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セシル家


セシル家


セシル家(英語: Cecil family)は、イギリスの貴族の家系。

エリザベス1世の宰相の初代バーリー男爵ウィリアム・セシルを祖とし、その長男初代エクセター伯爵トマスの家系(エクセター伯爵・エクセター侯爵家)と次男初代ソールズベリー伯爵ロバートの家系(ソールズベリー伯爵・ソールズベリー侯爵家)の2つの系統から成る。

またエクセター侯爵家の分流にハックニーのアマースト男爵家、ソールズベリー侯爵家の分流にロックリー男爵家が存在する。

歴史

ウィリアム・セシル(1521–1598)の祖父デイヴィッド・セシル(1460頃-1540?)はヘレフォードシャーのヨーマン(独立自営農民)であり、1485年のボズワースの戦いではヘンリー・オブ・テューダー(ヘンリー7世)側で馳せ参じている。その後テューダー朝が始まるとリンカンシャー・スタンフォードを本拠とするようになり、近隣の王母マーガレット・ボーフォートの領地を管理を任された。

デイヴィッドの息子リチャード・セシル(?-1553)も衣装担当宮内官として宮廷に仕えた。

リチャードの息子がウィリアム・セシルだった。彼は庶民院議員に当選し、宮廷内でもヘンリー8世やエドワード6世のもとで秘書官として活躍。カトリックのメアリー1世の時代には官職を避けたが、1558年にエリザベス1世が即位するとその国王秘書長官となり、以降40年にわたって宰相としてエリザベスを支え続けた。その間の1571年2月25日にはエリザベスから「カウンティ・オブ・ノーザンプトンにおけるバーリー男爵(Baron Burghley, in the County of Northampton)」に叙せられている。

初代バーリー卿には長男トマス(1542–1623)と次男ロバート(1565–1612)という2人の息子があった。トマスは庶民院議員を務めたものの父から政治の才能を認められず、父の政治的立場を引き継いで宰相となったのはロバートだった。

ステュアート朝になった後の1605年5月4日にジェームズ1世はセシル兄弟に同時に伯爵位を与えた。それが「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」(トマス)と「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」(ロバート)だった。

エクセター伯爵家は初代バーリー卿が建設したバーリー・ハウスを相続して代々の本拠とした。一方ソールズベリー伯爵家はジェームズ1世との邸宅交換でハートフォードシャーにあるハットフィールド・ハウスを手に入れ、そこを代々の本拠としている。

ソールズベリー伯爵家は7代ソールズベリー伯ジェイムズ(1748-1823)の代の1789年8月25日にソールズベリー侯爵に叙せられた。一方エクセター伯爵家は10代エクセター伯ヘンリー・セシル(1754–1804)の代の1801年2月4日に至って「エクセター侯爵(Marquess of Exeter)」に叙せられている。

ソールズベリー侯爵家は2代ソールズベリー侯ジェイムズ(1791-1868)の代の1821年3月にガスコイン家との結婚を機に勅許を得て「ガスコイン=セシル」と改姓している。

ソールズベリー侯爵家はヴィクトリア朝期に三度に渡って首相(在職1885-1886、1886-1892,1895-1902)を務めた3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1830-1903)を輩出した。彼はボーア戦争や日英同盟時の首相として知られる。彼の登場以降ソールズベリー侯爵家はイギリス政界の中心的存在となり、国際連合創設への貢献でノーベル平和賞を受賞した初代チェルウッドのセシル子爵ロバート・ガスコイン=セシル(1864-1958)(3代侯の三男)や貴族院の停止的拒否権を制限する「ソールズベリー慣行」を確立する5代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1893-1972)等を輩出する。

一方エクセター侯爵家の方は政界での目立った活躍はなかったが、6代エクセター侯デイヴィッド・セシル(1905–1981)は襲爵前に陸上競技選手として鳴らし、1928年のアムステルダム五輪では金メダルを獲得している。

分流としてはエクセター侯爵家にハックニーのアマースト男爵家、ソールズベリー侯爵家にロックリー男爵家がそれぞれ存在する。アマースト男爵位はウィリアム・ティッセン=アマーストが1892年に叙されたのに始まるが、彼の娘で爵位を女系継承した第2代アマースト女男爵メアリー(1857–1919)が3代エクセター侯ウィリアム(1825–1895)の三男ウィリアム卿(1854-1943)と結婚した結果、セシル家によって継承される爵位となったものである。2015年現在5代目を数える。

ロックリー男爵位は2代ソールズベリー侯の三男ユースタス(1834-1921)の子イヴリン(1865-1941)が1934年にロックリー男爵に叙せられたのに始まっている。2015年現在4代目である。

系図

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 青木道彦『エリザベス一世 大英帝国の幕開け』講談社〈講談社現代新書1486〉、2000年。ISBN 978-4120040290。 
  • 石井美樹子『エリザベス 華麗なる孤独』中央公論新社、2009年。ISBN 978-4120040290。 
  • ヒバート, クリストファー 著、山本史郎 訳『女王エリザベス〈下〉大国への道』原書房、1998下巻。ISBN 978-4562031474。 

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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: セシル家 by Wikipedia (Historical)


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