葉栗郡(はぐりぐん)は、愛知県(尾張国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 一宮市の一部(木曽川町各町、高田、佐千原、浅井町各町以北)
- 江南市の一部(松竹町各町、前飛保町各町、久野町各町、小杁町各町以北)
歴史
古代
郡名は字画のとおり栗の木が多数自生していた状態から名付けられたという説や、「ハグ(剥ぐ)・リ(古代の接尾語)」で「浸食されやすい自然堤防」を意味したという説などがある。藤原京からは「尾治国羽栗評 ・人椋椅部刀良」と書かれた木簡が出土しており、この羽栗評が後の葉栗郡である。701年の大宝律令の制定により評は郡となった。927年成立の延喜式には葉栗(はくり)郡との記載がみられる。
郷
938年頃に成立した和名類聚抄に「葉栗郡」の郷として掲載されているのは以下の通り。ただし読みが特定できるものについては括弧内に記載した。
- 葉栗(はくり)
- 河沼(かわぬ)
- 大毛(おおけ)
- 村國(むらくに)
- 若栗(わかくり)
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
近世
安土桃山時代まで郡域は広かったが、1586年(天正14年)の木曽川の大洪水により、美濃国との境に流れていた木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになった。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称した。同時に中島郡・海西郡も2国にまたがる郡となったが、こちらは改称されていない。
近世以降の沿革
- 『旧高旧領取調帳』に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。(41村)
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、名古屋県、犬山県、今尾県の管轄となる。
- 11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、全域が名古屋県の管轄となる。
- 明治5年4月2日(1872年5月8日) - 愛知県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、行政区画としての葉栗郡が発足。「丹羽葉栗郡役所」が丹羽郡小折村に設置され、同郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)10月1日 - 町村制施行により、下記の各村が発足。(13村)
- 飛保村 ← 前飛保村、後飛保村、松竹村(現・江南市)
- 村久野村(単独村制。現・江南市)
- 小草鹿村 ← 草井村、小杁村、鹿子島村(現・江南市)
- 宮田村(単独村制。現・江南市)
- 瑞穂村 ← 尾関村、大野村、前野村、河田村、黒岩村、極楽寺村(現・一宮市)
- 光明寺村 ← 光明寺村、更屋敷村、笹野村、田所村(現・一宮市)
- 北方村 ← 北方村、中島村(現・一宮市)
- 里小牧村(単独村制。現・一宮市)
- 玉ノ井村(玉野井村が単独村制。現・一宮市)
- 黒田村 ← 黒田村、外割田村、門間村、内割田村、曽根村、三法寺村(現・一宮市)
- 大田島村 ← 島村、大毛村、高田村、杉山村(現・一宮市)
- 佐千原村 ← 佐千原村、富塚村(現・一宮市)
- 浅井村 ← 大日比野村、西海戸村、河端村、小日比野村、江森村、東浅井村、西浅井村(現・一宮市)
- 明治24年(1891年)
- 4月1日 - 郡制が施行される。郡ごとに郡役所を置くよう改められたが、葉栗郡役所は当分の間丹羽郡役所(丹羽郡小折村)内に置かれた。
- 6月22日 - 葉栗郡役所位置が葉栗郡大田島村大字島村に定められる。
- 9月23日 - 郡役所の仮庁舎を大田島村の東林寺内に移す。
- 10月29日 - 郡役所の仮庁舎を大田島村大字島村94番戸に移す。
- 明治27年(1894年)
- 12月14日 - 郡役所庁舎を大田島村大字島村地内で新築移転する。
- 12月24日 - 黒田村が町制施行して黒田町となる。(1町12村)
- 明治28年(1895年)9月30日 - 小草鹿村が分割し、一部(草井)に草井村、残部(小杁・鹿子島)に小鹿村がそれぞれ発足。(1町13村)
- 明治33年(1900年)7月9日 - 浅井村が町制施行して浅井町となる。(2町12村)
- 明治39年(1906年)5月10日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(2町4村)
- 黒田町 ← 黒田町[黒田・門間・内割田・外割田・三法寺]、里小牧村、玉ノ井村
- 葉栗村 ← 大田島村、光明寺村、佐千原村
- 宮田村 ← 飛保村、宮田村
- 草井村 ← 草井村、小鹿村、村久野村
- 浅井町 ← 瑞穂村、浅井町
- 北方村 ← 北方村、黒田町[曽根]
- 明治43年(1910年)2月11日 - 黒田町が改称して木曽川町となる。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡制が廃止される。郡長および郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)12月15日 - 宮田村が町制施行して宮田町となる。(3町3村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡長および郡役所が廃止される。これを以て郡は行政機関ではなくなり、単なる地理的名称となる。
- 昭和15年(1940年)8月1日 - 葉栗村が一宮市に編入。(3町2村)
- 昭和29年(1954年)6月1日 - 宮田町・草井村が丹羽郡古知野町・布袋町と合併して江南市が発足し、郡より離脱。(2町1村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日 - 浅井町が一宮市に編入。(1町1村)
- 4月1日 - 北方村が一宮市に編入。(1町)
- 平成17年(2005年)4月1日 - 木曽川町が一宮市に編入。同日葉栗郡消滅。
変遷表
行政
歴代の丹羽葉栗郡長は以下の通り。
歴代の葉栗郡長は以下の通り。
脚注
参考文献
- 「第二編 行政」『愛知縣史』 上卷、愛知縣、1914年。NDLJP:1899248/127。
- 『葉栗郡紀要』愛知縣葉栗郡役所、1921年3月28日。 NCID BN10345616。
- 愛知縣『愛知縣史』 第四卷、愛知縣、1930年1月31日。NDLJP:1230079。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4040012305。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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