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高辻家


高辻家


高辻家(たかつじけ)は、菅原氏嫡流にあたる公家・華族だった家。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家。

歴史

贈太政大臣菅原道真の六世孫菅原是綱(正四位下・大学頭)(1030年 - 1107年)を祖とする。

学問の研鑽に努め、代々文章博士と天皇の侍読を務めることを家業とした紀伝道の家である。

菅原氏の嫡流にあたるが、是綱の弟在良の系流(唐橋家)や輔方の系流に対して家格の差はそれほどなく、天皇の侍読や菅原氏長者の地位も独占しているわけではなく、いずれの系流からも出ている。天皇の侍読になった当主はおおむね高い官位に昇っている。

平安時代末期から鎌倉時代前期の当主菅原為長(1158年 - 1246年)は家例として初めて参議に列した。その長男長成の系譜が高辻家となった。なお為長の四男高長の系流は五条家となった。

南北朝時代の長衡は従三位から左大弁となる前例を拓き、継長(1414年 - 1475年)は従三位・左大弁・参議・正二位へ進み、文明2年(1470年)に権大納言に昇進した。これ以降高辻家は権大納言を極官とするようになった。

戦国時代には経済的困窮からしばしば地方へ下向するようになり、継長は加賀国、その孫の章長は越前国一乗谷で死去している。

安土桃山時代の高辻長雅(正二位・権大納言・式部大輔)(1515年 - 1580年)の代で中絶する。

江戸時代前期の寛永11年(1634年)に後水尾上皇の命で同族の五条家から高辻遂長(かつなが)(正三位・参議・大蔵卿)(1600年 - 1643年)を養子として家名が再興される。

公家としての家格は半家、旧家、外様。一条家の家札。江戸時代の家禄は200石。屋敷は新烏丸通丸太町にあった。菩提寺は浄福寺。

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると高辻家も公家として華族に列した。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家として修長が子爵に叙された。修長は宮内省に勤務し、侍従や宮内書記官、東宮侍従長、宮中顧問官などを歴任した。その子宜麿も宮内省に勤務した。彼の代に高辻子爵家の邸宅は東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺にあった。

また明治に高辻以長の四男信厳が太宰府天満宮の社家として分家して西高辻家を創設しており、同家も男爵に叙せられた。

系図

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。 
  • 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 高辻 タカツジ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、3300頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123864/517 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。 
  • 橋本政宣『公家事典』吉川弘文館、2010年(平成22年)。ISBN 978-4642014427。 
  • 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724。 
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。

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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 高辻家 by Wikipedia (Historical)