Aller au contenu principal

小出英尚


小出英尚


小出 英尚(こいで ふさなお)は、丹波国園部藩第10代(最後)の藩主。吉親系小出家10代。

生涯

9代藩主・小出英教の長男。正室は坊城俊政の娘・録子。継室は浅倉七五郎の娘・菊江、庭田重胤の娘・胤子。子は英延(長男)、英経(次男)、英鋪(三男)、娘(東胤禄妻)、娘(松平義為(弟松平義生の長男)妻)、娘(大谷尊由妻)、娘(黒田長敬妻)。官位は従五位下、伊勢守。

嘉永2年(1849年)9月3日生まれ。安政3年(1856年)3月19日、父英発の死去により跡を継いだ。文久3年(1863年)2月15日、従五位下・伊勢守に叙任する。慶応3年(1868年)11月、朝廷の命令に応じて上洛し、早くから新政府側を支持する姿勢を示した。慶応4年(1869年)1月、藩主英尚は上洛中だったものの、園部の重臣たちは家中の意見をまとめ、西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。

新政府は万が一京が戦火に飲み込まれる事態となった場合は、明治天皇を英尚の居城園部城に避難させるという策を立てた。そのため、慶応4年1月に英尚は新政府から園部城改築の許可を得る。同年4月に園部城改築を終える。結局、京は戦火から免れ、明治天皇も京にとどまった。

明治2年(1869年)6月20日、版籍奉還により藩知事となる。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により免官となる。同年9月16日、東京に移住する。明治16年(1883年)11月、隠居し、息子の英延に家督を譲った。なお、明治17年(1884年)に英延は子爵となった。明治38年(1905年)9月27日、57歳で死去した。

系譜

  • 父:小出英教(1829年 - 1855年)
  • 母:小出英発の三女
  • 正室:録子 - 坊城俊政の娘
  • 継室:菊江 - 浅倉七五郎の娘
  • 継々室:胤子 - 庭田重胤(庭田重基の子)の娘
  • 生母不明の子女
    • 長男:小出英延 ‐ 子爵。掌典。岳父に細川行真。
    • 次男:小出英経
    • 三男:小出英鋪
    • 女子:錠子 ‐ 東胤禄(遠藤胤城三男)の妻
    • 女子:松平義為(弟松平義生の長男)の妻
    • 女子:泰子 - 大谷尊由の妻
    • 女子:恵子 - 子爵黒田長敬の妻

脚注

 


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 小出英尚 by Wikipedia (Historical)