![アンドレルトン・シモンズ アンドレルトン・シモンズ](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9d/Andrelton_Simmons_%2829228566298%29_%28cropped%29.jpg/400px-Andrelton_Simmons_%2829228566298%29_%28cropped%29.jpg)
アンドレルトン・A・シモンズ(Andrelton A. Simmons, 1989年9月4日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ムンドノボ出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。愛称はシンバ、シモーン。
旧オランダ領アンティルのキュラソー島で生まれ、同郷のアンドリュー・ジョーンズに憧れて育った。ユースチームでは、ケンリー・ジャンセンやディディ・グレゴリウスとチームメイトだった。
ウエスタンオクラホマ州立大学在学中には投手として最速98マイル(約157.7km/h)を計測。
2010年のMLBドラフト2巡目(全体70位)でアトランタ・ブレーブスに遊撃手として指名され、プロ入り。この年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブスでプレーした。
2011年にはA+級リンチバーグ・ヒルキャッツでプレーし、打率.311でカロライナリーグの首位打者を獲得した。
2012年はAA級ミシシッピ・ブレーブスで開幕を迎え、6月2日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビューを果たした。6月は打率.330、3本塁打、14打点を記録してルーキー・オブ・ザ・マンスに選出される。7月8日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でヘッドスライディングをした際に右手小指を骨折し、約2ヶ月戦列から離れた。オフにテキサス・レンジャーズからマイク・オルトとのトレードを打診されたが、ブレーブスは即座に拒否した。
2013年開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された。大会では、「1番・遊撃手」としてプレーしてチームの準決勝進出に貢献した。シーズンでは史上最高値となる守備防御点(DRS)+41を記録し、フィールディング・バイブル・アワードとゴールドグラブ賞を受賞した。また。プラチナ・ゴールド・グラブも受賞している。
2014年2月20日にブレーブスと総額5800万ドルの7年契約に合意した。シーズンでは、2年連続でフィールディング・バイブル・アワードとゴールドグラブ賞を受賞した。
2015年11月12日にエリック・アイバー、ショーン・ニューカム、クリス・エリス+金銭とのトレードで、ホセ・ブリセーニョと共にロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した。
2016年はルーキーイヤー以来の規定打席未達ながら124試合に出場。打率.281、4本塁打、44打点、出塁率.324を記録。オフの12月5日に第4回WBCのオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。
2017年開幕前に選出されていた第4回WBCに参加し、全7試合に出場して打率.344(32打数11安打)、3打点などの成績でベスト4に貢献した。シーズンでは、158試合に出場し、打率.278、14本塁打、69打点、19盗塁を記録。守備でも自身3度目のゴールドグラブ賞を受賞し、遊撃手として両リーグで受賞したのは、オマー・ビスケル、オーランド・カブレラに次ぐ史上3人目となった。MVP投票では8位に入った。
2018年は攻守の活躍からマイク・トラウトと共に上位打線に固定されキャリアハイの打率.292、75打点を記録し、自身4度目となるゴールドグラブ賞を獲得。また6度目のフィールディング・バイブル・アワードを獲得し、ヤディアー・モリーナに並ぶ歴代最多タイの受賞となった。
2019年は5月20日のミネソタ・ツインズ戦で左足首の捻挫を負い、約1ヶ月離脱した。復帰後も同箇所を痛め、8月4日に再び故障者リスト入り。8月後半に復帰するも調子を落とし、103試合の出場で打率.264、7本塁打、40打点に留まった。規定試合数に到達しなかったこともあり、守備の各賞を逃した。
2020年は再び左足首を負傷し30試合の出場に留まった。打撃成績は打率.297、10打点だった。オフの11月1日にFAとなった。
2021年1月31日にミネソタ・ツインズと1050万ドルの単年契約を結んだ。この年は131試合に出場したが、打率、出塁率、長打率、OPSがいずれもキャリアワーストに終わった。オフの11月3日にFAとなった。
2022年3月15日にシカゴ・カブスと400万ドルの単年契約を結んだ。しかし右肩を2度痛めて35試合の出場に留まり、打率.173、0本塁打、7打点と打撃成績も低調。8月6日にDFAとなり7日に自由契約となった。
2023年3月に開催された第5回WBCにオランダ代表として3大会連続で出場した。また6月には中央アメリカ・カリブ海競技大会野球競技にキュラソー代表で出場した。この年はいずれのプロ球団でもプレーすることはなかった。12月28日、自身のSNS上において現役引退を発表した。
オランダ語、スペイン語、英語、パピアメント語、フランス語を話すことができる。
強肩好守の選手として知られる。送球の最速は98マイル(約158キロ)を記録し、守備範囲も広く、2017年にDRS+41、通算DRS+201と驚異的な指標を記録している。
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