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冨安健洋


冨安健洋


冨安 健洋(とみやす たけひろ、1998年11月5日 - )は、福岡県福岡市博多区出身のプロサッカー選手。プレミアリーグ・アーセナルFC所属。ポジションはディフェンダー。日本代表。

略歴

プロ入り前

元々は水泳をやっていた2人の姉の影響で自身も水泳を始める予定であったが、祖母の家のランニングマシーンで遊んでいる時に転倒し顎を負傷したため水泳を始めることを断念した。その後小学生の頃に少年サッカーチーム・三筑キッカーズの総監督が目を見張るスピードで走っている冨安の姿を偶然目撃、冨安の知り合いの父母に「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれん?」と依頼し、父母からチームに勧誘された冨安は結果的にサッカーを始めることになった。

11歳の時、2009年に開校したバルセロナスクール福岡校のコーチに勧められ入会し、小学6年生になるとナショナルトレセンに選出され、地元では広く知られる存在になった。バルセロナスクール福岡校のコーチは冨安をFCバルセロナに推薦したが、小学生をスペインに連れていくのは難しく、話は立ち消えとなった。しかしのちに18歳でアビスパ福岡の主力選手として活躍できたのはその時の経験が生かされているからだと語っている。

中学生からアビスパ福岡の下部組織に入団。ジュニアユース時代は3学年ともキャプテンを務めた。中学3年生時には、飛び級でアビスパ福岡のトップチームの練習に参加するようになる。2015年5月19日、高校2年生ながらアビスパ福岡に2種登録され、同年10月の天皇杯3回戦のFC町田ゼルビア戦で、高校2年生の時に公式戦デビューを果たす。

アビスパ福岡

2016年、高校卒業を待たずに高校3年生の時、アビスパ福岡のトップチームに昇格。2ndステージの第3節FC東京戦でボランチとしてプロデビューを果たすと、その後はディフェンスラインのレギュラーに定着した。2017年3月19日、J2第4節のロアッソ熊本戦でプロ入り初得点を記録。邦本宜裕と共に高く評価された。

シント=トロイデンVV

2018年1月8日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVに移籍することが発表された。J1リーグの強豪クラブも獲得に興味を示していたが、強い海外志向により、億単位の移籍金を残して海外移籍することになった。5月13日、プレーオフ9節のロイヤル・アントワープFC戦で移籍後初出場を果たした。

2018-19年シーズン、7月18日に行われた開幕戦のサークル・ブルッヘ戦でフル出場でリーグ戦初出場を果たした。11月25日、第16節のRSCアンデルレヒト戦では移籍後初得点を決めて勝利に貢献した。12月、ドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンが移籍金600万ユーロ(約8億円)でオファーを出したが、シント=トロイデン側は少なくとも移籍金1000万ユーロ(約13億円)を求めていた事もあり、オファーを断った。リーグ戦終了後に、クラブのサポーター団体「Spionkop Geel-Blauw」によるシーズン最優秀選手に選出された。

ボローニャFC

2019年7月9日、セリエA・ボローニャFCへの完全移籍が発表された。移籍金は12億円。背番号は「14」。8月10日、親善試合のビジャレアルCF戦でヘディング弾を決めボローニャでの初ゴールを記録した。8月18日、コパ・イタリア3回戦のACピサ1909戦で公式戦デビューを果たした。8月25日、セリエA開幕戦のエラス・ヴェローナFC戦で右サイドバックとしてリーグ戦デビューを果たしそのプレーに多くの称賛の声が上がった。

ガゼッタ・デロ・スポルトは新星ベスト5に選出。英『トーク・スポーツ』が発表した「今季のヨーロッパのワンダーキッド トップ20」でジェイドン・サンチョやキリアン・エムバペが名を連ねる中10位に選出された。9月12日、ボローニャは8月のクラブ月間MVPにロベルト・ソリアーノやリッカルド・オルソリーニを抑え冨安が選出された事を発表した。12月15日、セリエA第16節アタランタBC戦にて移籍後初アシストを記録。2020年7月18日、第34節ACミラン戦で左足のミドルシュートでセリエA初得点を記録した。シーズン通して右サイドバックやセンターバックとして先発出場を重ね、7月にはコリエレ・デロ・スポルト紙から「冨安は黄金の選手。シニシャ・ミハイロヴィチ監督にとってなくてはならない選手」と評価された。

シーズンオフにはACミランから正式に獲得に向けてのオファーが届いたが、ボローニャがこれを拒否して、残留する事に決まった。

アーセナルFC

2021年8月31日、アーセナルFCに移籍することが公式発表された。移籍金は25.5億円。背番号は18番を着用する。同年9月11日、ノリッジ・シティ戦で先発起用されプレミアリーグデビューを果たした。10月8日、アーセナルに加入して9月の活躍が評価され、チームの月間最優秀選手に選出された。同年12月26日、プレミアリーグのノリッジ・シティ戦前に行われた新型コロナの検査で陽性反応となったことを公式が発表。2022年1月9日、FA杯ノッティンガム・フォレスト戦を右脹脛の張りで欠場。同年1月20日、全体練習に参加できておらず万全の状態でなかったが右サイドバックでプレイできるセドリック・ソアレスとカラム・チェンバースが欠場のため本人の志願もありカラバオ杯リヴァプール戦2ndレグに強行出場。しかし、これにより右脹脛の負傷が再発してしまう結果となった。同年2月19日、プレミアリーグのブレントフォード戦でベンチ入りするも出場はなかった。しかし、その試合後に今度は左の脹脛を負傷。同年4月23日、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で後半アディショナルタイムから途中出場し約3ヶ月ぶりの実戦復帰となった。

