![ライリー郡 (カンザス州) ライリー郡 (カンザス州)](/modules/owlapps_apps/img/nopic.jpg)
ライリー郡(英: Riley County)は、アメリカ合衆国カンザス州の北東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は71,115人であり、2000年の62,843人から13.2%増加した。郡庁所在地はマンハッタン市(人口52,281人)であり、同郡で人口最大の都市でもある。ライリー郡は、ポタワトミー郡、ギアリー郡と共に、マンハッタン大都市圏を構成している。2009年推計の都市圏人口は123,086人である。
ライリー郡には、カンザス州でも最大級の雇用主であるライリー砦とカンザス州立大学がある。現在と過去の住人の中には元州知事のジョン・W・カーリン、グレン・エジャートン将軍および鉱山経営で百万長者になったホレス・A・W・テイバーがいる。
ライリー郡は、米墨戦争時の将軍ベネット・ライリーに因んで名付けられており、カンザス準州創設時の1855年8月に準州議会が創設した当初の33郡の中にあった。組織化のために、ギアリー郡と、ライリー郡より西側の全ての土地が付加され、準州を横切って現在のコロラド州境まで伸びていた。
カンザス準州の最初の州都は郡内のポーニーに置かれた。この地は現在アメリカ陸軍ライリー砦の中に入っている。
現在の郡庁所在地マンハッタンは議論の中で選定された。1857年遅くに郡庁所在地を選ぶ投票が行われ、オグデン市が優勢だった。しかし、マンハッタンが選挙違反を疑い、多くの票が違法に投ぜられたことを証明できた。保安官のデイビッド・A・バターフィールドが郡の書類や記録をマンハッタンに保管することを強制され、最終的に1858年にマンハッタンが公式の郡庁所在地になった。
1879年5月30日、アービング竜巻がライリー郡から起こった。この竜巻は藤田スケールF4であり、幅800ヤード (720 m)、長さ100マイル (160 km) の範囲に被害を及ぼした。死者18人、負傷者60人が記録された。 >
ライリー郡はアルコールを禁じる、すなわち「ドライ」の郡だったが、1986年にカンザス州憲法が修正され、住民は投票で個人が嗜むアルコール飲料の販売を承認した。ただし、食料販売量の30%までという制限が付いた。この制限は2004年の住民投票で撤廃された。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は622.11平方マイル (1,611.3 km2)であり、このうち陸地は609.55平方マイル (1,578.7 km2)、水域は12.55平方マイル (32.5 km2)で水域率は2.02%である。
郡の東側境界は以前にビッグブルー川が流れていた。この川に1960年代にダムが造られ、タトルクリーク湖が作られた。ライリー郡は州東部を走るフリントヒルズに位置している。
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
都市名の後の数字は2010年国勢調査での人口を示す。
下記の町は1950年代と1960年代に建設されたタトルクリーク湖の底に沈んだ。ランドルフも水中になったが、当初の場所から1マイル (1.6 km) 西に移された。
スモーキーヒル川とギアリー郡内のレパブリカン川が合流する地点の北にライリー砦があり、その面積は両郡併せて100,656エーカー (407 km2) ある。昼間人口は25,000人であり、下記2つの国勢調査指定地域に入っている。
ライリー郡は14の郡区に分けられている。マンハッタン市は「政治的に独立」とは見なされ、下記郡区の数字からは外されている。下表で「人口中心」は最大都市であり、特に大きな数字でなければ、郡区の人口に含まれるものである。
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