稲生町(いのうちょう)は、愛知県名古屋市西区の地名。現行行政地名は稲生町字杁先と稲生町1丁目から稲生町7丁目。住居表示未実施。
地理
名古屋市西区東部に位置する。東は桝形町、西は庄内通・名塚町、南は江向町、北は北区福徳町に接する。西から順に1丁目~7丁目があり、字杁先が北側に所在する。
河川
歴史
町名の由来
西春日井郡稲生村の名に由来する。稲生の由来には数説ある。藺沼(いぬま)から転じた説、白鳳時代に当地において稲の栽培を始めた頃伊奴神社を氏神として勧請したため稲生と表記した説、伊奴の表記が犬に通じることを避けるため表記を稲生に改めた説である。
沿革
- 南北朝時代~戦国時代 - 尾張国山田郡(統合後は春日部郡)内に所在する稲生郷として史料上に登場する。
- 江戸時代 - 尾張国春日井郡内の尾張藩領大代官所支配の稲生村として所在。
- 1880年(明治13年) - 所属していた春日井郡の分割に伴い、西春日井郡に所属。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 庄内村に編入され、同村大字稲生となる。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 町制施行に伴い、庄内町大字稲生となる。
- 1937年(昭和12年)3月1日 - 合併に伴い名古屋市西区稲生町となる。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 一部が庄内通・桝形町・江向町・又穂町・香呑町・天塚町および中丸町・光音寺町にそれぞれ編入される。
- 1945年(昭和20年)1月1日 - 一部が光音寺町に編入される。
- 1949年(昭和24年)2月1日 - 一部が庄内通に編入される。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 一部が城北町および貝田町にそれぞれ編入される。
- 1956年(昭和31年)7月13日 - 一部が光音寺町に編入される。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
交通
バス
- 名古屋市営バス(名古屋市交通局)
- 城北つばさ高校停留所
- 稲生町停留所
- アのりば - ■栄13号系統(安井町西行)
- イのりば - ■栄13号系統(栄行)
道路
- 愛知県道63号名古屋江南線(通称:名草線)
- 愛知県道202号守山西線
施設
- 福徳郵政宿舎
- 名古屋市営稲生荘
- 稲生公園
- 庄内橋自動車学校
- 安性寺
- 妙本寺
- 伊奴神社
- 天理教名古屋志賀布教所
その他
日本郵便
- 郵便番号 : 451-0012(集配局:名古屋西郵便局)。
脚注
WEB
文献
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、稲生町 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。
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