国鉄タキ30200形貨車(こくてつタキ30200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は、日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。
本形式と同じ専用種別のタサ5900形についても本項目で解説する。
本形式は、液化モノメチルアミン専用の25t積タンク車として1977年(昭和52年)2月23日から1979年(昭和54年)12月14日にかけて3ロット3両(オタキ30200 - オタキ30202)が、日本車輌製造1社にて製作された。
記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長 16 m 以上)を前置し「オタキ」と標記する。更にタンク体右側形式番号上に「連結注意」が標記された。
液化モノメチルアミンを専用種別とする形式には、他にはタサ5900形の1形式があるのみである。(後述)
1979年10月より化成品分類番号「毒燃(G)26・3」(毒性の物質、燃焼性の物質、高圧ガス、高圧ガス、毒性のあるもの、可燃性のもの)が標記された。専用種別の「液化モノメチルアミン」は赤色、「毒」は黒色、「燃」は赤色、「(G)26・3」は白色でそれぞれ標記されている。
落成時の所有者は、東京化成品、三菱瓦斯化学(現在の三菱ガス化学)、日本石油輸送の3社であり、その常備駅は、白新線の新崎駅、福島県の郡山駅であった。1987年5月に1両(オタキ30200)が三菱瓦斯化学へ名義変更され、本形式所有者は2社体制になった。
荷役方式は、マンホール弁式であり、塗色は、灰色(ねずみ色1号)、全長は16,100mm、全幅は2,500mm、全高は3,820mm、台車中心間距離は12,000mm、実容積は42.2m3、自重は24.0t、換算両数は積車5.0、空車2.4、台車はTR211B又はTR216Bであった。
1987年4月の国鉄分割民営化時には全車(3両)がJR貨物に継承されたが、1995年(平成7年)9月に最後まで在籍した2両(オタキ30200, オタキ30201)が廃車となり、同時に形式消滅となった。
最後まで在籍したオタキ30200, オタキ30201の末期は新崎駅構内に留置され休車状態が続いていた。
各年度による製造日、製造会社、両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
1969年(昭和44年)4月22日にタサ4100形より2両(タサ4239, タサ4130→タサ5900, タサ5901)の専用種別変更改造(液化アンモニア→液化モノメチルアミン)が日本車輌製造にて行われ、形式名は新形式であるタサ5900形として落成した。同年10月21日に1両(タサ4134→タサ5902)が同じく日本車輌製造にて追加改造され合計3両(タサ5900 - タサ5902)が運用された。
落成時の所有者は、日東化学工業、日本瓦斯化学工業(その後合併により三菱瓦斯化学に社名変更)の2社であり、その常備駅は、東海道本線貨物支線(通称、高島線)の新興駅、白新線の新崎駅であった。
荷役方式は、マンホール弁式であり、塗色は、灰色(ねずみ色1号)、全長は16,000mm、全幅は2,400mm、全高は3,850mm、台車中心間距離は11,900mm、実容積は33.4m3、自重は30.0t、換算両数は積車5.0、空車3.0、台車はTR41Cであった。
1978年に三菱瓦斯化学所有の2両(タサ5901, タサ5902)が廃車となり、以降の運用はタキ30200形に託された。
1985年(昭和60年)12月26日に最後まで在籍した1両(タサ5900)が廃車となり、同時に形式消滅となった。
各年度による製造日、改造会社、両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
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