![1970年の阪急ブレーブス 1970年の阪急ブレーブス](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/Hankyu-Nishinomiya-Stadium-1.jpg/400px-Hankyu-Nishinomiya-Stadium-1.jpg)
1970年の阪急ブレーブスでは、1970年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の8年目のシーズンである。
前年まで3連覇を達成し、パ・リーグ初の4連覇を目指したチームは日本万国博覧会が阪急電鉄沿線の吹田市で開催されたこともあり西本監督は「大阪万博の年を優勝で飾る」と宣言。しかし、投手陣の二枚看板で暗黒時代を支えたベテラン米田哲也・梶本隆夫が開幕から成績不振に陥り、チームも5月までは首位の東映から4.5ゲーム差の5位に低迷。東映の失速やロッテが独走状態に突入した7月以降巻き返して近鉄と3位争いを演じたが、ロッテや2位の南海を捕まえることができず勝率5割に到達するのがやっとで、万博イヤーを優勝で飾れず4年ぶりのBクラスに終わった。カード別成績は優勝のロッテと相性が悪く9勝16敗1分と負け越し、ロッテ優勝の引き立て役となった。投手陣ではベテラン二人が衰えたものの、2年目の山田久志が10勝をあげてローテ入りするも防御率が3.57のリーグ4位に転落。打撃陣では5月から1番打者となった福本豊が2年目で初の盗塁王となり、前年ほとんど二軍で過ごした加藤秀司は代打で出場機会を伸ばすなど若手が台頭し、翌1971年のリーグ優勝につながった。
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