果を残す。

1982年には13戦中5勝をマーク、最終戦での勝利によってジョニー・チェコットを逆転、ブーツェン、ベロフ、ステファン・ヨハンソン、ジョナサン・パーマー、マイク・サックウェル、アレッサンドロ・ナニーニなど並みいるF1予備軍のドライバーを破りシリーズチャンピオンに輝いた。

フォーミュラ1

1983年開幕戦ブラジルGPにてイタリアの小規模チームであるオゼッラからF1デビュー。チームメイトはピエルカルロ・ギンザーニでアルファロメオ製V12エンジン搭載とオール・イタリアン体制でのF1参戦であったが、資金不足のためニューマシンはギンザーニの乗る1台しか用意できず、ファビは旧型マシンであるフォードDFVエンジン搭載車FA1Dを第8戦カナダGPまで使い続けた。マシンの戦闘力も低かったため予選落ちを6回喫するなど結果を残せなかったが、レースでは(第11戦オーストリアGPなど)ギンザーニを上まわる走りを見せた。

1984年は兄テオがCARTシリーズとF1の日程が被る際に代役としてブラバムからF1参戦。第9戦ダラスGPでは自己最高の7位完走するが、結局このグランプリが最後のF1出走となった。同年後半はフォーサイス・レーシングからCARTシリーズに参戦するが、この年に父親が急逝する。このためコラードは家業のタルカムパウダー事業を継ぐことを決意し、兄より先にレーサーを引退。経営者へ転身した。

1987年に一時復帰し、国際F3000選手権にスポット参戦した。

レース成績

ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

フォーミュラ1

(key)

CART PPGインディカーワールドシリーズ

国際F3000選手権

脚注

関連項目

  • モータースポーツ
  • F1ドライバーの一覧

外部リンク

  • Grandprix.com(英語)
  • Corrado Fabi - Career Summary(英語)
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: コラード・ファビ by Wikipedia (Historical)


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