2023年3月16日、UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16セカンドレグのスポルティングCP戦で先発出場したものの前半6分で相手に寄せようとしたときに足を滑らせて右膝を負傷し交代した。その後、手術を要する重傷であることが判明し手術は無事成功したがシーズン内の復帰が叶わないことが発表された。

9月21日、UEFAチャンピオンズリーグGL第1節のPSVアイントホーフェン戦でCLデビューを果たした。 10月28日、プレミアリーグ第10節シェフィールド・ユナイテッド戦でコーナーキックのこぼれ球を押し込み出場50試合目でアーセナル移籍後初ゴールを決めた。ゴール後、昨年亡くなった母親に捧げるゴールパフォーマンスをした。11月2日、サポーター投票で64%の票を集め、2021年9月以来2度目の受賞となる10月のアーセナル月間最優秀選手に選出された。12月2日、プレミアリーグ第14節ウルヴァーハンプトン戦で先発出場しブカヨ・サカの先制点をアシストするも後半に脹脛を痛めて負傷交代した。12月31日のフラム戦で途中出場し実戦復帰するまで約1ヶ月の離脱となった。

2024年3月20日、アーセナルが冨安健洋との契約を延長することを発表した、年俸は1年につき10億円超えで契約期間は2026年夏まで。

日本代表

2016年7月1日、リオ五輪のトレーニングパートナーに選出された。10月、AFC U-19選手権のメンバーに選出。10月17日、第2戦のイラン戦ではセンターバックとして無失点に抑えて、中山雄太とともに安定したディフェンスを披露した。10月30日、決勝のU-19サウジアラビア戦でも日本のピンチを抑えて初優勝に貢献した。

2018年8月30日、キリンチャレンジカップに挑む日本代表に初招集され、10月12日のパナマ戦で先発して日本代表初出場を果たした。10代での日本代表デビューは2012年の宮市亮以来で、センターバックの選手としては史上初となった。

2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出。1月9日、初戦のトルクメニスタン戦でスタメン出場し大会最年少での出場を飾った。 1月21日のサウジアラビア戦ではコーナーキックを頭で合わせ、同大会トルクメニスタン戦の堂安律(20歳207日)の記録をさらに上回り、アジアカップの日本人最年少ゴールを2週間足らずで更新した(20歳77日)。準決勝のイラン戦では、CBでコンビを組む吉田麻也と共にイランのエースのサルダル・アズムンを完全に抑え、長友佑都から絶賛された。この大会、最年少ながらレギュラーとして移籍金が急騰するような活躍を見せたが、決勝でカタールに敗れて準優勝となった。

2019年6月、東京五輪世代中心で臨んだコパ・アメリカのメンバーに選出。全試合に先発出場したが、チームは2分け1敗でGS敗退となった

2019年9月、W杯アジア2次予選のメンバーに選出。9月10日、アウェイのミャンマー戦でスタメン出場し日本代表のセンターバックとしては越田剛史以来39年ぶりの20歳でのW杯予選デビューとなった。劣悪なピッチコンディションの中でチームトップとなる95本(成功率は90.5)のパスを成功させ、こぼれ球奪取数3回、シュートブロック2回、クリア数3回を記録するなど守備面での貢献度は絶大であった。また、ミドルサードでのプレー数もチーム1位となる126回を記録しており、幅広いエリアを的確にカバーしていた。

2021年の東京五輪のサッカー競技にメンバーとして選出された。A代表の中心選手であることもあり大きな期待がされたが、怪我の影響で出遅れ、期待された程の活躍はすることが出来なかった。チームも準決勝及び3位決定戦で敗れ、目標としていたメダル獲得には届かなかった。

2022FIFAワールドカップアジア3次予選において4試合出場する。

2022年11月1日、2022 FIFAワールドカップに臨む代表メンバーに招集された。大会直前にハムストリングを負傷していたためコンディションが万全ではなく同大会のグループステージでは出場時間は抑えめであった。それでも1戦目のドイツ代表戦で後半から途中出場し大金星となる逆転勝利に貢献、3戦目のスペイン代表戦では終盤に途中出場しジョルディ・アルバやアンス・ファティらを押さえるなど強豪ドイツ、スペインと同組の厳しいグループを1位で突破するのに貢献した。日本代表初のベスト8進出を懸けた前回準優勝クロアチア代表戦では大会初スタメンを果たし延長戦120分フル出場したがチームはPK戦の末、敗退した。

2023年9月10日に行われたドイツ戦に先発出場し、約9ヶ月ぶりに代表に復帰した。そのドイツ戦において、好調だった相手FWレロイ・サネの決定機を阻止し、勝利に貢献した。

2024年1月1日、AFCアジアカップ2023に向けた代表メンバーに招集された。

エピソード

  • 「健康で、太平洋のように広い心を持った人間に育ってほしい」という願いを込めて「健洋」と命名された。
  • 小学生の頃に所属した三筑キッカーズの総監督は「ドリブルさせたら、恐らく福岡県で彼に追いつける足を持っている子はいなかった。恐ろしいくらい速かった」と語るほど足が速い。そして、練習のない時は近所の公園で練習を重ね、練習量が半端なものではないと感じていた。また、練習にはいつも一番早く来て準備を手伝い、帰っていくのも片付けを見届けてから、いつも最後だったという。
  • 目標とする選手は現役時代、駆け引きが上手く、ボランチもこなしていたハビエル・マスチェラーノ。
  • 小学生の卒業文集には「プロサッカー選手になって、お母さんとお父さんにおうちを建ててあげたい」という夢を記した。
  • 17歳(高校3年生)の時にプロ契約を結び、アビスパ福岡史上初の高校生Jリーガーとなった。
  • バルセロナスクール福岡校に在籍時、スペイン遠征をした頃から世界を意識するようになった。
  • 2017年のJ1昇格プレーオフ決勝の名古屋グランパス戦では、左足首が疲労骨折している中での出場だった。
  • AFCアジアカップ2019のサッカー日本代表のキャプテンであった吉田麻也は冨安から、抜群の吸収力、試合に勝つために吉田自身に対してどんどん質問していく前のめりさを感じたと、2019年の記事で語った。

所属クラブ

  • 三筑キッカーズ(福岡市立三筑小学校)
  • アビスパ福岡U-15(福岡市立三筑中学校)
  • アビスパ福岡U-18(九州産業大学付属九州高等学校)
    • 2015年 アビスパ福岡(2種登録選手)
  • 2016年 - 2017年 アビスパ福岡
  • 2018年 - 2019年 シント=トロイデンVV
  • 2019年 - 2021年 ボローニャFC
  • 2021年 - アーセナルFC

個人成績

その他の試合

  • 2017年
    • J1昇格プレーオフ 2試合0得点
  • 2018年
    • ベルギーリーグ プレーオフ2 1試合0得点
  • 2019年
    • ベルギーリーグ プレーオフ2A 10試合0得点
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タイトル

アーセナルFC
  • FAコミュニティ・シールド:1回 (2023)

代表

U-19日本代表
  • AFC U-19選手権(2016年)

個人

  • JPFAアワード(JPFA)・ベストイレブン:1回(2022年)

代表歴

出場大会

  • U-15日本代表
    • ミャンマー遠征(2013年)
  • U-16日本代表
    • AFC U-16選手権(2014年)
  • U-17日本代表
    • 第22回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメント(2015年)
    • 第11回国際ユーストーナメント(U-17)in ミンスク(2015年)
  • U-18日本代表
    • AFC U-19選手権 予選(2015年)
    • 長安フィードカップ(2015年)
    • Panda Cup(2015年)
  • U-19日本代表
    • バーレーンU-19カップ(2016年)
    • Panda Cup(2016年)
    • AFC U-19選手権(2016年)
  • U-20日本代表
    • ドイツ遠征(2017年)
    • FIFA U-20ワールドカップ(2017年)
  • U-21日本代表
    • トゥーロン国際大会(2018年)
  • U-24日本代表
    • 東京オリンピック(2021年)
  • 日本代表
    • キリンチャレンジカップ(2018年)
    • AFCアジアカップ2019(2019年)
    • コパ・アメリカ2019(2019年)
    • キリンカップサッカー2022 (2022年)
    • 2022 FIFAワールドカップ (2022年)
    • AFCアジアカップ2023(2024年)

試合数

  • 国際Aマッチ 42試合 1得点(2018年 - )


出場

ゴール

脚注

関連項目

  • 福岡県出身の人物一覧
  • 福岡市出身の人物一覧
  • アビスパ福岡の選手一覧
  • ヨーロッパのサッカーリーグに所属する日本人選手一覧
  • サッカー日本代表出場選手

外部リンク

  • 冨安健洋 - Olympedia (英語)
  • 冨安健洋 - National-Football-Teams.com (英語)
  • 冨安健洋 - Soccerway.com (英語)
  • 冨安健洋 - Soccerbase.comによる選手データ (英語)
  • 冨安健洋 - FootballDatabase.eu (英語)
  • 冨安健洋 - WorldFootball.net (英語)
  • 冨安健洋 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
  • 冨安健洋 - FIFA主催大会成績 (英語)
  • 冨安健洋 - UEFA (英語)
  • 冨安健洋 - J.League Data Siteによる選手データ
  • アビスパ福岡|DF14 冨安 健洋
  • 冨安健洋 (@tomiyasu.t) - Instagram

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 冨安健洋 by Wikipedia (Historical)