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ビートブラック(欧字名:Beat Black、2007年5月23日 - 2024年2月13日)は、日本の競走馬、誘導馬。
2012年の天皇賞(春)(GI)優勝馬。
馬名の意味は、「黒を打ち負かす」。
2009年10月18日、京都競馬場での2歳新馬戦でデビューし、4着。続く5戦で2着2回、3着1回の成績を記録したのち、2010年2月27日の阪神競馬場での3歳未勝利戦で、7戦目で初勝利を挙げる。500万下条件クラスに上がり、このクラスも4戦目の夏木立賞を制して通過。このあと2戦はさんで秋の兵庫特別を勝って3勝目をあげ、クラシック最終戦の菊花賞へ進み、13番人気で迎えたレースでは先行しビッグウィークの3着に入った。12月のオリオンステークスを勝ってオープンクラスに上がったあと、重賞2戦を挟んで4月のオープン特別大阪-ハンブルクカップを制する。その後は中距離以上の重賞を使われるが、京都大賞典でローズキングダムの2着となった以外は、3着以内の成績を残せなかった。
2012年に入っても初戦の日経新春杯4着を皮切りに3戦勝ち星はおろか4着以下の成績を続けたが、4月の天皇賞(春)では前年の三冠馬オルフェーヴルらが顔を揃える中で単勝159倍の14番人気でレースを迎え、逃げたゴールデンハインドの2番手ポジションから3コーナーの下りで一気にスパートし、2着トーセンジョーダンに4馬身差をつけて逃げ切って重賞初制覇をG1競走で記録。鞍上の石橋脩もこれがG1競走初制覇となり、石橋は後年、「攻める競馬」を心がけたことを回想した。調教師の中村均は、調教師だった父の中村覚之助も1972年に天皇賞(秋)をヤマニンウエーブで制しており、調教師の天皇賞父子制覇も達成した。天皇賞の勝利ののちは勝ち星から遠ざかり、2013年2月には右前繋部浅屈腱炎を発症して戦線を離脱。翌2014年の産経大阪杯で復帰もレース後に古傷を再発させ、4月11日付でJRAの競走馬登録を抹消された。
引退後は京都競馬場で乗馬となり、2015年からは同競馬場で誘導馬を務めた。2023年春を以て誘導馬を引退し、同年11月から栃木県・宇都宮市の馬事公苑で装蹄師用の練習馬や乗馬になったが、翌2024年2月13日、乗馬中に転倒。骨盤を骨折し死亡した。17歳没。
以下の内容は、JBISサーチおよびnetkeiba.comに基づく。
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