![藤原家忠 藤原家忠](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/39/Fujiwara_no_Ietada.jpg)
藤原 家忠(ふじわら の いえただ)は、平安時代後期の公卿。藤原北家、関白藤原師実の次男。官位は従一位・左大臣。花山院左大臣と呼ばれ、花山院家の祖となった。
異母兄・師通の急死に続く甥・忠実失脚後、摂関の候補に上り自身もその地位を望んだが、院近臣藤原顕隆による白河法皇への諫言によって実現する事はなかった。
堀河天皇の信頼が厚く、康保5年(1103年)の右近衛大将就任が天皇の強い意向であった事が、『中右記』・『今鏡』に記されている。
近年では『大鏡』の増補部分の執筆者を令子内親王の皇后宮大夫をつとめた家忠であるとする説もある(大鏡巻末に見える「皇后宮の大夫殿書きつがはれたる夢なり」から、大鏡成立の下限とされる12世紀初頭に皇后宮大夫の職にあった家忠か、その後任の源雅定、もしくはもっと時代を繰り上げて11世紀の中宮大夫藤原能信か源顕房を作者に推定する向きもある)。すなわち摂関家寄りの村上源氏か摂関家分家の人物が書いたと考えるのである。
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