保定市(ほてい/バオディン-し、拼音: Băodìng)は中華人民共和国河北省に位置する地級市。河北省の旧省都である。他の地域に比べてカトリックが多い。
河北省西部、北京と現・省都石家荘の間に位置する。
960年(建隆元年)、北宋により設置された保塞軍を前身とする。981年(太平興国6年)に保州と、1129年(天会7年)に金朝により順天軍、1239年にはモンゴル帝国により順天路、更に1275年(至元12年)には保定路が設置された。
明朝が成立すると1368年(洪武元年)に保定府と改称、清代には直隷の首府として直隷総督府と淮軍公所が置かれ、直隷総督となった李鴻章と袁世凱によって北洋軍閥の拠点となり、1903年(光緖29年)には北洋陸軍速成武備学堂が保定に設置されている。中華民国初期も直隷省の省都(省会)であり、北洋政府所在地となり、1912年(民国元年)には中国最初の陸軍士官学校である保定陸軍軍官学校が開校している。
1913年(民国2年)の州制廃止に伴い清苑県とされたが、1948年(民国37年)に清苑県城区に保定市が分割新設された。1949年に中華人民共和国が成立すると地級市に昇格し河北省省都とされたが、1958年に省都は天津市に移転され保定市は県級市に、1960年に地級市、1961年に再び県級市に改編されている。その後1967年に再び省都とされた保定市であるが、1968年には石家荘市に移転した。1994年、県級市の保定市と保定地区が合併して地級市が成立し現在に至っている。
2014年3月、一部の北京の首都機能を保定市などに分散させることが決定され、河北省はこれによって首都圏に組み込まれることとなった。
2017年4月、中華人民共和国国務院と中国共産党中央委員会は習近平党総書記の主導する「千年大計」(1000年にわたる大計画)として保定市内の雄県・安新県・容城県などを雄安新区として開発することを発表した。
一方で、かつては保定市の主要産業の一つであった鉄鋼工場は、全国的な過剰生産能力の整理のため、2017年末までに全て操業を停止した。
5市轄区・4県級市・15県を管轄する。
この節の出典
北京と広州を結ぶ京広線が貫通する。保定駅は北京から南へ130キロのところに位置し、特急列車はほとんど停車する。
北京と石家荘を結ぶ京石高速道路が貫通している。
G107国道、G108国道、G207国道、G112国道の4本の国道が通る。
など
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou